233話
月曜日
春香と直樹は雄太の実家へと向かった。
実家に戻っていた雄太は神妙な顔をして、駐車場のゲートを開けて二人を待っていた。
「わざわざすみません……」
雄太は車を停めた直樹に頭を下げた。
「良いよ。君が謝る事じゃないだろ? 君のお父さんは休日とは言えトレセンから離れる事は調教師としてしたくないだろうと思って、俺と春香が君の実家で会うと言ったんだから」
「はい」
直樹にまで気を使わせて申し訳ない気持ちで雄太の心は乱れていた。しかも、冷戦状態の父から呼び付けられた上、春香達と話すと言うのだ。心穏やかでいられるはずがなかった。
「春香……」
「そんな顔しないで。ね?」
「うん……。その……父さんだけでなく他の調教師達も居るんだ……」
春香との交際を反対している調教師達も居る事を雄太は実家に戻るまで知らなかった。
「大丈夫。私、ちゃんと思っている事を話すから。雄太くんと一緒に居たいって思ってるし、決めてるから」
「分かった。本当に嫌だと思ったら言ってくれ。帰ってもかまわないから」
「うん」
雄太は春香の手をギュッと握り締めた。
春香と直樹が応接間に入ると慎一郎と複数の調教師達が居た。
「その……怪我の方は……?」
春香と直樹が座るのを待って、慎一郎が言い難そうに切り出した。雄太は慎一郎の言葉が春香を傷付けやしないかと思いながら春香の隣に座った。
「先週の水曜日に抜糸は済みました。今は衰えた筋力を戻す為のリハビリをしています。本題に入る前に改めて御挨拶をさせていただきます。市村春香と申します。こちらは父です」
「東雲直樹です。訳あって今は市村姓を名乗って居ますが、市村春香は私の娘です」
二人揃って頭を下げた。
(やはり……東雲の……)
慎一郎も頭を下げた。
「鷹羽慎一郎です。病院へもご自宅へも見舞いにも行かず失礼をした。雄太から行くなと言われたので」
「いえ。私は、気にしておりません」
「なぜだろうか……? 君は儂を庇って怪我をしたのに」
春香はゆっくりと微笑んだ。そして、その場に居た調教師達を見回した。
「あの場に居た騎手の方、調教師や厩舎の方、誰一人怪我をされなかったからです。雄太くんのお父様は捻挫をされたと伺いました。それだけは残念でした」
「君は大怪我をしたのに……か?」
春香は笑って頷いた。
「あの時も言いました。あの場に居た方々は何十万人何百万人もの競馬ファンの人々の期待を背負っている方々ばかりです。その方々が怪我をしなかったのですから、私はそれで良かったと思っています」
春香は隣に座っている雄太を見た。
「何より……誰よりも大切な雄太くんが掠り傷一つなかったのですから」
「君は……あの場に居た人間と雄太を怪我させない為に自分が大怪我をして、それを良かったと……?」
「はい。雄太くんが怪我をするくらいなら、私はどれだけ怪我をしても構わないです。雄太くんが嫌だと言うのは分かっていますが、それでもです」
春香はキッパリと言い切った。
「その言葉を聞いても、まだ市村くんを悪しきざまに言うか?」
その声がした出入り口の方を皆が見ると、厳しい顔をした辰野が立っていた。
「辰野調教師……」
雄太が声をかけると、辰野は頷き応接間に入りドッカリと腰をかけた。
「雄太やお前達だけでなく、厩務員にまで怪我をさせまいとした市村くんをまだ悪女のように思っているのか? 下手をすれば片手が不自由になったり、命がなかったかも知れないぐらいの出血をする怪我を負ったのだろう? そんな彼女を金目当てだとまだ思ってるのか?」
警察の事情聴取を受けたミナは慎一郎を殺すつもりだったと供述した。それを知っている慎一郎は何も言えずに口をつぐんだ。
その『殺すつもり』が自分を庇った春香に向かったのだ。『死んでいてもおかしくない出血をした大怪我』は大袈裟ではないと言う事を慎一郎は誰より知っている。
ミナの向けた殺意が春香の命を奪う事になっていたかも知れないのだと思うと握り締めた拳が更に固く固くなって行った。




