178話
12月18日(金曜日)
阪神競馬場の調整ルーム。
「雄太ぁ〜。今、一人かぁ〜?」
雄太の個室のドアを開けた梅野が声をかけた。そして、部屋を覗き込むとキョロキョロと見回す。
「あ、梅野さん。ソルなら、美浦に所属した同期が居るから久し振りに会ってくるって言って、そいつの部屋に行きましたよ」
スタスタと部屋に入って来た梅野は雄太の前にあぐらをかいて座った。
「そうかぁ〜。なら良かったぁ〜。これやるぞぉ〜」
そう言った梅野は雄太の前に茶色の紙袋をポイッと置いた。
「何ですか?」
雄太は首をかしげながら紙袋を開けて中を見た。
「えっ⁉ こ……これって……」
「要るんだろぉ〜?」
「え……あの……いや……」
薄ピンクの箱に『うすうす』と書いてあるのが生々しい。
「何だよぉ〜? 使わないつもりかぁ〜? 駄目だぞぉ〜? もしかの時に傷付くのは女の子なんだぞぉ〜? 心だけでなく体もなぁ〜」
「う……」
雄太は小さく声を漏らした。確かに買いに行った。必要だろうと。
梅野は真面目な顔をする。
「お前の為であり、市村さんの為だ。お前の歳で……しかもお前の置かれてる状況を考えたら、デキ婚はデメリットしかない。それでなくても、この前話したろ? 一番つらい立場に立たされるのは他でもない、市村さんだ。まさかと思うが、出来たら堕ろせば良いとか最低な事を考えてんじゃないだろうな?」
雄太は思いっきり首を横に振った。
「そんな事思ってないし、自分の置かれてる状況は分かってます……」
雄太はジッとコンドームの箱を見詰めた。
「お前は市村さんを守りたいって思ってんだろ? 思ってんなら持っとけ。で、練習しとけよ? いざって時にまごついたりしたら格好悪いだろ? 失敗も駄目なんだしな?」
「はい……。ありがとうございます……。あの……実は……」
雄太は、怒られる覚悟を決めて先日の話をした。梅野は真剣な顔で聞いてくれた。
「我慢出来なくなった……か……」
深い溜め息の後、梅野は雄太の背中をバシッと叩いた。明日と明後日の騎乗を考えて少しは加減はしていただろうけど、それでもかなりの強さだった。
「……っ」
雄太は小さく声を漏らした。
(俺……何で話したんだろ……。誰かに怒られたかったのかも知れない……)
「雄太。男としてやっちゃいけない事をした自覚はあんだよな? いくら惚れてたとしても……さ」
「はい……」
「なら、今のは俺からの罰な。俺だって分からなくもないぞ? 二人っきりで惚れた女と居たら、そう言う気持ちになるのはさ。けど、何の準備もしてなくてそう言う事をしようとしたのは絶対駄目だ。若いからって自分の欲望に流されたら、一番に傷付くのは誰か分かってるよな?」
梅野の言葉に深く頷いた。
「俺……自分のした事が許せなくて……。情けなくて……。一番に春香の事を考えなきゃなんなかったのにって……。息が苦しくなった春香がとめてくれなかったら……」
「それでも、本気でやめる気がなかったら、いくら市村さんがとめようとしても最後までやったろ?」
体の小さな春香でなくとも、男が本気で無理矢理しようとしたらとめられる女性がどれだけ居るだろうか。
「それは……そうなんですけど……」
「で? 市村さんは、もう会いたくないって言ったのか?」
「いえ……。来週も会いたいって言ってくれました。今朝の電話でも会いたいって……」
調整ルームに入る前にしていた電話で春香から『気を付けて頑張って来てね。月曜日、マッサージに来てね?』と言われていた。
「なら、市村さんの中でも決心がついてんだろうな。そうじゃなきゃ『会いたい』なんて言わないだろうし。今度はちゃんとソレ持って行け。で、本当に本当に市村さんが良いって覚悟決めてるって思ったならすれば良い。鈴掛さんなら止めるかも知れないけど、俺は自然な事だと思うしさ。ほら、さっさとしまっとけ」
雄太は初めて『人に叱られたかった』と言う気持ちを知った。




