236話
夕方、慎一郎は早目の晩酌をしながら昼間の雄太の言葉や辰野の言葉を思い出していた。
(雄太は……)
いつまでも子供な訳はない。それは分かっていた。自分で考え行動し自分で責任を負うのが大人だと言うならば、雄太は大人なのだと思った。
「俺は現状の関係を良く思ってない。調教師が一番偉いんじゃないって言ったら怒られるのは分かってる。けど、調教師あっての馬主や騎手。馬主あっての調教師や騎手。騎手あっての馬主や調教師。誰が上で誰が下とかじゃなく、一緒に手を取り合って、重賞だけでなく勝った喜びを分かち合いたいんだ。俺は変えたい。変えて行きたい。どれだけ時間がかかっても」
真っ直ぐな強い強い瞳で語る競馬界の未来。自分達も騎手であった頃、理不尽な調教師達に嫌な思いをさせられたのに、いつの間にか同じような事をしてしまっていた。
辰野も何度も言っていたのに、結局変わろうとしてなった自分と、まだ二十歳にもなっていない息子との差を思うと、情けなさに深い溜め息を吐くしかなかった。
「まだ、昼間の事を考えているのですか?」
エプロンを着けたままの理保が慎一郎の前の席に座った。コトンと湯呑みを置いて一口飲んで微笑んだ。
「ん? まぁ……な」
慎一郎はそう言って猪口に注がれている日本酒を見詰めた。
「あなたは、あのお嬢さんと会って話してどう思われましたか? 私は収入があると言うのに派手な処がなく、真面目でしっかり自分を持っている良いお嬢さんに思えましたよ?」
「そう……だな……」
声を荒げる事もなく、淡々と自分の思いを話していた春香。端々に雄太への想いが溢れていた。
(若いのに深い深い愛情を持った女の子……か……)
帰り際、慎一郎が差し出した見舞い金を春香は丁寧に断った。
「なぜだ? 儂からの金は受け取れんと言う事か?」
「いいえ。私は自らの意思で雄太くんのお父様を庇ったのです。自らの意思で怪我をしたのと同じなのです。お見舞いのお気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします」
そう言って深く頭を下げた春香に何も言う事が出来ずにいた。
「あのお嬢さんは、施術に一千万円出すと言われても断った事があるそうですよ。梅野くんが教えてくれました」
「一千万……だと……?」
慎一郎の手がフルフルと震えた。
「ええ。どれだけの金額を提示されても揺るがない子だと言っていました。写真週刊誌に載っていた姿を見たでしょう? 飾り気のない姿で楽しそうにソフトクリームを食べてる姿が派手な生活をするような子に見えましたか? 堅実なお嬢さんですよ」
(そう言えばそうだったな……。儂は、あの子の姿を写真で見ていたはずなのに……。なぜ見えていなかった……? やはり……鱗が張り付きまくってたのだな。情けない……)
理保はお湯呑みを手に、春香の姿を思い出していた。
「私は、あのお嬢さん……春香さんが雄太のお嫁に来てくれたらって思ってますよ。二人とも頑固な処があるようですけど、しっかりしてますしね。考えてもみてください。若い子なら、その時楽しければ良いでお付き合いしていてもおかしくはないでしょう? それを雄太は、ちゃんと将来を考えているのです。しっかりした子に育ったと自慢して良いですよ。お父さん」
(儂は……)
慎一郎は見詰めていた猪口の酒をグイッと呑み干し、小さく溜め息を吐いた。
(雄太が結婚を考えてる……か……。生意気な……)
「あら、久し振りに笑った顔を見ましたよ?」
「ん? 儂は、毎日そんなに仏頂面だったか?」
「ええ。G1が続く頃はいつもですから慣れましたけど」
理保と結婚をしてからと言うもの、騎手時代も調教師をなってからも、G1の季節になると難しい顔をしていた事に今更気付いた。
「そう言えばあの子はいくつなんだ? 雄太と同い年か一つ二つ下か?」
「え? 三つ上ですよ?」
「はぁっ⁉」
慎一郎は空になっていた猪口を手落とした。
(まぁ……あのしっかりした感じは歳上か……。しかし……)
寝る直前まで慎一郎は悩み続けていた。




