仕組まれた婚約破棄 〜当て馬令嬢だった私が愛したもの〜
前半シリアスですが、ハッピーエンドは目指しております。
「アン王女との結婚が決まった。エリル、すまないが貴方とは婚約を破棄する」
紫水晶の瞳を持つ公爵オリバーは、黄金色の髪と同色のまつ毛をふせて瞳を隠す。凛とした謝罪の姿は美しく、このイグリス王国中のご令嬢が「絶世の美男子」と讃えるのも無理はない。
さわやかで自信にあふれる語り口に誰もが魅了され、オリバーの商会はこの国有数の大商会となっている。
だが私はこの男を「傾国の美男子」と呼びたい。
思わせぶりな会話で令嬢をとりこにし、思い通りにならないと新しい女性を連れて『彼女は友人として親しくしているだけだよ』と紹介する始末。食い下がって『私だけを愛して!』と言う令嬢には『そう言われても、エリルという婚約者がいますから』と言ってのける酷い男だ。
そのエリルが私なので、この男の涼やかな笑みの下にある悪癖はよ〜く知っている。
そのお陰で令嬢たちからある日は怒られ、別の日には泣かれ、私はなだめ、なぐさめる技術が向上した。だから礼を言うべきではあるが……アン殿下に泣かれた時は、さすがにオリバーを軽蔑した。
オリバーは未婚の王女殿下を身ごもらせたのだ。
その事実は婚約破棄を告げられるよりも前に、アン殿下から宮殿に呼び出されて知った。
『エリルに悪いと言ったけど、『ご親友は殿下の幸せを願えない小さな人間とお思いですか?』と言われて……茶会の時、ひとめぼれした私が悪いの。本当にごめんなさい。手の甲へキスされ舞い上がって気分を良くした愚かな女を、許して』
いいえ、殿下。許すもなにも貴方は世間知らずの子どもですよ。夜会で誰もいない控え室に誘導されたのですから。近衛はオリバーの息がかかった侍女に誘惑され……国家反逆罪スレスレの確信犯に手のひらで転がされたのですよ。
と言いたかったが、アン殿下は私を親友と思っているので黙ってお背中をなでるだけにした。もちろん茶会にあざとく乗り込んだ公爵も悪いし、急な訪問を受け入れた責任は私にもある。横からでもアン殿下がオリバーに一目ぼれしたのは火を見るより明らかだった。向けられた好意は必ず打ち返すオリバーの瞳に、殿下の情熱が伝わらないはずがない。
二人が本当に両思いかはさておき、結果として殿下の元にフラフラ浮気男が収まって良かったと思う。
だから婚約破棄されても驚くどころか、むしろお祝いしたくてほほ笑むことにした。
「このたびの婚約破棄は大変おめでたいことなので、今日の夜会でも宣言なさってくださいね」
部屋に控えさせていた従者と侍女が驚く。ちなみに二人は公爵に襲われないための見張りだ。オリバーの息がかからないよう、私が仲を取り持った両思いの恋人たちでもある。
オリバーは紫の瞳を見開き、予想外だという顔をした。
そうでしょうね……本当は『お情けを最後にかけてください。私の胸に秘めますから』と多くのご令嬢が口にしてきた台詞を私に期待したのだろう。
「夜会で宣言を? 公の場で話せば、あなたが恥をかく……それでもよいのか?」
「父は驚くでしょうが、皆の前で公表して下されば反対できませんわ。それに次に向けて箔を付けたいのです。殿下がお相手で婚約破棄をされたなら、私に同情される方もいるでしょう?」
社交界で悪く言われない事は大事だし、今後の足かせは減らしたい。
「エリル、君は私を愛さず、ただ私を利用したのか? 君の家の借金は私が帳消しにしたんだぞ?」
どの口が……そんな台詞を吐けるのだろう?
