271話
「皆様、グラスは行き渡りましたでしょうか? では、鷹羽雄太の初G1である菊花賞優勝と今後の活躍と婚約、そして皆様の今後の活躍を御祈りしてっ‼ 乾杯っ‼」
梅野の声に呼応して、皆がグラスを上げ歓声が響いた。
「乾杯〜っ‼」
「おめでとう、雄太」
「雄太、格好良かったぞ」
雄太は手にしたグラスを上げて応え、春香は慎一郎から離れた会場の隅にいる直樹達を見た。直樹達は嬉しそうにシャンパンのグラスを上げていてくれた。
ステージを降りた雄太と春香は順に招待客に挨拶にして回っていく。
「おめでとう、鷹羽くん」
「ありがとうございます。これからも宜しくお願い致します」
そして、雄太は慎一郎達の前に立った。慎一郎は苦々しい顔で雄太と春香を見た。
そして、周りに聞こえないように小さな声で呟いた。
「お前は……何の相談もしないで……」
「相談したら認めてくれたんですか?」
「それは……」
雄太は春香を認めもしないのに相談などと言う慎一郎に怒りが湧いて来たが、左腕に手を添えている春香の心情を思い冷静に答えた。
「周りの支えは必要ですが、俺の道は俺が決めます。これからは春香と共に歩んでいきます」
慎一郎はキッパリと言った雄太から春香へと視線を移した。
「市村くん……。君は雄太と共に生きる事を選ぶのか? 君には大切な仕事があるのではないのか? 仕事よりも雄太を選ぶのか?」
「私は、雄太くんと雄太くんの夢を追いかける事を選びます。確かにやり甲斐はありますし、たくさんの人の役に立てる仕事です。でも……私は私の出来る事で雄太くんを支えて行きたいんです」
柔らかな微笑みを浮べながらも春香は力強く言い切った。
「君は、その気になれば長者番付に載れるぐらいなのにか? 騎手の収入には波があるんだぞ? 食えなくなる時もあるかも知れないんだぞ?」
慎一郎とやり取りをしていると気付けば大勢の人々が居た。
春香はそんな人々の視線を一身に受けながら慎一郎を見詰めた。
「そうですね。でも、私はお金の為に仕事をしている訳ではないです。お金より大切な物があるんです。そして、私の人生は私の物です。これからは雄太くんの為に生きて行きたいと思っています」
「仕事を辞める……と? 君は君自身の人生を雄太に賭けるのか? 知っているかも知れんが、この先も雄太が第一線で活躍出来る保証等ないのだぞ? それを知っていて言ってるのか?」
春香はしっかりと頷いた。
「ええ。全て賭けます。私の人生……この先の人生の全てを。もし……もし雄太くんが、騎手を続けられなくなったら、私が食べさせて行きます。不自由な思いはさせません」
慎一郎の後ろに居た調教師の一人がムッとした顔で春香を睨み付けた。
「どうせ言うだけだろう? 雄太ちゃんに馬を回して欲しいなら、ここで土下座しろと言っても出来まい」
雄太がキッと怒りを滲ませると春香は雄太の腕に添えていた手に力を入れた。雄太が春香を見ると首を横に振った。
(祝いの席だもんな……。俺が怒ってぶち壊す訳にもいかない……。ごめん、春香……)
雄太が春香の手にそっと自分の手を重ねた時だった。春香は履いていたパンプスを脱いで床に正座をした。
どよめきが起こり、誰もが息を飲んだ。
(春香っ⁉)
「雄太くんは日本一の騎手になります。それが出来ると私は信じています。鷹羽雄太は皆さんの期待に応えられる騎手です。私の事はいくら嫌っていただいても構いません。ですから、鷹羽雄太に馬を回してください。お願いします」
春香は床に頭を付けて土下座をした。その姿を見て雄太も春香の横に座した。
春香がその気配に驚き顔を上げた。
(雄太くん……)
「俺は……俺の精一杯で騎乗依頼を果たします。今まで以上にトレーニングもします。だから馬を回してください。お願いします」
雄太が頭を下げたのを見て、春香もまた頭を下げた。
祝勝会だと言うのに、その主役である雄太の姿に周囲のざわめきは収まらなかった。




