170話
「彼女は俺の心の支えです。負けた時は前に進む力をくれます。勝った時は一緒に喜んでくれます。何より、人にどうこう言われるような付き合い方はしてません」
キッパリと言い切った雄太を見て、辰野はホッと息を吐いた。
「分かった。だがな、雄太。お前に寄せられている期待は分かっているだろう? そのお前に近付く女がいたら変に勘ぐっても仕方ないと言う事も分かるな?」
「……分かっています。でも、彼女は俺が鷹羽慎一郎の息子と言う事も知らなかったですし、そもそも出会ったのは俺がデビューする前です。金目当てとか有り得ないです」
辰野は雄太の頭を撫でた。後輩の息子であり、小さな頃から知っていて、自分の息子も同然だった雄太が真剣に一人の女性を想っているのが伝わって来たからだ。
「お前が、そこまで想っているなら守ってやるんだぞ? その内、儂にも会わせてくれ」
「はい」
雄太は深く頭を下げると仕事に戻った。
その日の夕方
自宅に戻った雄太は慎一郎と話し合うつもりだったが、リビングには慎一郎の他に数人の調教師が居た。
「な……んで……」
「お前が、それだけ騎手として期待されてると言う事だ」
「父さんは、家でも調教師のつもりなのかっ⁉ 父親として話してくれないのかっ‼」
「何だとっ⁉」
雄太はギュッと拳を握り締めた。
(ちゃんと……ちゃんと春香の事を話せば分かってくれるって……思ってたのに……。俺は……父さんにとって息子じゃなくて騎手でしかないのか……)
「雄太ちゃん。俺達調教師が雄太ちゃんに期待してるのは分かってくれてるだろう?」
顔見知りの調教師に言われて、雄太の苛つきは更に増した。
「分かってますっ‼ だから俺は……」
「だからじゃないっ‼ 十八のお前が女と付き合う事が早いと言ってるんだっ‼」
「と……う……さん……」
(話にならない……。何で……何で……)
相手がどうこうではなく、自分の年齢を言われたら何を言っても通じないと雄太は思った。
「なぁ、雄太ちゃん。せめて成人してからじゃ駄目なのか?」
「今は、競馬に集中しないか?」
「女を見る目をやしなってからでも良いだろ?」
数々の言葉に雄太の心の中で何かがプッツリと切れた音がした。
「若いって言っても俺は社会人だっ‼ 競馬にも集中してるっ‼ いつ俺が集中しなかったって言うんだっ‼ もう良いっ‼ 俺の大切な女性を悪く言うなら、もう話す事はないっ‼」
雄太は言い捨てると二階に駆け上がり自室にこもった。
(畜生……。春香の事を知ろうともしないで……。どれだけ春香が俺の為に頑張ってくれてるか知ろうともしないで……)
ベッドに倒れ込み春香の膝掛けを抱き締めて目をギュッと閉じる。
(春香も……雑誌に載った事知ってるのか……? どう思った……? 迷惑だって思ったか……? 春香……春香……会いたい……。抱き締めたい……)
しばらくしてドアをノックする音がした。慎一郎ではないと思い返事をすると、ドアを開けた理保が小さな声で
「雄太。東雲直樹さんって男の方から電話よ」
と、言った。
(直樹先生……から?)
階段を降りて電話に出る。聞こえて来たのは優しい思い遣りに溢れる声。
『大丈夫か?』
「直樹先生……」
雑誌に春香の写真が載った事で怒っているかと思っていた雄太は、不覚にも涙が出そうになった。
『今、近くまで来てるんだ。少し話せるか?』
「はい。どこに行けば……」
『バス停の所に行くから』
「分かりました」
雄太は電話を切ると自宅を出て坂道を下りバス停に向かった。直樹のシルバーグレーのベンツがバス停のある広場の隅に停まっていた。
雄太が近付くと窓が開き
「とりあえず乗れ」
と直樹は言った。
雄太が頷き乗り込むと直樹がポンポンと肩を叩いた。
「怒られたんだろ?」
雄太は誰が見ても憔悴しているように見えるのかと溜め息を吐いた。




