254話
10月16日の京都新聞杯に出走したカームは残念ながら六着だった。
(何でだろう……。もっと前に行けたはずなんだ。乗り方悪かったかなぁ……)
カームの調子は悪くなかった。雄太も精一杯騎乗した。それで掲示板を逃してしまったと言う悔しさが胸を占める。
「そんなに気に病まなくて良い。競馬は、その時の運もある。他の馬が調子が良かったら負ける事もある。雄太ちゃんなら分かってるだろ?」
静川は納得が行かない顔をする雄太の肩をポンと叩いた。
「はい……」
「カームの様子を見て、次走を考えるぞ」
「はいっ‼」
(反省しても引きずらない。まだカームには次がある。次に繋げるんだ)
そんなやり取りをして、いつものように春香の自宅に帰り、録画をしておいてもらったビデオを何度も見直した。
(大丈夫だ。カームを信じよう。カームはもっともっとやれるはずだ)
真剣にビデオを見入る雄太の姿を見ていた春香は
(格好良い雄太くんだぁ……)
と、頬を赤らめていた。
✤✤✤
10月18日(水曜日)
春香は静川厩舎を訪れていた。
「市村くん、わざわざ悪いね」
「いいえ。午後は予約入ってなかったので気になさらないでください」
昼を過ぎた頃、静川は右肩に違和感をおぼえた。
(う……ん? 肩コリ……じゃないな。何だ、これは……。筋肉が強張ってるような……)
腕を上げようとすると重さを感じた。同時に首や肩甲骨辺りにも張りを感じた。
マッサージを受けた方が良いかと思った静川は、せっかくならと東雲に電話をした。
『お電話ありがとうございます。東雲マッサージ店です』
「ん? その声は……市村くんか? トレセンの静川なんだが……」
『え? あ、静川さん。どうかされましたか?』
静川は簡潔に肩の状態を話した。
『分かりました。今、手が空いてるので伺います』
「え? あ、いや。市村くんに来てもらうような事もないかと思うんだが……」
『えっと……あ、この前、馬に会わせてもらったお礼と言う事で』
少し考えて言った春香の言葉に静川は声を押し殺して笑ってしまっていた。
(こ……この子は……。神子とまで呼ばれているのに、馬に会わせてもらった礼に出張をする? 何て子なんだ)
調教に差し障りがあっては困るでしょうと言われ、静川は春香に出張してもらう事にした。
(調教に差し障りがあれば、雄太ちゃんにも影響がある……。そんな処かな?)
静川は、肩や首そして肩甲骨辺りまでをゆっくりと解している春香のほわほわした雰囲気に、日々張り詰めている自分の心まで解き解されている気がしていた。
「かなり無理されてますね。お時間に余裕がないのは分かりますが、ゆっくりお風呂に入って温めて血行を良くしてくださいね?」
「ははは。つい削れる時間があれば……って思ってしまうんだよ」
静川は子供が小さい頃に肩叩きをしてもらっていた時のような温かい気持ちがしていた。
「それは分かりますけど。でも、調教師の方が体調が悪かったりして調教や指示が出来なかったら、馬主さんも騎手の皆さんも困りますよね? 調教は助手さんに任せてらっしゃる方もいらっしゃるそうですけど。それでも調教師さんの体調は万全の方が良いですよね」
(この子は……本当に雄太ちゃんと知り合ってから競馬を知ったのか……? いや……。騎手と付き合っているからだとしてもだ……。ここまで理解が出来るものなのか……?)
自分の背後でゆっくりと話す春香に『なぜ?』と言う疑問がわく。
(雄太ちゃんは自分の方が惚れてると言っていたが、この子も相当雄太ちゃんに惚れてるんだな……。この子なりに雄太ちゃんのフォローをしようと勉強してるんだろう。辰野調教師も、そう言う部分が分かったからこそ、雄太ちゃんとこの子の付き合いに理解を示してるんだろうな)
ゆっくりとではあるが確実に消えて行く違和感。軽くなって行く首や肩。
(本当に良い腕をしてる……。『東雲の神子』……。噂は本物……それ以上だな)




