230話
レース終了後、雄太は春香の自宅に向かった。
(もうちょっとだったんだけどなぁ……)
そんな事を思いながらドアを開けると春香が抱き着いて来た。
「うおっ⁉」
「おかえりなさい。お疲れ様」
抱き止めて顔を覗き込むと満面の笑みだった。
「そんな風にして腕は大丈夫なのか?」
「うん。雄太くん格好良かったぁ〜」
競馬に準優勝はない。それでも、春香は嬉しかったようで雄太の胸にスリスリと顔を寄せて笑っていた。
(二着でも、こんなに喜んでくれるんだ……)
雄太としては勿論一着になりたかったが、梅野の馬の強さを感じ素直に『おめでとうございます』と言えた。
梅野はニヤリと笑いながら
「まだ雄太には負けらんないからなぁ〜」
と言った。
「その内、俺の背中を見せてやりますよ。覚悟しておいてください」
「楽しみにしてるぜぇ〜」
ニッと笑いながら雄太が言うと梅野は答えて手を振りスタンド前へと向かった。
イケメンで女性ファンの多い梅野が勝利者インタビューを受けている時の黄色い歓声は凄まじかった。
(いつか……いつか俺もあそこに立つんだ)
雄太は梅野の勝利者インタビューを見ながら改めてG1優勝への気持ちを強くした。
「ん? カレーの匂い?」
開け放たれたリビングからカレーの良い匂いがしていた。
「うん。まだ野菜の皮剥きは一人じゃ出来ないから里美先生に手伝ってもらって作ったの。お肉屋さんから良いスネ肉が入ったよって聞いたから」
「……人参入ってる?」
「んもう〜」
楽しそうに笑っている春香を見ていると二日間離れていた淋しさが薄れていった。
食後、ソファーで話していると春香が小さく
「あ、忘れてた」
と言って立ち上がり寝室へと行った。
(ん? 何を?)
寝室から戻って来た春香の手には切り裂かれたキーケースと紐が切れた淡島神社の御守りがあった。
(これは……)
雄太の胸がキリキリと痛む。
「御守りのここ見て」
春香が御守りを指差した。そこには傷が付いていた。ミナのカッターナイフが作った傷だった。
「ごめ……」
謝ろうとした雄太の口を春香は右手で塞いだ。
「この御守りがなかったら、私の腕の傷もっと深かったんだって。もしかしたら、神経が切れて腕が動かなくなってたかも知れないって重幸伯父さんが言ってたの。雄太くんの御守りが私を守ってくれたんだね。だから……」
春香は雄太の口を塞いでいた手を下ろしてキスをして、唇を離すとジッと見詰めた。
「もう、自分を許してあげて?」
「あ……」
雄太がチラチラと頬や腕を見て、その度に悲しそうな顔をしているのに気付いていたのだ。
「私が雄太くんを守りたかったの。ほんの少しでも怪我をして欲しくなかったの。雄太くんが怪我をしたら記事になっちゃうでしょ? そしたら、雄太くんの過去を知りたがる人も居るでしょ? だから私で良かったの。御守りが守ってくれたから、これくらいの怪我で済んだの。だから、もう自分を責めないで?」
「春香……」
雄太はそっと春香を抱き締めた。
「ありがとう……。本当にありがとう……」
それ以外の言葉が見付からなかった。
(確かにそうだ……。ミナもまだ未成年だ……。春香に怪我を負わせても大々的に報じられる事はない……。けど、俺が騎乗出来なくなったら、新聞社や週刊誌が『なぜ?』って思って、色々探ってはずだ……)
あの時、春香がそこまで考えていたのかと思うと胸が熱くなった。
(もう、春香の気を病ませるのは今日限りにしなきゃな)
「抜糸はいつ?」
「え? 水曜日」
「そっか。なら、来週の月曜日はデート出来るな」
突然のデートの話に春香は目を丸くした。
「でも、春のG1戦線はまだ続くでしょ?」
「夏になったら九州か北海道に行くと思うから、今の内にデートしたいんだよ」
「うん」
雄太は腕の中で嬉しそうに笑っている春香の強さと優しさに、より一層惹かれていくのを感じていた。




