219話
「君、ちょっと良いか?」
「はい?」
スタンドまで後少しと言う所で、春香は後ろから声をかけられ立ち止まり振り返った。
(あ……雄太くんの……)
そこに立っていたのは慎一郎だった。そして、その後ろには険しい表情をした年配男性が数人いた。
「人違いだったらすまないが……。君は鷹羽雄太の知り合い……だね?」
「……はい」
慎一郎や調教師達の威圧感に春香は両手を体の前でギュッと握り締めた。
「あんた、雄太ちゃんと一緒に写真撮られた子だろ?」
「何で職場にまで来てるんだ?」
「ここは遊びに来るような所じゃないと分からんのか?」
「雄太ちゃんは、まだ仕事中なんだぞ?」
口々に責められ春香は少し後ずさりをした。
歳はいってるが勝負の世界の人間。しかも、自分に対して悪意を持っているのが分かっている相手。
「あ……あの……私は……」
辰野に施術をする為に来たのだと言おうとした時、調教師達の背後から若い女の子の声がした。
「やっと見付けたっ‼」
その声に慎一郎や調教師達が振り返った。そこには刃を出した大きなカッターナイフを持った女の子が立っていた。
「お……お前は……」
(だ……誰……? 雄太くんのお父さんは知ってる……?)
慎一郎は大きく目を見開いた。女の子はゆっくりとカッターナイフを構えて近付いて来たので、さすがの調教師達もズリズリと後ずさりを始めた。
「あんたが邪魔するからっ‼」
女の子の振りかざしたカッターナイフを避けた慎一郎が縁石に足をとられよろけた。
「危ないっ‼」
咄嗟に慎一郎を庇った春香のカーディガンがザックリと切り裂かれた。
カチン
カーディガンのポケットの中にあったキーケースに当たり、カッターナイフの刃が折れた。
(な……何なの……。この女の子から感じるのは……殺意……)
「お前は何なんだよっ‼ 邪魔すんなっ‼」
ワラワラと人が集まっては来たが、大きなカッターナイフを見て距離をとるしかなかった。
騒ぎを聞きつけ、雄太達も駆け寄って来た。人集りの中心には、倒れ込んだ慎一郎と慎一郎を背に庇っている春香がいた。
「春……え……? ミナ……?」
「こいつのっ‼ ……雄太……?」
春香に声をかけようとした雄太が固まった。そして、『ミナ』と呼ばれた女の子は雄太を見た。
「雄太くん……」
「『雄太くん』? あ〜。あんた、雄太と一緒に写真に写ってた女か」
小さく呟いた春香に注がれるミナの敵意と殺意。
「雄太の好みって、こんな子だったっけ? サラサラの髪が長くて可愛くて大人しい、いかにも女の子って感じ?」
ミナは折れたカッターナイフの刃をカチカチと言わせながら伸ばした。
「雄太くんっ‼ 来ちゃ駄目っ‼」
春香の叫びにミナが振り向き雄太を見た。ミナに飛びかかろうとした雄太は直樹に羽交い締めにされた。
「直樹先生っ⁉」
「動くなっ‼ 春はお前に怪我させたくないんだっ‼」
「でもっ‼」
雄太は何とかして直樹の手から逃れようとするが、体格の差もありジタバタするだけだった。
「皆さんも来ないでくださいっ‼ あなた方は人々の期待を背負ってるんですっ‼」
「何言ってんだよ、お前っ‼」
ミナが春香を睨み付けた。春香もキッと睨み返した。
何とかしてミナを止めようとしていた人達が止まる。春香は背後に慎一郎を庇いながらゆっくりと立ち上がった。
「ここに居る人達は、競馬が好きな人々の期待を背負っている人達よ。誰一人として怪我させる訳にはいかない」
「はぁ? 何訳の分かんない事言ってんだよっ⁉」
ミナはカッターナイフを振り回した。春香は上手く避けながら慎一郎から離れる。
「避けんなよっ‼ ここに居る奴等の代わりに、あんたを切り刻んでやるよっ‼」
(何か……何かない……? 何か……カッターの刃を防げるような物……。そう言えばさっき……)
春香は切り裂かれたカーディガンのポケットに手を入れた。