私は優雅に紅茶を飲んでたっぷりと沈黙した。会話の主導権を握らせないために。
**
私は父に愛されていない。母が亡くなった後、弟たちは溺愛されたが私は女という理由で存在しない物とされてきた。教育は受けさせてくれたが、あくまで利用価値を高めるためだ。だから父は自分の事業の借金が膨らむと、藁をつかむ思いで私の肖像画を片手に、オリバーの豪邸を訪ねた。
『どうですか、閣下。黒鳥のごとき濡羽色の髪は長く、肌は雪のように白い。読書を好み知識はたわわに実るマルメロの実のように豊かで飽きません。いや、マルメロはこの肖像画を見れば分かるように胸の方ですわ、はっはっ』
侍女から聞かされて背筋に寒気が走った。マルメロのように豊かな胸ではなくとも、伯爵家の品位はどこに忘れたのかとあきれもした。
そうやって組まれた婚約なので、初対面でオリバーは私の青い瞳ではなく胸を見てきた。この時点で公爵を恨む令息たちが『令嬢を泣かせる男だ』と噂するのは正しい、と思った。
さらにオリバーの顔に『やや期待外れだ』という表情が一瞬浮かび、こらしめてやらねばならん、という使命感にかられた……私も若かったのだ。べつに胸がフラットピーチみたいに慎ましいから恨んだわけでは……ない。たぶんね。
それに父からは借金を公爵家に肩代わりさせるため『婚約は成功させろ、失敗すれば娼館に売るぞ』とまで言われて脅された。つまり婚約は私の未来をかけた商談。自分を売り込むため、私は勝負に出た。
『閣下は、自由な恋と愛こそが息苦しい社交界の"砂漠のオアシス" になると思いませんか?』
"砂漠のオアシス"は女好きの貴族が使う愛人の比喩で、彼らは自由恋愛を尊び、複数人と関係を持つことに美徳を感じるらしい。
そんな思想を私は持たないが、自分の未来がかかっている。ハッタリをかまさねば婚約ができない。
『エリル、貴方ほどではないが、私は容姿に恵まれ不自由はない。だが"砂漠のオアシス"とはね、そうまで思う方と出会ったことはないな』
微妙に私を蔑んだオリバーの発言に内心はらわたが煮えくりかえったが、顔には穏やかな笑みをたたえた。
『あら、閣下ほどのお方がオアシスをご存じない?残念ですわ。もっとも真のオアシスを探すには故郷が必要ですが』
公爵は身を乗り出して紫の瞳をすがめた。うまく好色魚は釣れたらしい。
『どういう事かな?』
『自分には帰る場所がある。これ以上君の元にはいられない、と言って立ち去るのです』
『なるほど、面白い。じつに興味深いね』
私もずいぶん悪い女だと思うが、元貴族の女として娼館で毎晩のように抱かれることを思えば背に腹は代えられない。こうして無事、婚約したのだ。
もちろん婚約後は清い身のまま。なぜならオリバーの前で一人きりになる事は絶対にしなかった。だからキスだってされた事もない。
**
オリバーは悠然とソファーに座っている。『金のために婚約した女』という印象を拭えるか必死に考えた。そう思われては未来に暗い影を落とすのは間違いない。私は空になったティーカップをソーサーに戻し、背すじを伸ばす。
「婚約時は閣下と夜会やお茶会に参加しましたわ。わたくしは男性とも話さず壁の華、でも閣下は他のご令嬢とダンス、談笑していましたわね。茶会で罵倒され、泣かれても、逃げずに貴方の盾となりました。浴びせられた紅茶でドレスがダメになっても貴方は弁償なさらなかったわ。それでも利用したとおっしゃるのですね」
紫色の瞳が動揺を隠せずにゆれた。
「いや……いや、すまない。言葉に配慮が足りなかった。だがかなりの額をお父上の事業に使ったのは事実だ」
「他の方に贈られた宝石の総額より少ないとは思いますが、執事に確認させましょうか? それとも善意で資金提供して下さったのに婚約破棄された私が返済するものでしたかしら? ご心配の慰謝料は請求しない分別はありますわ」
