117話
部屋で読書をしていた春香は、インターホンが鳴った事に気付きドアを開けた。
「春香、手紙よ」
里美は見慣れた水色の封筒を差し出した。表書きしかなく、裏にも名前がない手紙の差出人が誰であるか、春香も里美も分かっている。
「ありがとうございます」
春香は手紙を受け取るとそっと抱き締めた。本人は里美に知られないようにしているつもりのようだが、呆れるぐらいにバレバレだった。
(この子が誤魔化すのが下手な性格って言うのは分かってるけど……)
少し体を背けただけで抱き締めているのが分からないとでも思っているのかと里美は苦笑いを浮かべた。そして、少し切なくなる。
(そんなに好きな人の事を本当に諦められるの……?)
雄太と顔を合わせなくなって数ヶ月。何度手紙を受け取っても、踏み出せないでいる春香を見ていて、里美は胸を痛めていた。
状況が変わった訳でもない。春香の言う『縁を切ったとは言え、私は犯罪者の娘』と言う事実は一生変わらないのは、嫌と言う程分かっている。
それでも、これ程にも純粋に一途に想い続けているのならば……と思わずにはいられなかった。
「今日は閉店作業は手伝わなくて良いわ。ゆっくり手紙を読みなさい」
里美が言うと春香は小さく頷き、里美はそっとドアを閉めた。
(初恋は実らないとは言うけど、こんなに悲しい恋が初恋なんて……)
同じ女性として、養母として、どうにもならない恋をしている春香を思うと溜め息を吐く事をとめられなかった。
春香は手紙を持ってリビングのソファーに腰掛けた。そして、何度か深呼吸をする。手紙をもらうと嬉しい反面
(これが最後の手紙かも知れない……。いつまでも、雄太くんの気持ちが変わらないなんて有り得ない……)
と言う不安が押し寄せていた。
そっと封を切り便箋を取り出すと、中には二枚の写真が挟んであった。
(あ……これは……)
雄太、純也、鈴掛、梅野が、ビールや肉が乗ったテーブルの奥で笑っていた。そこには取材等の時とは違う自然な年相応の笑顔……春香の一番好きな雄太の優しい笑顔があった。
(この前の最多勝のお祝いしてたんだ……。雄太くん、嬉しそう……)
二枚目は、カサブランカとバラとカスミ草が花瓶に生けられた写真。壁には、馬のポスターらしき物が少しだけ写っていた。
(これ……私が贈った……。雄太くん、伝票にもカードにも名前を書かなかったのに、私からだって気付いてくれたんだ……。飾ってくれたんだ……。ありがとう、雄太くん……)
それだけで涙がこみ上げて来そうになるが、便箋に目をやった。
『市村さんへ
週末の11日、京都競馬場で開催されるG2の京都大賞典に出られる事になりました。
いつものように勝利と無事を祈っていてください。
それで、お願いがあります。
京都大賞典で一着を獲ったら、12日の月曜日、俺とデートしてください。
一着になったら、日曜日の夜に電話します。
必ず出てください。
10月5日
鷹羽雄太』
「え……? デート……? デートってデートっ⁉ 私が雄太くんとデートするのっ⁉」
思わずソファーから立ち上がり、リビングをウロウロと歩き回る。書いてあった事に間違いはなかったかと、もう一度便箋を見た。
(デートって……書いてある……。私が雄太くんと……デート……。うぅ〜っ‼)
完璧にキャパオーバーになった春香は階下へと向かった。
照明を落とし、間接照明だけになった店内に春香は駆け込んだ。
「里美先生っ‼ デートって、私どうしたら良いんですかっ⁉」
ドアを開けた瞬間叫んだ春香に直樹と里美は固まった。
「デートだとぉ〜っ⁉」
「デートですってっ⁉」




