234話
「なぁ、市村くん。君が雄太を怪我させたくないのは分かった。だが、調教師や他の人間の事まで思ってくれたのはなぜかね?」
辰野の声色は春香に向けると優しくなる。
「雄太くんが競馬を愛してるからです。自分の愛してる競馬に関わる人々が怪我をしたら雄太くんが悲しむじゃないですか。雄太くんが、日々言葉の通じない馬達に向き合い頑張ってくださってる調教師さんや厩務員さんを大切に思っているから……です」
そう言って春香は隣に座っている雄太を見詰めた。
「それだけじゃありません。寮で雄太くんや騎手の方達のお世話をしてくださってる皆さんも飼料屋さんも馬主さんも牧場の方々もです。競馬場で働いてる方々もです。競馬に関わる全ての方々が大切なんです。全て……私が大切に想う雄太くんに繋がってるんですから」
「君は……」
慎一郎はジッと春香を見た。大人しそうで、まだあどけなさの残る少女のような顔をしていると言うのに、自分達のような男達の前でもはっきりと言葉を紡ぐ強さを持ち、雄太に繋がる全てを大切と言う優しさをも持っている。
(儂は……)
「それと私から言いたい事がありますがよろしいですか?」
黙って春香の言葉を聞いていた直樹が、キッと慎一郎や調教師達を怒りに満ちた顔を向けた。
「あなた方が、うちの娘に対し『金目当て』と言った事は聞いています。冗談は止めていただきたい。鷹羽くんが初めて施術に来た時は騎手免許の交付前でした。つまりは学生だ。その学生の金目当て? 鷹羽くんがデビュー戦を見に来て欲しいと……うちの娘に好意を抱き始めた頃の金目当て? あなた方は、いつ二人が付き合い始めたかも分かっていない。それでどうして金目当てと言えたのですか? 私には分かりかねます。親としてどうかと思われるかも知れませんが、ここに居る大の大人の誰よりも、うちの娘は収入を得てます」
調教師達はお互いの顔を見合わせた。目の前に居る小さな女の子が、どう見ても自分や雄太より収入があるようには見えなかったからだ。
「お疑いのようですので、はっきり言います。うちの娘は十五歳の時点で、今の鷹羽くんの年収をはるかに超えています。体の事を気遣い施術の回数を抑えている状態でもだ。それさえなければ、女性の最年少億万長者として長者番付に名前が出る程だ。私が鷹羽くんに対し『娘の金目当てか』と言ったらあなた方はどう思われるのか訊きたいぐらいなんですよ。娘を……『東雲の神子』を舐めないでいただきたい」
調教師達がゴクリと息を飲んだのが分かった。
「『東雲の神子』……。この子が……」
「それじゃ……」
ヒソヒソと話す声が聞こえる中、辰野がハァと大きな溜め息を吐いた。
「慎一郎には言ったが……。あの日、市村くんがトレセンに来ていたのは儂の施術をする為だ。市村くんは酷いぎっくり腰をものの二日で普通に歩けるようにしてくれた。三日目には調教出来るまでにしてくれた。この子は本物の東雲の神子だ。メジャー球団からも専属オファーがある東雲の神子が新人騎手の金目当て? 冗談もやすみやすみに言えっ‼」
「それは……知らなくて……」
モゴモゴと言う調教師達の答えに、辰野がテーブルを拳でドンっと叩いた。
「お前達は知らなかったんじゃないっ‼ 知ろうとしなかったんだっ‼ 調教師が思い込みや先入観で判断するとは何事だっ‼ 物言わぬ馬ではなく、一人の人間と話もせず、責め続け傷付けていたのだぞっ⁉ 市村くんだけじゃないっ‼ 期待をしていた雄太をもだっ‼」
辰野の怒号に反論出来る者は誰も居なかった。
「さて、先程の質問に答えていただけますか? 鷹羽くんはうちの娘の金目当てですか? それともマッサージの腕目当てですか? それとも……体目当てですか? どれも当て嵌まりそうですが……。もしそうならば、私は娘と鷹羽くんとの交際を許す訳にはいかないんですよ。娘が泣いて頼んででもです」
余程、腹に据えかねていたのか直樹は追撃の手を緩めなかった。
直樹の問いにも誰一人答えられる者は居なかった。