「いや、そうではない。婚約破棄は私がお願いする立場だからな。ただ、もう少し悲しく思ってくれるのかと期待していた」
「今日の夜会で婚約破棄を宣言されたら、きっと悲しみで気を失うかもしれませんわね」
絶対にそんな事はないが、そう言っておくのが最善だ。公爵は押し黙り「分かった。君の望む通りにしよう」と約束したので「よろしくお願いします」と静かに頭を下げた。
心の内では、女の涙を見ないと気が済まない気持ち悪い性癖があるのだとあきれていたけれど。
*
グラスをフォークで鳴らした公爵は、約束通り婚約破棄を高らかに宣言した。
「私はアン王女殿下と真実の愛を誓い、オークニー伯爵令嬢エリル・オブライエンと婚約破棄をする」
会場にいた諸侯の令息令嬢はざわついた。何も知らせていない父は顔を青くして、私に近寄るなり「慰謝料の請求は!?」と耳打ちする。
私はわざと周りに聞こえる声で応えた。
「オリバー様は私には過ぎたお方でしたので、慰謝料は不要とお伝えしました。それにお父様なら、オリバー様のご決断を祝福しないような振る舞いはなさらないでしょう? 王家に忠義をつくす立場で慰謝料を請求したら……お二人のご結婚に不満があるように見えますもの」
金を目当ての父は顔を引きつらせ、ぎこちない笑みを浮かべる。
「そ、その通りだ。お前が一番辛いだろうに取り乱さず的確な判断、だな。さすがわが娘だ」
18年間生きてきて初めて「さすがわが娘」と言われたが嬉しくもなんともない。これで父は公爵家に慰謝料を請求できないし、公爵家も父を金で懐柔して私を捕まえようすることは防げるだろう。
私はさっさと次に行く。公爵が金にモノを言わせて私を追うことは、けん制させてほしい。
背を伸ばしオリバーとアン王女殿下の前に進み、あえてひざまずく。不平不満なく反撃の意思がないと示すために。
「大変おめでとうございます。殿下もお身体をお大事に。オリバー様も殿下がご不安にならないようお支えください。何かあればオリバー様には責任重大ですが、経験豊かな貴方様なら大丈夫ですわ」
元婚約者にはけん制を放ち、王家には敬意を払って王女ご懐妊の醜聞が知られないよう、ぼかした物言いをした。だが殿下は勝ち誇ったように満面の笑みで無邪気に私の気遣いを無駄にした。
「エリル……ありがとう。私のお腹に赤ちゃんがいるのだもの、オリバーはきっと良い父になると思うの。そうですよね、陛下」
私の口があんぐりと開かず、会場も騒がしくならなかったのは国王陛下が動かれたからだ。皆、固唾を呑んで見守っている。
陛下は娘を溺愛している事で有名だ。婚約者を野放しにした事で私が責められるかも、と身をこわばらせたが、陛下は器量が狭い方ではなかった。
「レディ・エリル。そなたには大変な気苦労をかけたな。オリバーには要職を与え、職務に専念させよう。さすればアンも心安く過ごせるからな。これからはアン一筋と示すことこそ、エリル嬢への面目も立つというもの。そうであろう? オリバー、皆の者よ」
もはや『娘を泣かせるやつは許さん』という陛下のけん制だ。これで女好き公爵は王家という牢獄に一生閉じ込められたのだ。
「陛下、私めにもったいなきお言葉をありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。公爵は片頬を引きつらせているが、女性を意のままにした報いだ。
陛下が執務のために退席すると、諸侯の令息令嬢たちは小声で噂を始める。
『エリル様も尽くしていらしたのに』
『本当に殿下に手を出してしまわれたら引くしかありませんわ。お気の毒ですわね』
『エリル様が不憫だな』
