225話
『慎一郎。お前の怪我は?』
「辰野調教師。大した事はなくて二日三日養生すれば良いそうです。ご心配をお掛けしました」
自宅に戻った辰野は、理保に慎一郎が事情聴取から戻ったら自宅に電話するように言っておいた。
自宅に戻った慎一郎は辰野の自宅に電話をした。辰野はスタンドに居た為、春香の状況を知らず、自宅に送ってくれた鈴掛に聞かされ胸を痛めていた。
『そうか。ところで、あの子は……市村くんは大丈夫なんだろうな?』
「さっき、雄太から連絡をもらった鈴掛が連絡をくれました。何針も縫ったそうですが、命に別状はないそうです」
『そうか。で? お前は見舞いに行かんのか?』
辰野に問われ慎一郎は言葉に詰まった。春香が慎一郎を庇った事を聞かされていた辰野は言葉も口調も厳しかった。
「……その……雄太が『来るな』と……。あの子を……市村春香と言う一人の人間を知ろうともしなかった私には会わせたくないと……」
『当たり前だっ‼ あの子は儂等調教師や厩務員にまで感謝が出来る子だと言うのに、お前は雄太の話も聞かずいたそうじゃないか。それに、今日あの子がトレセンに来たのは儂の施術に来てくれたからだぞっ‼ それをお前等は寄ってたかって責めたてたそうじゃないかっ‼』
事情聴取の後、雄太から聞かされた事実は慎一郎の胸に深く刺さった。自分達と顔を合わせると嫌な思いをすると分かっていたはずなのにトレセンに来て辰野の施術をして、挙げ句慎一郎を庇い大怪我をした春香に何と言えば良いか分からずにいた。
『お前達は雄太の為と言いながら、あの場にいた人々の為に命をかけて刃物を持った相手と対峙するような子を悪しきざまに言っていたのだぞっ⁉』
「はい……」
切りつけられても、足蹴にされても必死で戦っていた春香の姿は慎一郎の脳裏に焼き付いていた。
『お前は父親として雄太の何を見ていた? 調教師として雄太の何を見ていた? 雄太の調教や騎乗に何か悪くなった処があったか? あの子が悪影響を与えたと言えるのか? そもそもいつから付き合っていたか感じていたのか?』
「いえ……」
『騎手だって人間だ。人を好きになる事もある。若いからと決め付けて、期待しているからと自分達の思いを押し付けて雄太を傷付けていたんだぞっ⁉ 雄太が期待に答えられていたのは雄太の才能や努力だけじゃないとなぜ分からんっ‼ なぜ話を聞いてやろうとしなかったっ‼』
騎手時代から競馬に関しては厳しかった辰野は、自身が現役の頃、騎手を下に見る調教師が嫌で自分はそうなるまいとしていた。
だからこそ、騎手を下に見てプライベートまで口を挟んでいる慎一郎達のやり方が許せなかった。
『いくら雄太に才能があっても負ければ凹む事もある。騎乗数が増えれば体に疲れも溜まる。それを市村くんは支えていたのだぞ? お前の名前も競馬も知らなかった子がだっ‼』
「はい……。雄太にもそう言われました……」
辰野が大きな溜め息を吐いた。
『お前は良い騎手だったが、良い父親だったか? 雄太の才能を自分のおかげだと自惚れていなかったか? そんなお前が調教師として騎手の雄太と信頼関係が築けると思っていたか?』
「……それは……」
慎一郎は雄太に家でも調教師として話すのかと言われた事を思い出した。家と仕事を切り替える事をせず、雄太にプレッシャーばかり与えていたかと思った。いかに春香の存在が雄太には大切だったかと思い知った。
『まさかとは思うが、雄太への期待は雄太がもたらす賞金じゃあるまいな?』
「決してそんな事は……」
『なら良いがな。儂は雄太はまだまだ大きく育つと思っている。騎手として儂等が出来んかった事をしてくれると思っている。考えを改めんと我が子の雄太も騎手の雄太も、お前の手の届かん所に行ってしまうぞ? その時に後悔しても頑固者の雄太は帰って来んからな?』
「はい……肝に銘じてにおきます……」
久し振りに辰野にガッツリと説教をされた慎一郎は、雄太とも春香とも話してみないといけないと思った。




