262話
「ありがとう……。本当にありがとう……。そんな風に思ってもらえて嬉しい……。私の精一杯を認めてもらえて……本当に嬉しい……」
「当たり前だろ? 俺もだけど、春香の事を認めてくれてる人は居るよ。どんどん増えてるって分かってるだろ?」
雄太は抱き締めていた腕をといて、春香の顔をじっと見た。
「雄太くん?」
「ちょっと待って……」
そう言って雄太は目を閉じて大きく深呼吸をした。
「どうかしたの?」
「えっと……俺は春香が大好きだ。ずっと傍に居て欲しいんだ。だから……」
雄太はポケットに手を入れて小さな赤い小箱を取り出した。そして、その蓋を開けた。春香の視線がその中で輝く物を捉えた。
蹄鉄をモチーフにしたプラチナの指輪。真ん中にあるダイヤモンドが周囲の照明を反射させキラキラと輝いていた。
(え……? こ……これって……)
「結婚しよう。俺、ずっと前からG1獲れたらプロポーズしようって決めてたんだ」
「ゆう……た……くん……」
「今日、俺の夢の一つが叶えられた。だけど、俺の夢はまだまだ先がある。その次の夢を叶える時も春香に隣に居て欲しいんだ」
雄太の言葉に春香の目からポロポロと涙が溢れ頬を濡らして行く。
(私が……雄太くんと……)
一生結婚など出来ないと思っていたのが遠い昔のように思えた。
「春香」
誰よりも大切な男性が照れ笑いを浮べながら優しく名前を呼んでくれている。
「うん……。私……雄太くんと結婚したい。私を雄太くんのお嫁さんにしてください」
逆プロポーズのような言葉に雄太は笑いながら指輪を取り出し、春香の左手を手に取りそっと薬指にはめた。
「これからも苦しい事はあると思う。それでも、一緒に歩いて行こう。俺と一緒に幸せになろうな」
「うん。私、頑張るよ。雄太くんと一緒に幸せになる」
「もう泣くなって。春香は泣き虫だな」
笑いながらポロポロと涙を溢す春香を雄太はしっかりと抱き締めた。
その時、周りから大きな歓声と拍手が湧いた。
「え?」
「な……何……?」
驚いて周りを見ると鈴掛や梅野、純也だけでなく大勢の先輩達が物陰から飛び出して来た。
「おめでとうっ‼」
「やったなっ‼」
祝福の言葉を口にしながら、雄太と春香を囲んだ。
「ちょっ‼ な……何で皆がここに居るんですかっ⁉」
雄太が叫ぶと梅野が雄太の肩に手を回した。
「だってさぁ〜。雄太、今日は市村さんが来るって言ってただろぉ〜? で、一着になったら絶対ラブラブするって分かってたから後を付けて来たんだよぉ〜」
「勘弁してくださいよぉ……」
雄太は顔に右手を当てて天を仰いだ。
春香の前に立った鈴掛は目を潤ませていた。
「良かったな、春香ちゃん」
「はい、鈴掛さん」
純也がニヤニヤと笑いながら雄太の脇腹をつつく。
「で、誓いのキスは?」
「なっ⁉」
周りの先輩達もうんうんと頷きながら、雄太の肩を叩く。
「そうだよなぁ〜」
「やっぱりちゃんと誓いのキスはしないとな」
「せ……先輩達までっ‼」
梅野がニッコリと笑いながら春香の方を見た。
「市村さん〜。プロポーズをしてOKもらったら誓いのキスするんだよぉ〜」
「え?」
「梅野さんっ⁉」
叫んでいる雄太を見上げた春香の顔は真っ赤だった。
(もうっ‼ 直ぐ春香に口からデマカセ教えるんだからっ‼)
そうは思ったものの、ニヤニヤと笑っている大勢の先輩達に囲まれた雄太は諦めた。
(……ヤケクソだっ‼)
「春香、幸せになろうな」
「うん」
雄太は、もう一度プロポーズをして春香を抱き締めてキスをした。大きな拍手と歓声が沸き起こった。気が付けば、通りがかりの人や客待ちをしていたタクシーの運転手まで拍手をしていた。
(本当に……この人達は……)
雄太は苦笑いを浮べながら、共に勝負の世界に生き切磋琢磨している同僚達の温かさに感謝した。
1988年11月4日
この日、雄太は最年少G1騎手となり、春香は雄太の婚約者となった。




