244話
買う物を鈴掛が会計をして、郵送の手配をする。送り先は『東雲マッサージ店市村春香』宛。
雄太は店の品物を見ている振りをする。後をつけて来た記者らしき人物は、店内の離れた所から雄太達をチラチラと見ていた。
(鈴掛さんが送っている相手が俺の恋人とは思ってないんだろうな)
宿舎を出る前に雄太は会計と郵送の手配を鈴掛にお願いして、後で支払う約束をしていた。
交際宣言はしたが春香の身バレは嫌だと思っていたので、面倒をかけるのを謝罪して鈴掛を頼った。
「鈴掛さん、助かりました。ありがとうございました」
「良いさ。俺だって春香ちゃんがマスコミにもみくちゃにされるのは嫌だからな」
二人は店を出た後、海鮮の店で昼食をとり宿舎に戻った。
その頃、春香はトレセンに居た。
辰野が可愛がっている騎手が調教中に腰を痛めたと連絡が入り、トレセンの辰野厩舎を訪れていたのだ。
「いかがですか? 楽になりました?」
「あぁ……。楽になったよ。済まないな、わざわざ来てもらって」
「いいえ。辰野調教師のご紹介ですから」
厩舎に置いてある長椅子に横になった小園は痛みが治まってホッと息を吐いた。
「小園」
「あ、辰野調教師。ありがとうございます。良い方を紹介してもらいました」
ドアを開けて辰野が顔を見せた。辰野はパイプ椅子を引き寄せて、首にかけていたタオルで汗を拭う。
「良いさ。遠征に行ってからじゃなくて良かったな。さすがに市村くんに小倉に行ってくれとは言えんからな」
「そうですね。市村さん、本当にありがとう。助かりました」
ベテランと言われる歳であろう小園は優しい笑顔を春香に向けた。
「いえ、仕事ですから。じゃあ、湿布してもらってください」
春香は手を洗って外の空気を吸いに出た。馬房から聞こえる馬の鳴き声を聞きながら北の空を見上げていた。
(雄太くん、どうしてるかなぁ……)
「おい、お前」
ふいに声をかけられる。
「え? あ……」
声がしたのは下の方から。視線を下げると小学校低学年と思しき男の子が立っていた。
「えっと……私に何か用?」
「おう。雄太兄ちゃんをたぶらかした魔女」
春香は小さな男の子の言うセリフではないなと思った。恐らく大人が言っていた言葉をそのまま使っているのだろう。
(それにしてもたぶらかした魔女って……)
本人は真剣なんだろうと思いながら膝を折り目線を下げた。雄太は一人っ子だと聞いていたのに『兄ちゃん』とはどう言う事なのだろうかと訊ねる。
「えっと……君は雄太くんの弟?」
「違う。俺は小園健人だ」
(小園……? あ、小園さんのお子さん?)
よく見れば小園によく似ていた。
「雄太兄ちゃんをたぶらかした性悪女は罰が当たるんだぞ」
「えっと……小園くんは雄太くんの事が好きなんだね。雄太くんみたいな騎手になりたいとかかな?」
「おう。雄太兄ちゃんみたいな騎手になるんだ」
小さな子供の言う事。怒る気にもなれずに話しかけると健人は少し顔を赤くしながらも得意気に両手を腰にあてながら答えた。
「そっか。小園くんならなれる気がするな」
「なれる気じゃなくてなるんだ」
「うん、そうだね。じゃあ、小園くんが騎手になったらサインくれる?」
「サ……イ……ン?」
一気に照れくさそうな表情になった健人に、春香はニッコリと笑った。
「私、雄太くんにもサインもらったんだよ。小園くんのサインも欲しいな」
「わ……分かった。サインしてやる。だから、雄太兄ちゃんをたぶらかすなよっ‼」
健人は、そう叫ぶと走り去った。
(性悪女……。罰が当たる……かぁ……)
春香はそっと施術服の下の左腕の傷跡を右手で押さえた。きっと大人達は何気なく言っていたのだろう。そして、健人は聞いたまま口にしたのだと思う。
大人に面と向かって言われるよりはマシだったかも知れないと思いながら、春香はもう一度北の空を見上げて函館に居る雄太を想った。




