99話
「なんのなんの。これからどんどん勝つぞ、鷹羽の坊は。期待の星だからな。どうだ、春ちゃん。面白かったか?」
「はい。面白かったですよ」
春香は、涙をこらえながら精一杯笑ってみせた。
もちろん、雄太がどんどん勝っていくのは信じている。
騎手の仕事を好きな雄太だから、日頃のトレーニングを欠かしていないだろうとも思っていたし、良い騎乗をすると競馬場で会ったおじさんも褒めていた。
(鷹羽さんがどんどん有名になっていったら少し淋しいかも知れないけど、テレビの中の人だって思えるようになったら、好きな気持ちも少しは落ち着く……かな……?)
「そうか、そうか。春ちゃん。また、ジジィと競馬見ような」
老人は、そう言って立ち上がると店を出ようとした。
座っていたソファーには競馬新聞が残されている。
「川下のおじいちゃん。競馬新聞忘れてますよ」
春香が置きっぱなしの競馬新聞を手渡そうとすると
「ん? それは春ちゃんにやろう。ジジィと一緒に競馬を見た記念じゃ」
と笑って帰って行った。
(これ、私がもらった……って事で良いのよ……ね?)
少しシワの寄った競馬を見ると、雄太の名前に赤鉛筆でグリグリと丸が付けてあった。
(鷹羽さん……。次は一着になれたら良いですね)
閉店作業を終えた春香は自宅に戻ってから、もらった競馬新聞を丁寧に広げてシワを伸ばした。
(これも宝物入れにしまっておこう )
クローゼットを開け、棚の上に置いてある籐製の籠を取り出すと、そっと競馬新聞を置いた。
(鷹羽さんの重賞初騎乗の記念……)
籠の中からサイン色紙を取り出し、雄太の名前を指でなぞる。
(いつか……いつか、鷹羽さんが大きなレースで勝てたら笑っておめでとうって言いたいな。偶然に会った時で良いから、笑っておめでとうって言いたい。もしかしたら、その頃には鷹羽さんには素敵な恋人がいるかも知れないけど……)
仕事柄朝が早い雄太と偶然に会う事などないだろう。
休みの日にはスーパーに行って食材を買ったりしている春香と雄太が出会う偶然がある訳がないとも思う。
(いつか……いつかで良い……。何年先でも良い……。笑って会いたい……。もしその時、鷹羽さんが恋人や奥様と一緒だったら、黙って見送れば良い……。鷹羽さんが幸せだったら、それで良い……)
そっと色紙を抱き締め、競馬新聞の上に置いた。
そしてふと気が付いた。
(あっ‼)
春香は、慌てて籠にしまっていた競馬新聞を再び手に取った。
(私、何で今まで気付かなかったんだろう)
春香は、競馬新聞を見詰めてニッコリと笑った。
(バカだなぁ、私。よし)
翌週の土曜日
春香は開店準備をする前に、駅前のコンビニに行った。
(競馬新聞って、いっぱいあるんだぁ……)
迷いに迷って競馬新聞と大好きな紅茶を手に取ってレジに並んだ。
(これで店のスポーツ紙をこっそり見なくて済むし、宝物入れにしまっておけるよね)
ウキウキしながら店に戻り、テキパキと開店準備を終える。
そして、VIPルームに戻り持ち込んだ競馬新聞をデスクに広げる。
(えっと……あったぁ〜)
雄太の名前を探し、赤鉛筆で花丸をつけた。
(これで、よし)
そんな行動が直樹や里美に知られずにいられる訳もなかった。
雄太の出るレースの全てに花丸をつけるのに夢中になり、VIPルームに入って来た里美に気が付かなかったのだ。
「春香っ‼ 若い女の子が競馬新聞を買って赤鉛筆で印を付けてっ‼ あなたはギャンブラーにでもなるつもりなのっ⁉」
「え? あ、えっとぉ……」
必死で言い訳をしようとしたが、広げた競馬新聞を前に赤鉛筆を握った状態では誤魔化しようもなく、コンコンと説教をされた春香だった。




