171話
「すみませんでした。俺……」
「君が謝る事じゃないだろう? 写真を見てあれが春だと分かる人も居るかも知れないが、少なくとも君の所為じゃない」
「ですが……」
脳裏に浮かぶのは春香の笑顔。どんな思いでいるのだろうかと不安になる。
「春香は……どうしてましたか……?」
「少なからずショックは受けていたよ。今更だが、君が華やかな世界の人間であると突き付けられたようなものだからね」
やはり『住む世界が違う』と思ってしまっただろうかと思うと胸が締め付けられる。
雄太が夢見たのは日本一の騎手になる事。人々から注目されるのは分かっていたが、それが目的だった訳ではない。
「俺は……春香を傷付けてしまったんでしょうか……? もし……この事が原因で……春香が……別れたいと思ってしまったなら……俺は……」
考えるだけで胸が締め付けられ、言葉が上手く出なくなる。
もし春香が『別れたい』と言ったら了承出来るだろうか? と思う。春香の手を離してしまって、もし他の男と寄り添う事になったら……と思うと冷静ではいられなくなりそうだった。
「馬鹿な事を言うな。春は君と付き合うと決めた時から、いつか君が人々から称賛され注目を浴びると分かっていた。その『いつか』が想像より早かっただけだ」
その時、車載電話が鳴った。
「春からだ。出ると良い」
(春香から……)
直樹は、それだけ言って車を降りた。
「もしもし……」
『雄太くん、大丈夫?』
聞きたかった優しい声が耳元に響く。うっすらと涙が滲む。
『ゴメンね。会いに行きたかったんだけど、今予約の施術が終わって片付けが終わった処なの。それにマスコミの人が居るかも知れないから行かない方が良いかなって思って。雄太くん、私は大丈夫よ。雄太くんは? 叱られたりした?』
「うん。少しだけ……な」
春香の声にホッとする。『会いに行きたかった』と言う言葉が胸にしみる。
春香には騎手と調教師の関係について話してあった。だから、調教師から何か言われたと分かっていたのだろう。
心配をさせるだろうから大喧嘩になったとは、さすがに言えなかった。
『そう……。私は雄太くんが好きよ。大好き。だから、心配しないで。私の気持ちは変わらない。大好き』
不安で押し潰されそうになっていた雄太の耳に何度も届く『好き』『大好き』の言葉。不安だった気持ちがゆっくりと溶けて行く。
「俺も、春香が大好きだ。誰に何を言われても変わらない。好きだ、大好きだ」
『うん。あのね、もし私とデートしたりするなって言われたら、『分かった』って言ってね?』
「春香っ⁉」
思わぬ言葉にドキリとする。
『デート出来なくても良い。雄太くんに会えたらそれで良い。だから、マッサージに来て。私、待ってるから』
(春香……)
『雄太くんに会えないのは悲しいしつらい。でも、調教師さんともめたら雄太くんの仕事に差し障りがあるでしょう? だから、ね?』
会えない訳じゃない。デートをして写真に撮られたりしなければ良いのではないか。雄太もそう思った。
(俺が成人するか、G1を獲るかすれば何か言われる事もないはず……。成人……一年以上あるけど……)
「ありがとう、春香。ゴメンな?」
『ううん。雄太くんが私に迷惑かけたとか思って『別れたい』って言われたらどうしようかと思った……』
「それは俺の思った事だ。俺と付き合ったから写真撮られて晒されて……。春香が『こんなの嫌だ』って思って『別れよう』って思うんじゃないかって不安で不安でどうしようもなかった……」
慎一郎や調教師達は雄太と春香を別れさせようとしていたが、より一層二人の気持ちは強く結び付いた。
電話を終えた雄太は車を降りた。
「直樹先生、ありがとうございました」
雄太は深々と頭を下げた。直樹は雄太の背中をポンと叩いた。
「何かあったら言えよ? いつでも相談にのるから」
「はい」
直樹は頷くと店に戻って行った。




