190話
(は……初めてパジャマ姿の春香を見るんだ……よな……。女の子のパジャマ姿……。想像しただけで……ヤバいぞ……)
心臓がバクバクと音を立てる。
(落ち着け、俺……。落ち着け、俺……)
そう思って何度も何度も深呼吸をする。それでも、中々落ち着かない。
(絶対にっ‼ 絶対にガッついたら駄目なんだぞ……? 優しく優しくしないとな……?)
しばらくしてドライヤーの音がやみ、脱衣所のドアが開いた音がして足音がした。そして、リビングのドアが開いた。
(あ……。可愛い……)
水色のフワフワした生地のパジャマを着て、髪をゆるい三つ編みにした春香がこちらを見て笑った。
ドクンドクン
雄太の心拍数が跳ね上がる。
(髪を下ろすとこんな感じなんだ……。ポニーテールも良いけど、こんな感じの髪型も可愛くて良いな……)
髪が長いと色々アレンジが出来ると言う事に今更気付いた雄太。
(また違う髪型も見たいなぁ〜。本当なら正月は着物を着るって言ってたっけ? 着物姿も見たいなぁ……。浴衣とかも良いよな。夏祭りとかは……無理だよな。いや、日曜日レースから帰って来てから行けるお祭りもあるかも知れない)
色々と妄想は膨らんで行く。
(あ……そうだ)
「アイスコーヒーありがとう」
「うん」
春香は笑顔で答えると冷蔵庫に向かい烏龍茶をコップに注いで、雄太の隣に座った。
その瞬間、ふんわりとシャンプーの香りがした。それだけで、また緊張してしまう。
(えっと……えっと……)
何か話そうとは思うのだが、緊張からか言葉にならない。
(何か……。何か言わなきゃ……。何にも思い付かないっ‼)
春香も同じなのか黙って烏龍茶を一口飲んだ。
(俺、本当ダメダメだな……。上手く話が出来ない……。何も思い付かない……。梅野さんだったら、こう言う時、何て言うんだろ……? 参考に訊いておけば良かった……)
その時、除夜の鐘が鳴り始めた。
「あ……1987年が終わるね」
「ああ」
毎年聞いていた除夜の鐘が、いつもと違って聞こえる気がした。
「なぁ、春香」
「なぁに?」
雄太は持っていたアイスコーヒーのグラスをテーブルに置いた。
そして、春香の方を見る。春香も雄太を見上げた。
「俺と出会ってくれてありがとう。俺を好きになってくれてありがとう。俺と一緒に夢を追い掛けてくれてありがとう。今ここに居てくれてありがとう」
雄太の言葉に春香の目が潤む。
「雄太くん、私が言いたい事を先に言っちゃうんだもんな」
春香は烏龍茶のグラスをテーブルに置いて雄太の手を握り締めた。
「雄太くん。私を好きになってくれてありがとう。私を暗闇から引き上げてくれてありがとう。私に人を好きになる事を教えてくれてありがとう。私の傍に居てくれてありがとう」
雄太もギュッと春香の手を握り締めた。
初めて会った時には想像もしなかった。
あの日、雪が降ってなかったら……。
雄太が捻挫しなかったら……。
春香がマッサージ師になっていなかったら……。
今、こうして二人で除夜の鐘を聞いている事はなかった。
「俺、春香に出会えて本当に良かったって思ってる」
「私も。雄太くんと出会ってなかったら知らない事だらけだったよ」
たくさんの分岐点を経て、今ここに居て、お互いを大切に思っている事は奇跡かも知れない。
雄太が立ち上がり、春香の手を引いた。それが、どう言う意味か分かっている春香はゆっくりと立ち上がった。
(大好きだから……傍に居たい。大好きだから……傍に居て欲しい。大好きだから……春香の全部を俺のものにしたい……。誰にも渡したくないから……)
春香を見ると頬が赤くなっている。風呂上がりだからだけじゃない。
雄太はドキドキしながら寝室のドアを開けて、春香はリビングの照明を消した。




