255話
「失礼します。静川調教師……。あれ? 春香?」
ドアをノックして入って来たのは雄太だった。
「おう、雄太ちゃん」
「あ、雄太くん」
春香と静川が揃って雄太に声をかけた。雄太は上半身裸になりマッサージを受けている静川に驚いた。
「調教師どうかしたんですか?」
「ん? ああ、ちょっと首から肩甲骨にかけて違和感あってな。もう大丈夫だ。市村くんにしっかり施術してもらったから」
雄太はホッと息を吐くとマッサージを受けている静川の近くに寄った。
「ビックリしましたよ。それで、俺に用ってなんでしょう?」
「ああ。頼みって言うか騎乗依頼なんだ」
「え? あ、はい」
仕事の話と知り、春香は手を休めて静川の肩に冷えないようにバスタオルをかけた。雄太はピシッと姿勢を正した。
「馬主からカームを菊花賞に出したいと言われてな」
「カームを? でも……」
菊花賞でなくても各レースには出走出来る数は決まっている。
「うん。今のカームは微妙だ。いや、難しいと言っても良い。でもな、馬主も儂もカームなら行けるんじゃないかって思ってるんだ。雄太ちゃんが、まだ空いてるならカームの背中を任せたいんだよ」
雄太は、胸がドキドキとして両手をギュッと握り締めた。
(カームと菊花賞に……)
春香の方を見ると春香は両手を胸の前で握り締めて目を潤ませていた。
「雄太ちゃん、菊花賞の騎乗依頼は? 他の馬で受けてたりしてるか?」
「いえ……まだです。てか、俺……カームで出たいです」
「そうか。だが、弾かれたらレース自体に出られん。それでも良いか?」
「はいっ‼ お願いしたいくらいです」
静川は深く頷いた。
雄太とマッサージを終えた春香は馬房の方へ向かった。
「雄太くん、菊花賞出られると良いね。私、騎乗依頼を受けてるの初めて見たからドキドキしちゃった」
「ああ。俺も緊張してドキドキしたぞ」
雄太の声が聞こえたからかカームがヒョコっと馬房から顔を出した。
「カーム」
雄太が声をかけてカームの首筋を撫でるとカームは顔を寄せて甘えた仕草をする。
「調教師のマッサージ終わったんだな」
「はい」
顔見知りになった厩務員が春香に声をかけてくれた。
「そうだ。人参やってみるか?」
「良いんですか?」
雄太は厩務員と春香の会話している姿にホッとしていた。
(やっぱり、春香の事を知ればこんな風に受け入れてくれる人は増えてるよな……。もっとたくさんの人に春香の優しさや良い処を知って受け入れて欲しい……)
春香は人参を手にカームに近付いた。
「カーム、オヤツだよ〜」
カームは一瞬、春香を舐めようとしたのか舌を出したが人参を見ると視線を移してボリボリと齧った。
「ねぇ、カーム。菊花賞に出られるかも知れないんだって。雄太くんとG1だよ? 頑張って欲しいなぁ〜」
雄太は小さな声でカームに話しかけている春香を見詰めた。
(何を話してるんだろ? てか、春香の前で騎乗依頼もらうとは思ってなかったな……。菊花賞獲りたい……)
「雄太くん」
春香が声をかけると考え込んでいた雄太が顔を上げる。春香は人参をやり終えてカームの鼻面を撫でていた。
「カームね、雄太くんと一緒にG1頑張るって」
(え? カームが? いやいや、相手は馬だぞ? 言葉が通じる訳ない……よな……?)
しかも、まだ出走出来ると決まってないのだ。登録馬が多ければ抽選になるのだから。
「ねぇ〜、カーム。頑張るもんね」
そう言った春香をカームはまたしてもペロペロと舐めだした。
「おまっ‼ カームっ‼ 春香は俺のだって言ったろっ‼」
周りに居た厩務員達もゲラゲラと笑い出す。
(雄太ちゃんは今までに居なかったタイプの騎手だって思ってたが、本当に良い雰囲気を作ってくれる。辰野調教師が惚れ込むはずだ)
少し離れた所から見ていた静川は笑って頷いていた。