『アン殿下もお気の毒。悪女にされたようなものだわ』
オリバーの浮き名は社交界の暗黙の事実。それでも下世話な話題は殿下の耳に届かなかったので王女殿下は一目ぼれしたのだろう。だがお気の毒とはいかに。私は殿下だって相当な悪女だと思う。
もともと親しくなかったアン殿下は私がオリバーと婚約してから急接近してきた。
殿下は「心優しい王女様」を演じ、私の相談に乗ると言って茶会に誘い無意識に私を蔑まれた。
『エリルはいつも素朴なドレスね。私のドレス、宝石を縫い付けてあるのだけど、一つでも落とすと侍女が宮殿中を探し回らなくてはならなくなるから、気を使うの。だから貴方みたいなドレスを今度仕立てるようにするわ』
無垢な笑顔に悪意は無い。生まれながらの王女様だからどんな発言でも許されてきたのだろう。
『私もエリルくらいの胸が良かったわ。こんなに大きいと重たくて肩が凝るの。エリルは肩こりが無さそうだもの』
肩こりに胸の大きさは関係無い。オリバーの振る舞いで苦情と相談の心労に肩こりがひどいとは言えず、ほほえんでやり過ごす。いつも殿下の言葉に蔑みを感じたが、無自覚な悪意ほど厄介だ。王女様から見たら私は親友でも、私自身は心の中で距離を取っていた。
さよなら王女様。どうぞお幸せに。私への同情の視線を背中に感じつつ殿下の前から下がると、父が顔色を変えてやってきた。
「エリル、お前はこれからどうするのだ? どうせ手のついているお前を屋敷には置けんぞ?」
『どうせ手のついてる』は余計だと思ったが、清い身と知られたら、逆に辺境の後添えとか好色ジジイの愛人として父に売られかねないので聞き流しておく。
「ご安心下さいお父様。お父さまの事業はオリバー様のご厚意で持ち直し、すでにオリバー商会の傘下にありますわ。それが反故になる事はありません。あちらから婚約破棄してきたんですもの」
「いや私の事業ではなく、お前の行き先のことだ」
「それもご安心下さい、世間体もございましょうから、私は異国の地で身を隠します」
「お前のために我が家で旅路の資金は援助できんぞ。オリバーの守銭奴に見張られて商会の金を自由に使う事ができんのだ」
つくづく娘よりも自分が一番大事な父だと思う。
「自分で対処しますからご安心を」
ようやく安心したらしく、父は人混みに消えた。貴方の金なんて全くアテにしてないわよ。
だいたい父が酒と女に利益をつぎ込み、借金を膨らませて事業を傾かせていたので、婚約後に早い段階でオリバーに父の悪癖を伝えておいた。
オリバーは巧みな話術でオリバーの商会の傘下という名誉を与える代わりに父の事業をのっとって業績を上向かせた。
私はもともと父の事業の株を過半数持たされていたのだが、(父が私のオートクチュールの人形やドールハウスを勝手に売って株に変えられたのだ!)紙切れ同然の株も乗っ取られたおかげで役立った。
実質的な経営がオリバーになってから紙切れは急上昇、婚約破棄前に換金し、けっこうな量の金貨を手に入れた。もちろん父には秘密だけど。
その父の気が変わらぬうちに国境を越えなくては。すでに従者と侍女に控え室に着替えと荷物を置いておくよう頼んである。
広間から急いで退席すると、一人の騎士が走ってきた。殿下の護衛騎士ライオットだ。彼は殿下ご懐妊後、陛下が採用した護衛だが昔からよく知っている。伯爵家の三男坊で幼馴染だ。黒髪に青い瞳、整った顔立ち……ずっとアン殿下の側で私をチラチラ見ていた意気地なし。
「何かご用?」
ライオットは乱れた前髪を急に整えると、片膝をついて胸に手を当てた。
「エリル様、貴方を一生守らせて頂きたい!」
なにを言ってんだろう、この人は。
手にはどこかで手折った白い薔薇が握られている。宮庭の薔薇なら不敬とかで処罰されるわよ?
