107話
(市村さんに会いたい……。会って直接訊きたい、専属の事……。けど、親から手紙が来た事で悩んだり悲しんだりしてるかも知れない……。俺が、直樹先生から実親の話を聞いた事を知ったら、余計悩ませる事になる……。だからと言って、今とめなきゃ、市村さんは専属の話を受けて行ってしまうかも知れない……)
同じ所をグルグル回るかのように、答えが見付からないでいた。何が正解で、何が間違っているのか。床に転がり目を閉じていると繰り返し笑顔の春香と泣き顔の春香が脳裏に浮かぶ。
(そう言えば直樹先生が、家出した市村さんは警察官にでさえ助けを求めなかったって言ってたっけ……。連れ戻されたくないからじゃなく、それが市村さんの性格だとしたら、今も誰にも助けを求めず一人で泣いてるかも知れない……)
目を開いて、もう一度自分の手を見た。
(俺の手は、市村さんを救えるかな……? 俺の手は……)
幼い顔立ちとは違って骨張った指。手綱を握ったりしているからか、決して柔らかいとは言えない手の平。
春香と指切りをした右手の小指を左手で触れる。春香の柔らかで華奢な小指と自分の足に触れた優しい手を思い出す。
(俺は男……。市村さんを守れる男になりたい……。市村さんの手を取っても良い男になるんだ……)
広げていた手をグッと握る。
(迷ってる場合じゃない。市村さんの笑顔を見ていたいなら、手を取りたいなら、今行動しなきゃ、一生会えなくなる可能性だってあるんだ……)
ガバっと起き上がるとラック棚の引き出しを開けて、便箋と封筒を取り出しテーブルに向かい手紙を書き出した。
(迷惑だって……関係ないって思われるかも知れない……。けど、何もしないで諦めてたまるもんか。俺の正直な気持ちを伝えるんだ。付き合えるとか付き合えないとか、そんな事より今は市村さんをとめるんだ……)
✤✤✤
金曜日の夜。
閉店作業を終えた春香に里美は声をかけた。
「ねぇ、春香。たまには外食しない?」
「そうですね。雨やんだみたいですし」
夕方に二時間程降っていた雨はやみ、雲の隙間から星が見えていた。
「春香は、何が食べたい? お寿司でも何でもリクエストして良いわよ」
金曜日の夜だと、どこの店も混雑しているだろうが、東雲マッサージには近所の店舗の店主が顧客がいるが故に多少の融通はきく。
春香は少しの間考えると
「焼き鳥」
と答えた。
里美の頬がピクピクとひきつる。
「や……焼き鳥ね。お店に電話しておくわ。先に着替えてらっしゃい」
「はい。じゃあ、お先に失礼します」
春香は、ペコリと頭を下げると受付横の『STAFF ONLY』と書かれたドアを開けて自宅へと戻って行った。
その背中を見送りながら、里美はこめかみを押さえた。
(私、あの子の育て方を間違えたのかしら……? 競馬は始めるし、外食に誘って『焼き鳥』だなんて……)
養女として引き取った頃、女の子らしい服を着せようとした時に断固として拒否した上、二日間も直樹のYシャツを着て過ごしていた事もあったのを思い出す。
(料理が好きだったり、花を育てたりする所は女の子らしくて良いのだけれど……。女の子は女の子らしくあるべきだとは思わないけど、仕事ばかりしていて、趣味が競馬ってどうなのかしら……? 初恋が騎手の男の子だから仕方ないのかも知れないけれど……)
里美は、勝負の世界に生きるにしては優しげな雄太の顔を思い出す。
(鷹羽くんは、本当に良い子なのよね)
春香を一途に想い、優しく包み込もうとしている雄太に春香を任せたいとさえ思い始めていた。




