226話
6日(水曜日)
春香は無理矢理退院した。重幸からは『傷も貧血も酷いのに退院したいだとぉっ⁉』と叱られたが、病院で寝ているだけだと気が滅入るのだ。
「家に戻って体力回復したいの。散歩ぐらいしたい」
そう言った春香は重幸と直樹から
「「傷口が開いたらどうするっ‼ 抜糸が済むまで散歩禁止だっ‼」」
と、口を揃えてのお小言を喰らった。
(むぅ……。雄太くんにゆっくり会いたいんだもん。病院だと面会時間あるし。会えなくても電話で話すくらい出来なかったら、私のエネルギーが切れちゃう)
仕事復帰は未定のまま。腕の傷跡は施術服で隠せるが頬の傷跡はお客様にとって見て気持ちの良い物ではないからだ。
メイクで隠せるだろうが、仕事柄施術相手の服に触れてしまう可能性があるのでメイクで隠すのは無理だと思った。
「春香は病院で寝てるだけなんて性に合わないのよね」
唯一味方になってくれた里美が自分達の家で面倒を見るからと、退院を渋る直樹と重幸を説得してくれた。
仕事が終わった雄太とゆっくり電話で話せるのも嬉しかった。いつも雄太が仕事が終わった頃は春香は仕事中で電話する事はなかったが、夕方に電話で話せるのも、雄太の就寝時間を気にしなくて嬉しかった。
「退院出来たのは嬉しいけど、本当無理しないでくれよ?」
『うん。絶対無理はしない。約束するから』
前日、見舞いに訪れた雄太に春香は
「明日退院したら、ゆっくり話したいんだけど……駄目?」
と、おねだりをしてみた。
願ってもない可愛いおねだりに雄太は仕事終わりに公衆電話へと急いだのだった。
『月曜日、ゆっくり会えなかったから淋しいな』
面会時間内しか会えなかった春香が拗ねたように言う。
「分かった。明日から毎日仕事が終わったら会いに行くから」
『本当っ⁉ あ……でも……疲れてない……?』
嬉しい反面、雄太の疲れが気になった。
「大丈夫だよ。7時半には寮に帰るようにするし。てか、俺だって会いたいんだぞ?」
『うん。エヘヘ。嬉しい』
春香が会いたいと素直に言ってくれた事が嬉しかった。まだ、雄太の中にあった申し訳なさが少し薄れた気がした。
「てか、俺が行っても大丈夫なのか?」
『え? どう言う事?』
「だって直樹先生の家に居るって事で退院したんだろ?」
『昼間は自分ん家に居るの。読書したり、雄太くんのレースのビデオ見たりしてるよ』
会えない淋しさをビデオに映る自分で埋めているのかと思うと嬉しい気持ちがいっぱいになった。
(本当、可愛いんだから)
「じゃあ、明日は行く時に何か買ってってやるよ。何が欲しい? 遠慮はなしだぞ?」
『嬉しい。えっとね、イチゴが食べたいな』
「分かった。買ってってやるから大人しくしてるんだぞ?」
『うんっ‼』
久し振りにゆっくりと春香と話せて雄太の心は随分と穏やかになった。
(情けない話だけど、俺は春香が居ないと駄目だな……。春香と話すだけで疲れが吹っ飛ぶ気がするんだもんな)
明日は目一杯抱き締めて春香チャージするぞと心に決めて早目に休む事にした。
翌日、仕事を終えた雄太はウキウキとした気持ちで草津に向けて車を走らせた。
(んと……貧血には春香の好きな紅茶は良くないんだよな。良いって言う牛乳買って行ってやろう)
雄太は昨夜、貧血について調べたのだ。コーヒーや紅茶が良くないと知り、何が良いか調べていた。
(里美先生に買ってもらってるかもだけど、こう言うのって気持ちだよな)
スーパーに寄って春香のリクエストのイチゴ。そして牛乳とイチゴのアイスクリームを買い、そして駅前の花屋に寄って花を買った。少しでも癒されて欲しい。気持ちが穏やかになれるようにと。
春香の自宅のドアを開けると左腕を三角巾で吊った春香が満面の笑みで待っていた。
「雄太くん。会いたかった。」
雄太は荷物を持っていない左腕で春香を抱き締めた。春香の右腕が背中に回された瞬間、雄太は数日間の疲れが癒やされた気がした。