「ライオット様、残念ですが貴方のお心には応えられません。私はオリバー様と似た者ですもの」
ライオットはけして悪い人ではないが、悪人の私にはもったいなさすぎる好青年だ。
「そんな事はありません! 貴方はご自分を守ろうとされてきただけだ。不遇の貴方を私は陰ながらずっと見守ってきた。貴方は何も悪くはない」
見守った? ずっと陰で見張っていた事を言っているのね。オリバーとの婚約が決まる前から家が近所という理由で、庭や街に出ると気づけば物陰から彼に見張られてきた。
幼い私は怖くなって出歩くのをやめた。おかげで読書習慣が身につき、自立のための知識を手に入れたのだから感謝するべきだけど……この流れは何?
「エリル様、一人で頑張ってこられた貴方を愛しております。婚約を申し込みたい」
ええっ? なんでわたし?
ライオット様は正義感の強さと誠実な人柄が王家に認められ、アン殿下の護衛を務める事になって大出世したばかり。これからもっと忙しいだろうし、良い結婚話もありそう。私に構うヒマがないと分からないの?
「ごめんなさい。お気持ちにはお応えできません。とうの昔に愛をあきらめておりますので」
「ならば飽きるほど愛をあなたに捧げます」
思わず眉をひそめる。私が彼とではなくオリバーと婚約しろと父に命じられ、庭で泣いてもあなたは生垣の隙間から見ていただけでしょう? 連れ出して逃げる事もできたはずなのに。
「さっさと救って下されば良かったのに……」
「は?」
「これだけは言っておきます。全て遅すぎる。悲劇のヒロインを救った騎士になりたかったのでは?」
彼の顔が青ざめ、首を横に振る。
「いえ、そのようなことは……」
「ご懐妊された殿下とお会いしている時も、私の事を見ていたくせに。婚約者がいるという理由で一歩踏み出せなかったのは貴方ですよ」
「婚約者がいるご令嬢に手出しはできませんよ」
彼には正論かもしれないが、私にとっては言い訳にしか聞こえない。そもそもオリバーは婚約者がいても他の令嬢に手を出していたし。
「そうですね、護衛騎士という職務を陛下から頂いているのに、婚約者がいる私と一線を越えたら、外聞が悪いですものね」
清廉な彼と私ではもう住む世界が違うのだ。
「違う! 閣下の愛が冷めるのを待っただけ……」
「はっきり申します。貴方の、か弱い女性を守るというご自分への愛に醒めているのですよ」
「っ!……それが貴方の本心……」
思うところあったらしく、ライオットは言葉を呑み込み、ようやく黙った。
「ライオット様、私は自由に生きます。男からの愛がなくとも、生きることはできますから。ごきげんよう」
「待ってください。なぜ目の前にある可能性を狭めるのです? 愛はここにあるのに!」
「可能性を狭める? 貴方と結婚する可能性が消えただけ。他の可能性は無限にあります。自分のことは自分で愛し、男から愛を与えられずとも、私の愛を恵まれない者に与えます。男から得る愛がなんともろいか、婚約破棄を見ていたならお気づきになったでしょう?」
「……エリル様のお心は変わらないのですね?」
「ええ変わりません」
これで分かったろうと一息ついたが、間違いだった。
「ならば護衛騎士は辞任してきます。だから貴方の護衛として雇ってください。貴方の最後を見届けたい」
「まさか旅路の道中で襲って、ほだすおつもり?」
「そんな愚かな事はこの剣に誓って絶対にしません。私だって諦めきれないんですよ」
……なにそれ。ずっと見守るだけで何もしてこなかったのに、斜め上の正義感と前向き思考に軽くひくわ。
「剣でなにを守るのかしら。私は自由になりたいの。都合よく貴方をそばに置きませんわ」
「分かりました。それでも辞表を出してきます」
「受理に時間がかかっても待ちませんわ」
「貴方との結婚のため給金は貯めていました。それで馬を買って追いかけます」
そこまで想っていたならなぜもっと早く助けなかったんだろう、と冷めた目を向ける。
「どうぞご勝手に。それでは、ごきげんよう」
「ええ、必ずまたあとで会いましょう」
*
控え室で従者と侍女に合流しドレスを脱ぎ捨てた。念のため男装し、髪の毛も肩の上でバッサリ切った。従者と侍女は驚いたが、私なりのけじめだ。
「二人とも世話になったわね。良いこと? エリルの行き先は、知らないと言い張るのよ。特に正義感の強い騎士風情の男には言ってはダメ」
二人は神妙な顔でうなずいてくれた。
帽子を目深にかぶり、コートを着てトランクを持ち辻馬車に乗り込む。
一人旅は気楽で順調だった、途中までは。
国境近く、宿屋の前で白馬に乗った男がやってきたのだ。
「エリル! やっと見つけました!」
馬から降りて満面の笑みの元騎士は背中に包みを背負っていた。まだ護衛をする気なのだろうか?
