247話
雄太が北海道へ遠征に行って一ヶ月が過ぎた。
雄太は順調に勝鞍を上げていたが、レースが終われば春香の事を考える時間が日に日に増えていた。
(春香に会いたいな……。一度、滋賀に戻ろうか……? けど、そんな事をしたら俺じゃなく春香が悪く言われる……。阪神開催が始まれば帰れる……よな? 函館の騎乗依頼が継続したら無理だけど……)
ほぼ毎日電話で話して何とか気持ちを落ち着けてはいたが、気が付くと会いたい気持ちが湧き、ミニアルバムの春香の写真にスリスリと頬擦りをしている所を純也に見られドン引きされた。
「……そんな雄太、初めて見たぞ……」
そう言ってそぉ〜っとドアを閉めて立ち去られた時は、穴があったら入りたいぐらいに恥ずかしかった。
鈴掛も梅野もだが、純也までが小倉や福島で騎乗依頼があり、北海道を離れる事もあったのだが、なぜか雄太だけは北海道での騎乗依頼がありずっと滞在していた。
(まさかとは思うけど……父さんが裏から手を回して、北海道での騎乗依頼を集中させて、俺を北海道に閉じ込めてんじゃないだろうなっ⁉)
そんな事が出来る訳はないと思っていたが、春香に会いたい欲マックスの雄太はあれこれと考えてしまい宿舎の床にゴロゴロと転がっていた。
(駄目だ……。ちょっと外の空気でも吸って落ち着こう。春香に送る絵葉書でも買ってこようかな……)
そう考えて財布をポケットに突っ込み、階段を下りていると食堂の方が騒がしい事に気が付いた。
(何だ? また昼間から酒盛りでもしてるのか?)
自分より年上の成人している先輩達の中には酒好きも多く、朝から呑んでいる人も居るので珍しくも思わず食堂の方へ向かってみると、純也と同じく先週から合流した梅野とバッタリ合った。
「おぉ〜、雄太ぁ〜。何か騒がしくないかぁ〜?」
「俺も気になったんですよ」
二人揃って食堂を覗き込むと先輩騎手である小柴が長椅子の上で痛みを訴えていた。
「小柴さん、どうかしたのかぁ〜?」
梅野は近くに居た人に訊ねると、出かけようとした小柴が階段を踏み外したと言う事だった。
「落ちたのは数段だったから足首を捻っただけじゃないかって」
「それにしては痛そうだよなぁ〜? てか、小柴さん週末も乗るんだよなぁ〜?」
「ああ、五鞍だったかな?」
そんな会話をしている梅野の後ろで雄太は何も言えず黙って立ち尽くしていた。梅野は振り返り雄太の肩を叩いた。
「雄太、とりあえず外に行くぞぉ〜?」
「え……。あ、はい」
梅野は雄太の腕を掴んで宿舎の外へ出た。
(まぁ……小柴さんは雄太にとっては天敵みたいなモンだからなぁ……)
梅野は俯き加減で歩く雄太を見た。
小柴は雄太にとって良い先輩騎手ではなかった。若くして注目されているのが気に入らないのか、自分のリーディング順位を脅かすのが気に入らないのか……。はたまた、自分の馬を雄太に乗り替わりされるかもと言う焦りからか、何かにつけ雄太に嫌味を言ったり、嫌がらせをしていた。
救いがあるとしたら、小柴は美浦の厩舎の所属であり、普段顔を合わせる事が殆どない事だ。
「雄太、前見ろってぇ〜。そのまま行くと電柱にぶつかるぞぉ〜?」
「え? あ……」
雄太は、ゆっくり顔を上げて電柱を避けた。
調教師との関係もだが、騎手の上下関係は厳しい。小柴に意見出来るのは、いつものメンバーでは鈴掛くらいだ。
(嫌な気持ちだ……)
雄太に恋人が居るのは関西の騎手だけでなく関東の騎手も知っている。もしその中に春香が『東雲の神子』であると知っている人間が居て、小柴の為に呼べと言われたら断れるだろうかと思うと、何とも言えない気持ちが雄太の胸の中に広がった。
(仲の良い人なら良い……。春香も手が空いてるなら来てくれるかも知れない……。でも……俺は……そんなに人間出来てない……。春香が小柴さんに触れるのも嫌だ……)
ベテランと言う立場、誰も注意をしない事を良い事に陰湿なイジメをする人間を助けたいなどと思う人間が世の中にどれだけ居るだろうか。
雄太は連れ出してくれた梅野に感謝しながらあてもなく歩いていた。




