108話
「おじさん。ボンジリとセセリ、塩で」
嬉々として注文をする春香を見て、また里美の頬がひきつる。
(おじさん臭いわ……。もしかして直樹の影響だったりするのかしら?)
焼き鳥の注文の仕方が手慣れているのも、注文内容も妙に親父臭いと思ってしまい、里美はチラリと隣に座っている直樹を見た。
(確か、私が実家に行ったり、商店街の会合に出なきゃならなかった時に、春香と外食してたって言っていたけれど、もしかして焼き鳥屋に連れて来てたのかも……)
春香が外に出る事を怖がらなくなってから、外食の楽しみを覚えさせたいと里美は何かと言えばイタリアンレストランなどに連れて行っていた。二十歳の誕生日を迎えた時からは、居酒屋や寿司屋等で酒の飲み方も教えた。
(直樹だけの所為じゃないわね……。春香をイジメていた子達に会わないような所に連れて行っていた私の所為でもあるんだわ……。無理に背伸びさせちゃったのね。反省しなきゃ)
「なぁ、春」
「はい」
里美が色々と考えながら直樹と春香を見ていると、直樹が春香に声をかけた。春香は手にしていた串を串入れに入れて、直樹の方を見た。
「専属の話、どうするか決めたのか? 考えてみるって言ってたけど」
春香は、直樹と里美の顔を交互に見てニッコリと笑った。
「私、困ってる人が居たら助けたいって思ってます。もし球団の専属になったら、その球団の人達しか助けられなくなりますよね。それじゃ、球団以外の困ってる人を見捨てるのと同じかなって思って。それに、東雲には私を大切にしてくれてる直樹先生や里美先生が居てくれて……。何より、私が東雲に居たいって思ったんです。だから、今回のお話はお断りします」
「そうか」
「そう」
直樹と里美は、出来るなら行かせたくないと思っていたからホッとした。
(もしかしたら、あの三日前の手紙も関係してるのかしら……)
✤✤✤
三日前の午後。
里美は、ポスティングされたチラシの中に水色の封筒を見付けた。
(あら? 珍しいわね。火曜日に鷹羽くんから手紙なんて)
雄太からの手紙は大抵、月曜日か金曜日だった。受け取った春香も驚いていたと手渡した直樹が言っていた。
(鷹羽さん、どうしたんだろう? 月曜日に勝ちましたって報告の手紙が来たのに……。もしかして鈴掛さんから専属の話を聞いたとか……?)
見慣れた水色の封筒の中から便箋を取り出す。
『市村さんへ
鈴掛さんから専属の話が来てると聞きました。
俺が口出しする事ではないとは思っているけど、正直な気持ちを書きます。
どこにも行かないでください。
市村さん言ってくれましたよね。
施術以外で会いたいって。
俺も、今でも同じ気持ちです。
だから、怪我をしないように頑張っています。
でも、この先、絶対に怪我をしないとは言えないんです。
もし、俺が怪我をして市村さんを頼りたくなっても、東雲に市村さんが居なかったら困るんです。
市村さんは、俺の御守りなんです。
だから、行かないでください。
今週末は中京で走ります。
いつものように勝利と無事を祈っていてください。
6月16日
鷹羽雄太』
社会人として、プロとして、好きと言ってくれる人が居るからと仕事を断るのは駄目な事だと思った。
だが、想いを通わせる事は出来なくても、雄太を想いながらここで暮らしていたいと思った。
(私の想いは届かなくて良い……。伝えられなくて良い……。ただ、あなたを好きでいさせてください……。鷹羽……雄太くん……)