「エリルという女性はいませんが?」
「あぁ失礼。私はライオット、今の貴方の名は?」
「……好きに呼べば。どいてもらえます? この宿に泊まる予定なので」
宿屋の主人はいつの間にか私の隣に立っているライオットと私を交互に見比べ、小声で聞いた。
「部屋は一つにしとこうか?」
「「部屋は別々で!」」
私の怒り声とライオットの朗らかな声が重なり、宿屋の主人は目を丸くする。「喧嘩中だな」と呟き、したり顔で部屋の鍵を二つ出すとウインクした。
「部屋は隣どうしにしといたよ」
全くいらない気遣いにこれから先が思いやられると思ったが、ライオットは隣部屋でも元騎士らしく手は出したりはしなかった。
だが勝手に相席して食事を一緒に食べたり、隣国の孤児院まで付いてきたので、さすがに私も無視できない。
「いい加減にどこかへ行ってくれません?」
「いや私も孤児院で働くよ。歌が好きだし得意でね。孤児に歌でも教えようかと」
彼は背中から竪琴を取り出してみせた。歌が得意とは初耳だが、彼の歌声は子どもたちも気に入り、孤児院のシスターも天使の美声と賞賛したので追い払えなくなった。
歌声が響く孤児院で私は懸命に働いた。ライオットは剣よりも歌で守る方が尊いと言い張って、子どもたちに剣を教えはしない。
竪琴でポロンポロンと下手な音色をかき鳴らすが、子供たちに聞かせる歌声だけは抜群にうまかった。
季節はめぐり、隣国のアン王女が無事に息子を出産、オリバーは社交界から姿を消したという。
それはオリバーが国王に軟禁されたからだとか、仕事に忙殺され宮殿から出られないだけだとか、オリバーが侍女に手を出し、怒った妻アンが侍女を全員従者にしたので妻が誘惑されないよう見張るのためだからだ、と旋律に乗せてライオットは歌うが、正直どうでも良い。
それより言っておかねばならない事がある。
「ライオット! 下品な歌を子どもたちに聞かせてないで!」
ライオットは、ぽろろ〜んと竪琴を弾き鳴らす。
「町の子どもはみな知っている〜あ・た・り・ま・え〜」
「あきれた。貴方は元貴族の品位を忘れたの?」
「品位とやらはこの世からすでに絶え〜清貧さに勝るものはなし〜」
ぽろろ〜ん……歌詞はひどいが歌声が良いと聞けてしまう……もういいか。いちいち注意するのも疲れるし。
そんなこんなで、アン殿下にまた息子や娘が生まれ、従者に似ていても夫に嫡子として認めさせたとか、アン王女は悪女と呼ばれ王家の人気が急落しオリバーの商会も信用を失い、傘下の父の事業は切り捨てられ廃業したとか、借金を膨らませた父は領地を売り平民に成り下がったとか、弟達は嫁探しができないほどオリバーの商会でこき使われているとか。
ライオットが酒場で聴いた話を全部、孤児院で歌にするので、どうでもいい後日談は私の耳に入ってしまった。
*
そんな話はさておき、私は久しぶりに身綺麗なドレスに身を包み、鏡の前で伸びた髪の毛を整えている。
結婚はしていないし、これからも予定はない。隣国に移り住んで10年。今日はこの国の王家に長年の功績を讃えられ、晩餐に招かれた。
「白薔薇より〜気高く美しいよ、エリル」
ぽろろ〜んとライオットが竪琴でなめらかな旋律を奏でる。
