112話
梅野は春香が持って来てくれたトレーから腕時計とネックレスを受け取り、春香は受付に請求書を取りにVIPルームを出て行った。
(結局、市村さんは雄太の事どう想ってんのかなぁ……。俺が口出しする事じゃないのは分かってんだけどさぁ〜)
わざわざ仕事を休みにして、競馬場に足を運ぶ程度には好意を持っているとは思うが、それが春香にとってどの程度なのかが分からなかった。
(ただの男友達程度だとしたら、仕事を休みにしてまで……って思っちゃうんだよなぁ〜。けど、いくら市村さんが年下っぽくても、マジで年下の……しかも、ガキッぽい雄太に惚れるかぁ……?)
年齢では同級であるが仕事以外だと年下っぽい感じの春香を、一応社会人の先輩として『市村さん』とは呼んではいる。それでも妹扱いが抜けないのは、少々常識知らずな部分があるからだろう。春香の恋愛に関しては全く想像も出来なかった。
(そうは言っても、雄太と一緒の時は本当に良い笑顔してたんだよなぁ〜。不器用って言うか、変に真面目って言うかぁ……。そこが良い点でもあり、悪い点でもあるんだよなぁ〜)
「お待たせしました。本日の請求は、こちらになります」
春香が差し出した請求書を見て、梅野は財布から一万円札を取り出した。
「お預かりします。あ、そう言えば言い忘れてました」
春香は、受け取った一万円札をトレーに乗せて一歩踏み出して立ち止まった。
「え? 何ぃ〜?」
「梅野さん、リーディング上位なんですね。凄いですね」
「あ〜。今年は調子良くてねぇ〜。けど、下からの追い上げが凄くてビクビクしてるよぉ〜」
リーディングの順位は、四人では鈴掛、梅野、雄太、純也だった。殆ど差がなくて、まさにデットヒートと言う感じだった。
「それと、ソルさんって塩崎って名字なんですね。私、ずっとソルさんって呼んじゃってて。た……次に会ったら、ちゃんと塩崎さんって呼ばなきゃ失礼だなって思ったんですよね」
(『た』……? 今、雄太の名前を出し掛けたぁ〜? 純也の事をソルって呼んでるのって、雄太だけだしぃ……。やっぱ、雄太の話題避けてるぅ〜? それは……好きだからかぁ〜? ちょっとカマ掛けてみるかぁ〜)
梅野は、少し悩んで微笑んだ。
「市村さん、スポーツ紙とか読んでるんだねぇ〜」
「え?」
「だって、一般紙に騎手のリーディングの記事なんて載ってないよぉ〜?」
梅野は、あくまでさり気なく訊いた。すると、春香は持っていたトレーをギュッと握り締め、フイっと顔を背けた。その頬が赤くなっていたのを、目敏い梅野は見逃さなかった。
(はは〜ん。成る程、成る程ぉ〜)
「……待合のスポーツ紙をチラッと見ただけです……」
「そうなんだねぇ〜。市村さんが、競馬に興味持ってくれて嬉しいなぁ〜」
「えっと……おつりと会計票もらって来ます」
不自然に顔を背けた状態で、春香はVIPルームを出て行った。
(これで、市村さんも確定かぁ〜。市村さんの気持ちは分かったけど、余計なお節介はしないでおかないとなぁ……。そうそう簡単に解決する問題じゃないもんなぁ……)
白く煙って見える程の土砂降りの雨の中。
グチョグチョに荒れたダートの重馬場。
転んで泥だらけになりながらも、歯を食いしばり、何度も立ち上がりフラフラになりながらも一歩ずつ進む。
その頬には、雨とは違う雫が幾筋も伝っている。
助けてと言う事さえ許されず育った所為で、ただ一人で……。
梅野は、そんな春香を想像した。
(今は、こんな感じなんだよなぁ……。でもさ、雨はいつかあがるし、馬場も乾くよぉ〜。太陽があるからね、市村さん〜。俺は、その太陽になれる奴を育成しなきゃなぁ〜。涙を拭ってくれて、手を繋いでくれる太陽のアイツをねぇ〜)
梅野は、同い年の可愛い妹の恋を応援する兄貴の顔で、東雲マッサージ店を後にした。




