131話
「春香。梅野さんに写真撮ってもらおうか?」
「梅野さんに?」
雄太は、抱き締めた春香の顔を覗き込むようにしながら言った。春香は、少し顔を上げながら答えた。
「梅野さん、凄く良いカメラ持ってるんだよ。どうせなら使い捨てじゃなくて、良いカメラで写真撮ってもらわない? 初デートの記念に」
「うん。あ……私、顔洗いたいな。泣いた後の顔で写真って恥ずかしいし」
雄太は頷いて腕を解き立ち上がった。並んで歩く距離が近付いたのも嬉しくなった。
「春香」
「なぁに?」
「手、繋ごうか」
「うん」
さっき、自分の胸を叩いていた小さな手をそっと握る。握り返して来る手を愛おしく思う。
(私……雄太くんとキスしちゃった……)
そっと見上げた雄太が、今まで見て来たどんなシーンの雄太よりグンと大人びて見えた。初めて会った頃より伸びた髪の所為でもあるのかも知れないけれど、抱き締めてくれた腕や胸の筋肉が大人の男性に思えた。
駐車場脇にあるトイレで春香は顔を洗い、外に出ると雄太は自販機で冷たいジュースを買って待っていてくれた。
「これで瞼冷やして」
「ありがとう」
(雄太くんは、やっぱり優しいな……。黙ってアメリカに行かなくて良かった……)
アメリカ行きの話が来てから、ずっと迷っていた。直樹達は、春香の意思を尊重すると言ってくれていた。前に専属の話が来た時は、雄太の暮らす滋賀に居たいと思ったが、実親の裁判が始まる前、弁護士が東雲を訪れた時から気持ちが揺らいだのだ。
『どう言う過去があったとしても実親でしょう』
弁護士に言われた言葉が逃れられない現実を突き付けた。
そして、あの日、雄太が京都大賞典で一着になり好きの気持ちが溢れた。その夜、雄太が親の事を知っていると聞かされ、自分の心を止められなくなる事が怖くなったのだ。
(成人してる私が……まだ十八歳の雄太くんに重荷を背負わせる事なんて出来ない……。好きだから……雄太くんの事、本当に大好きだから……アメリカに行こう……。初めて好きになった人とのデートを思い出にして……)
昨夜、決心した時には雄太を『まだ少年』と思っていた。それなのに、今見上げている雄太は『青年』だった。春香が見上げているのに気付いた雄太が優しく笑っている。
「どうしたの?」
「ううん。何でもない」
そっと胸に寄り添うと抱き締められる。春香は、精一杯背伸びをしてキスをした。
山を下り、寮に着くと
「梅野さんに、お願いして来るから、ちょっと待ってて」
と、車を降りていった。
(髪、おかしくない? 泣いたの分かっちゃうかな? 大丈夫?)
春香はバニティミラーでチェックをして、車を降りた。
(ん〜。食堂には居ない……か。部屋に行ってみるか)
食堂には先輩達は居たが、梅野の姿はなかった。自分が車を借りているから居るとは思うが、誰かの車で出掛けているかも知れないと思いながら梅野の部屋まで行きノックをした。
「梅野さん、居ます?」
「お〜。開いてるぞぉ〜」
(良かった)
ホッとした雄太がドアを開けると純也が居た。
「ゲッ‼」
「雄太ぁ〜っ‼ 親友に『ゲッ』って何だよぉ〜っ⁉ あれ? もうデート終わったのか?」
純也は、思わず声が出た雄太に文句を言いながらも、デートが終わったのか気になって訊ねた。
「悪い。まだデート中。あの梅野さん。カメラにフィルム入ってますか? あるなら写真をお願いし……あれ?」
いつもはしまってあるカメラバッグがテーブルの上にあった事に気付いた。かなり高い物らしく、今まで出しっ放しにしている事はなかった。
「お〜。丁度余ってるし撮ってやるぞぉ〜。初デートの記念写真〜。あ、市村さんのファーストキス記念でもあるかぁ〜」
「ファーストキスってっ‼ 覗いてたんですかっ⁉」
真っ赤になりながら思わず叫んだ雄太に梅野は爆笑した。