「あなたも陛下に招かれているんでしたね? 民に人気の歌手として」
「いかにも〜振り向かぬ乙女のため〜、愛を誓う竪琴弾き、恋は実らず、その種は民に愛され華ひらく〜」
ぽろろ〜んと竪琴をかき鳴らすのが少しうっとうしいが、話しかけるなと言って彼が歌で会話するようになった責任は私にある。
それにこの歌声で孤児院の寄付を集め、孤児院の改修に貢献した。
彼はそれが生きがいになったらしく、私以外に生きがいを見つけ社会貢献できているなら、つきまとったことは水に流してあげようと思う。
でも自分の行いは無かった事にはできない。結果として多くの令嬢たちを苦しめた事に開き直るほど私は強くはない。
オリバーと婚約し、焚き付け、追い返さずにあえて王女殿下と会わせたのは全て私が意図したのだ。
つまり、あの婚約破棄は私が仕組んだようなもの。
もともと全てが終わったら、隣国の孤児院で働くと決めていた。
私の業績が讃えられ、この地の王家の晩餐に招かれたのは嬉しいが、それで満足はしない。
残りの人生、私が親に愛されなかった分、孤児院に来る子どもたちに愛を捧げるつもりだ。与えられる愛よりも与える愛で育まれていくものを見たいのだ。
「ごめんなさいライオット。そこをどいて、王家から迎えの馬車が来るから。貴方の歌を聴く時間はないの」
「かまわんよ〜、歌はいつでも愛と共にあるのだ〜」
文句を言う代わりに肩をすくめた。『その会話を歌にするクセ、直した方がかっこいいわよ』とはけして言わない。
きっと私は最後の最後までそんな言葉を言えないだろうと思う。
***
それから数十年後、ある国境の近くの宿屋で吟遊詩人の歌声が響いた。
隣国で貧しき者たちのため、孤児院の修繕と発展に寄与した女性がいたと。
晩年、国王に主客として再び招かれ、聖女の表彰を受けたが、その年の冬に孤児院で、子ども達を看護する中ではやり病にかかり、亡くなったと。
「そうして美しく気高い薔薇は最後まで手折られる事はなかったのです」
ぽろろろ〜ん…と、歌い終えた吟遊詩人は、聖女の最後を誰が見たのかまでは歌わなかった。
だが歌を聴いた宿屋の主人は、その吟遊詩人が、訳ありな男装令嬢と別々の部屋を頼んだ青年と似ていることに気づいて、彼に一杯の酒をおごってやった。
「ありがとう、親父さん」
会話ですら歌にしていた、吟遊詩人は歌わずにそう言うとほほ笑んだ。そして酒を飲み干すと、別の客のリクエストに応えて歌ったという。そうして彼は亡くなる間近までその宿屋で竪琴を弾き鳴らし続けた。
終
お読み頂きありがとうございました。
評価、いいね、誤字報告ありがとうございます。励みになります!
ご感想について
ご感想の返信はお読み頂いたお礼として、
番外ショートストーリーもしくは創作背景になります。
ご不快な方は感想は飛ばしてブラウザバックして下さいませ。
オリバー視点の短編『仕組まれた婚約破棄〜婚約破棄した男の末路〜』もよろしくお願いします。ダメ男の末路が読めます。
https://ncode.syosetu.com/n6264il/
(なお作中「確信犯」が誤用ではないか、というご指摘についての作者の見解は活動報告をご覧下さいませ)