#記念日にショートショートをNo.62『愛を一度だけ』(One time Love)
2022/4/1(金)エイプリルフール 公開
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「さくら」シリーズ
➖もう一度、会いたい人はいませんか?
彼女を最後に見たのは、いつだっただろう。
彼女が死んだあの日、桜が咲く前の日、3月13日。感染対策のため、僕は病室に入れてもらえなかった。
その3日前は、どうだろう。いや、その日も、同じ理由で、彼女と会えなかった。
ということは、その1週間前。彼女の誕生日。ああ、その日が、僕が彼女に会った最後の日だ。
「かずくん、ありがとう。」
彼女の誕生日を2人で祝い、彼女は僕にこう告げた。あの時僕は、彼女を祝いながらも、彼女に毒を与えたというのに。
僕を呪ってくれていたら、良かったのに。「ありがとう」だなんて、僕はその言葉と、真逆のことをしたというのに。
あの日、3月13日、病院に駆け付けた僕は、扉越しに、彼女の声を聞いた。
これまで聞いたことがないくらい、大きな声で、必死に叫ぶその声を。
「かずくん!かずくん!」
「好きだよ、かずくん!」
彼女の声。必死に、僕に、そう伝える声。
弾けるように椅子から立ち上がった僕の耳に、荒い息の音、激しく咳き込む音が響く。
思わず扉の取っ手に手を掛けるも、扉は鍵が掛かっているのか、ビクとも動かない。
中で慌ただしく動き回る音、懸命に指示を出す声、そして、「ピーーーーー」という機械の嫌な音。
「さくら!!さくら!!!」
必死に扉を叩く。叩きながら、声に涙が滲んだ。
「さくら!!好きだあ!!さくらあ!!!さくらあ!!!!!」
声が届いたのかは分からない。
しばらくして、開いた扉から出てきたお医者さんが告げる「ご臨終です。」という言葉を、僕は聞いた。
あの時、僕の声は、僕の言葉は、君に届いていたのだろうか。
君の名前が刻まれた墓石の前で立ち尽くす。
届いていなかったとしたら、彼女は僕の答えを知る前に逝ってしまったということになるし、もし届いていたとしたら、彼女は、約束されるはずだった幸福な未来を知りながら、逝ってしまったということになる。
どちらにしろ、彼女が幸せになれなかったという結果だけは変わらない。人の死というのは、そういうものだ。
彼女が死んでしまったいま、僕にはこの先を生きていかなければならない理由などない。この先を一人で生きていきたいという欲望もない。
そんな世界で寂しさや罪の心に囚われながら生きていくよりも、せめて、その世界で彼女と会えず、寂しさは変わらないままだとしても、罪の心だけは失われた世界で生きていく方が、良いのかもしれない。
墓石に手を合わせ、その前にしゃがみ込む。
近頃、説明書に記載されている量を遥かに超える量の薬を服用しているせいか、頻繁にふらつくようになり、脱力感が身体を支配するようになった。
ここで飲めば、彼女と会えずとも、彼女の世界へ行けるのかもしれない。
蓋を開け、瓶を逆さにして口に当てがい、流し込むように睡眠薬を飲む。
ああ、視界が歪み出す。
「いま、行くよ……」
僕は、彼女の前で、倒れるように眠りに堕ちた。
誰かの声がした。
僕の名前を呼ぶ、誰かの声がした。
「……かずくん……」
馴染みのあるような、声。
「かずくん……」
ああ、知ってる。僕はこの声を、よく知っている。
声はすぐ近くで聴こえる。
「かずくん!」
ハッ、と目を開けると、目の前に〝白〟が見えた。それが何であるかを認識するより早く、〝それ〟が女性の顔で塞がれる。
「かずくん。」
彼女が僕を見下ろしていた。
「…さく……ら……?」
彼女の瞳から落ちた水滴が、僕の目に吸い込まれる。僕の目に、彼女が鮮明に映し出された。
「さくら!!」
弾かれるように上体を起こし、手を伸ばす。伸ばした手で彼女を抱きしめる。確かな感触が、僕に伝わった。
「良かった……」
彼女が生き返ったのか、僕が死んだのか。どちらなのか、はたまたここはどこなのか、分からなかったが、そんなのはどうでも良かった。
さくらさえいてくれれば、僕は構わない。
