129話
「初めて言ってくれた……。やっと聞けた、市村さんの気持ち……」
(雄太……くん……)
いつもの優しい雄太の声が間近に聞こえる。大きな優しい手が髪を撫でてくれている。
「鷹羽さんは……意地悪です……」
精一杯抗議をしてみるが、春香は雄太の腕から逃れようとしなかった。しっかりと……でも優しく、大切そうに抱き締められている幸せから逃れたくなかった。
「お互い様です。あんな情熱的な花束を贈ってくれるぐらいなのに、一度も自分の気持ちを言ってくれなかったんですから」
「だって……口にしたら……自分の気持ちを止められなくなりそうで……」
雄太は、もう一度ギュッと力を入れて抱き締めた。思いっきり抱き締めたかったが、痛みを与えないように優しく。でも強く想いを込めて。
「だってじゃないです。ずっと……ずっと聞きたかったんですよ? あの花束の意味が本当に市村さんの気持ちなのかと不安にもなったし……。どうやっても、市村さんの心を溶かせなかったらどうしようって何度も思ったし……」
雄太は抱き締めていた腕を解き、自分の胸を叩いていた春香の両手を自分の手の平で包み込んだ。
「もう一度言います。俺はまだ十八で頼りない所もいっぱいです。仕事が朝早いから、仕事終わりに会いたくても、市村さんが仕事なら会う事も出来ません。月曜の休みだって、遠出も出来ないし、短時間しか会えません。地方で騎乗する事があったら、何日も滋賀に帰って来ない事もあります。どこの開催地であっても、開催前日になったら連絡すら取れなくなります。普通の恋人のような付き合い方は出来ません。それでも良かったら、俺と付き合ってください」
真剣な声と真剣な目が、大きな手から伝わる温もりが春香を捕らえて離さない。必死で押さえ固めていた心がゆっくりと溶けて行くような気がした。
「本当に……私で良いんですか……? たくさん迷惑かけるかも知れないんですよ?」
「俺は市村さんが良いんです。他の誰にも渡したくないんです。市村さんの笑顔を誰より近くで見ていたいんです。俺の傍に居てください。俺は、日本一の騎手になります。世界で通用する日本一の騎手に。その時に隣に居て欲しいんです。俺が夢を叶える時、傍に居て欲しいんです」
また涙が込み上げる。次から次に溢れ出した涙が涙の跡の残る頬を濡らして行く。
「私は……私は……鷹羽さんが好きです……。一緒に……居たいです……」
ポロポロと溢れる涙を拭う事なく、春香は雄太を真っ直ぐに見て好きと口にした。
雄太は春香の手から自分の手を離し、親指で涙を拭った。雄太の指に涙が伝う。そして、またそっと抱き締めた。
「ありがとう。もう、泣かないでください。今から、市村さんは俺の恋人です。取り消しはなしですよ?」
春香は、雄太の腕の中で小さく頷いた。
「あの……」
「何ですか?」
「……名前で呼んで欲しい……です」
あまりにも可愛いお願いに雄太は小さく笑った。そして、耳元に口を寄せた。
「春香」
「好きな人に名前で呼ばれるのって、こんなにも嬉しいものなんですね」
春香は、雄太の背中に腕を回しギュッと力を込めた。
初めて春香から伝えられた好きの言葉。初めて春香が自分を抱き締めてくれた。雄太の胸に込み上げる幸せと愛おしさ。
「春香が笑ってくれるなら、何度でも呼ぶから」
どちらからともなく腕を緩めて、ジッと見つめ合う。
「雄太くん……」
春香は頬を赤らめながら、雄太の名前を口にした。
(この人は本当に可愛い……。可愛さで俺を振り回してる自覚ないだろ)
雄太はゆっくりと春香に顔を近付ける。
(逃げる……かな?)
「本当だ。嬉しいな」
雄太は緊張しながらも、更に顔を近付けた。
「雄太くん……。大好き」
春香は、そっと目を閉じた。
「大好きだ、春香」
二人は、そっと唇を重ねた。




