216話
4月に入り桜の蕾が少しずつ大きくなって来た。
雄太は3月にはG3を勝ち、更には桜花賞の騎乗依頼を受けていた。
(桜花賞……獲りたいな……。とりあえず出場馬の癖を頭に叩き込んでおかないと…)
そんな事を思いながら人が殆ど居なくなったスタンドを歩いていると、辰野が壁に手をついてしゃがみ込んでいるのに気付いた。
「辰野調教師っ⁉ どうしたんですかっ⁉」
雄太は辰野に駆け寄った。辰野は額に脂汗を浮かべて腰を押さえていた。
「お……おう、雄太か。さっき調教師室で立ち上がった時に腰にビリッと来てな……。大丈夫かと思ってたんだが段々と痛くなって動けなくなってな……」
「ぎっくり腰……ですか?」
「そうだと思う……」
元騎手である辰野は身長は雄太より低いが体重はある。一人で支えて二階から降りられるだろうかと悩んだ。
(俺だけじゃ無理だ……。万が一、二人で階段を転げ落ちたらシャレになんないしな。他の人を呼んで来るか……)
「雄太? 何して……辰野調教師どうしたんですか?」
声をかけて来たのは鈴掛だった。
鈴掛は雄太の前でしゃがみ込んでいる辰野に気付き、駆け寄ると辰野の前に膝を着いた。
「鈴掛か……。腰やっちまってな……」
「調教師前にもやってましたよね。てか、その体勢が楽なんですか?」
「いや……。足が痺れて来たし、横になった方が楽かとは思うんだが立てなくてな……」
鈴掛は頷くと雄太を見た。二人なら階段を下りる事は出来るかも知れないが根本的な解決にならないと思った。
「とりあえず長椅子の方に行きましょう。雄太、そっちの肩を頼む」
「分かりました。調教師立ち上がりますよ? 慌てないで、ゆっくりと」
「ああ、すまんな」
二人の肩を借り、辰野はゆっくりと立ち上がった。
「ん……。ぐ……」
痛みに顔を歪める辰野を少し離れた長椅子に横にならせる。
「調教師楽な姿勢を取ってください」
「ああ……」
雄太に言われ辰野が少しずつ体勢を変えた。
「ふぅ……。この体勢が一番楽だな」
「じゃあ、そのままでいてください。対処考えますから」
そう言った鈴掛は雄太を見た。
「雄太、春香ちゃん来れないか?」
「え? 春香……ですか……?」
まだ数人、春香を悪く言っている調教師達が居るトレセンに来させる事を迷った。
(もし……春香に何か言う人が居たら……。いや、そんな事を言ってる場合か……? この状況を春香が知ったら何て言う……?)
雄太に良くしてくれていて、春香に悪意を持っている訳ではない辰野。その辰野をこのままにしておいたら春香は怒りそうな気がした。
「調教師ちょっと待っていてください」
雄太はそう言って公衆電話へと走った。
『お電話ありがとうございます。し……』
「里美先生、鷹羽です」
『鷹羽くん。……急患?』
雄太は仕事中であろう時間帯だと知っている里美が何かを察して訊ねた。
「ええ。俺が世話になっている調教師がぎっくり腰らしくて動けなくなってしまったんです」
『分かったわ。今、春香は手が空いているから直ぐ向かわせるわね。トレセンで良いのね?』
(本当、里美先生は話が早い。説明しなくても的確な判断をしてくれる)
「はい。お願いします」
そう言って受話器を置くと雄太は鈴掛達の所へ戻った。
「調教師もう少しの間我慢してください」
「雄太。春香ちゃんと言うのは?」
「前に話した俺の彼女です」
「あぁ……。そう言えば草津でマッサージ師をしてると言ってたな」
辰野は思い出しながら言った。
「ええ。今から来てくれますから。腕は確かです」
「調教師。雄太の彼女の腕は俺も保証しますよ」
「そうか、そうか。鈴掛の保証も付いてるのか」
横になり、少しは楽になったのか辰野は少し笑う余裕は出たようだった。
しばらくして鈴掛は春香達を迎えにスタンドを出て行った。




