217話
「なぁ、雄太」
「何ですか? 調教師」
「答えたくないなら答えなくても良いんだが……。春香さんとやらは、どんな子なんだ?」
辰野は苦笑いのような顔をしながら訊いた。やはり、気にはなっていたのだろう。
「優しい女性ですよ。でも、厳しさや強さももっています。何よりも俺の事を大切にしてくれて、自分より優先してくれてます」
「ほう……。春香さんはいくつなんだ?」
「俺より三歳上です」
雄太の話を聞いていて歳上だろうとは推測出来たが、たった三歳上とは思えないと辰野は思った。
「初めてG1に出て勝てなかった時に『調教師や厩務員さんにも感謝だね』って言えた女性です。でも、可愛くて歳上に思えない純粋なところのある女性です」
「ほう。競馬に詳しい子なのか?」
「いいえ。鈴掛さんや梅野さんとは付き合いは長かったそうなんですが競馬の話をした事は殆どなかったそうです。競馬をちゃんと見た事もないと言ってました」
辰野は春香が競馬を知らなかったと聞き驚いた。
(競馬を知らない子が儂や厩務員に感謝……? 何でそんな事が言えるんだ……? そんな子が雄太の彼女とはなぁ〜)
「良い子なんだな。余程、お前に惚れとるんだなぁ〜」
辰野はニヤリと笑った。雄太の顔が赤くなった。
「俺の方が惚れてますよ。春香以上の女は居ないって思ってます。まだガキの俺が言っても、世の中の女を知らないだろうって言われるかとは思いますけど」
「そうか、そうか」
春香の話をすると年頃の男の子らしい顔をすると思った辰野は少し安心した。
(雄太の若さでそこまで思える女に会えたのは良かったかどうかなんて今は分からんが、雄太の為になってる事は間違いないんだろうな。儂は雄太を信じとる。その信じた雄太が信じとる女の子だ。会うのが楽しみだな)
トレセンに着いた春香と直樹は鈴掛の案内でスタンドに上がった。長椅子に横になっている辰野に二人は揃って頭を下げた。
「初めして。東雲マッサージの市村春香と申します」
「東雲直樹です」
「こんな格好ですまんね。辰野です」
持参した施術道具の入った大きな籠を二つ床に置くと春香は着ていた水色のカーディガンを脱いで籠の上に置いた。そして辰野が横になっている長椅子の横に膝をついた。
「さっそくですが見せていただきますね。上の服を脱いでうつ伏せになる事は出来ますか?」
「ああ。イタタ……」
辰野は痛みに顔を歪めながら起き上がろうとした。
「雄太くん、鈴掛さん、直樹先生。手を貸してあげてください」
三人が手を貸して起き上がらせると春香はバスタオルを長椅子に敷いた。そこへ、ゆっくりとうつ伏せになりながら辰野はチラリと春香を見た。
(ふむ……。この子は来た時はふわふわした感じがしてたのにな。この短時間に感じが変わったような……? 気の所為……か?)
辰野は初めましてと挨拶をした時の春香と指示を出し始めた春香が違って見えた。
「施術場所がこんな場所ですし、ジェルが多少ズボン等に付いてしまうかも知れませんがご容赦ください」
春香は籠の中からジェル等を出しながら辰野に話しかけた。
「ああ、構わんよ」
「では、失礼します」
春香はうつ伏せになった辰野の背中にゆっくりと指を這わせた。
「今までも何度かこのような状態になられた事はありますか?」
「ああ、両手両足の指じゃ足りんぐらいにな」
「お仕事柄、腰に負担がかかりますよね」
そう言った後、黙ってしまった春香の顔を覗き見た辰野は言葉が出なくなった。
(な……何だ……? この子の雰囲気は……。さっき雰囲気が変わったと思ったのは気の所為じゃないな……)
「……分かりました。では、施術を始めます。時折、痛みが走ります。我慢出来なかったら遠慮なくおっしゃってくださいね?」
辰野はキリッとした顔をした春香に頷いた。
(不思議な子だな……。若い……少女のような子なのに、この安心感はなんだろう……)
雄太達は近くの長椅子に腰掛け春香の施術を見守っていた。