と、僕の腕の中で、彼女が僕の身体を圧した。
圧されるままに身体を離した僕は、ハッと息を呑んだ。
彼女の両の瞳から、ポタポタと、水滴が僕に注がれる。
「さくら……?」
僕の視線に、彼女は慌てて手の甲で濡れた瞳を拭おうとする。しかし水滴はとどまるどころか、彼女の身体中から溢れ出し、彼女を濡らした。
涙の雨が、彼女を青透明に染め上げる。
「泣かないでよ……」
伸ばした手が、水の膜に弾かれる。
「何で……来ちゃ駄目なのに……」
水の膜は僕を彼女と溶け込ませないかのように彼女の身体を青透明に包み込み、彼女に触れさせてはくれない。
「さくらっ」
伸ばした手が、水の膜に跳ね返される。目の前にいるのに、確かにそこにいるのに、彼女に触れられない。
「駄目だよかずくん……」
彼女が濡れた瞳を拭い、微笑んだ。
「こっちに、来ちゃ駄目。」
「さくらっ!」
彼女が、水の膜で霞む。
「もう一度、会えて良かった。」
「だから、もう帰らなきゃ。」
彼女の声が、霞んでいく。
「さくらっ!!」
切れ目のない水を必死にかき分ける。終わりのない水をかき分ける。必死に、ただ必死に、彼女に触れたくて、彼女を離したくなくて、永遠の水をかき分ける。
「さくらあっ!!」
彼女は微笑んでいる。
「さくらあっ!さくらあっ!!」
彼女の口が動く。水にぼやけ、声が聴こえない。しかしその動きで、掬えない水の中でも、僕は彼女が何と言ったのか、不幸なことに掬い取れてしまった。
➖バイバイだよ、かずくん。
「嫌だあっ、嫌だあっ!!」
駄々をこねるように首を横に振る。お別れなんてするもんか。絶対に、これが最期のチャンスなんだから。
「○○○○っ!!!」
叫んだ言葉が自分の耳に聴こえない。確かに叫んでいるのに、自分の声が聴こえない。
彼女が首を横に振る。まるで僕にその言葉を言わせないとするかのように、その言葉を【もう一度】言わせないかのように。
嫌だ、負けてたまるか。今度こそ、ちゃんと伝えるんだ。今度こそ、さくらに、伝えるんだ。
「○○○○っ!!!」
聴こえない。彼女が水に溶けていく。
「○○○○っ!!!さくらぁっ!!!」
彼女が、薄まっていく。
「さくらあっ!!!」
彼女が、消えていく。絶対に、今度こそ、間に合わせる、間に合わせるんだ!
「○○○○っ!!!」
「○○○○っ!!!さくらあっ!!!」
まだ➖
「好きだあっ!!!」
「好きだあっ!!!さくらあっ!!!」
「さくらあっ!!!」
ポンっ、と音がした。彼女を包む水の膜が、一瞬で消え去る。
「さくらっ」
しかしそれも束の間、
「ありがとう、かずくん。」
その言葉を残し、彼女は消えた。
最期に、彼女が寂しそうに➖されど幸せそうに微笑んでいるのが、見えた気がした。
目が覚めると、目の前に灰色の壁が見えた。
それが墓石だと思い出すのに、そう時間は掛からなかった。
「くっ……!」
両目から水滴が零れた。結局、彼女の世界には行けなかった。悔し涙が頬を伝う。
身を起こす気にもなれず、誰がそばにいるわけでもないのに、声を押し殺して、僕は泣いた。
彼女を包んでいた水の膜よりも深く、長く、僕は全身を自分の雨で濡らした。
これ以上流せないというほどに泣きじゃくり、とうとう涙も乾いてしまったころ。
手のひらに触れる柔らかい感触に、僕は自分の左手を見た。
左手が、固く握られていた。
そっと、手を開く。
手の中に、ひとひらの桜の花びらがあった。
愛らしく、ささやかで、儚いもの。
「さくら➖」
言葉に出す。優しい、愛おしい、幸せな名前。
身体を起こす。
「卯咲 桜」
墓石に刻まれた名前が、目に留まった。
桜の花びらを握りしめたまま、小指で、その名前をなぞる。
「かずくん、生きて。」
触れた途端、脳裏に彼女の声が響いた。
顔を上げ、彼女をしっかりと見つめる。
「僕は、生きるよ。」
「…ちゃんと、君の分も。」
「だから、」
もう一度、さくらをしっかりと握りしめる。
「待ってて。」と言いかけた言葉を飲み込む。新しく生まれた言葉をさくらに落とす。
「だから、絶対に、」
深く息を吸う。
「また会おう。」
しっかりと、君を見つめる。真っ直ぐに君を見つめ、君に背を向ける。
歩き出す。
散り始めた桜が、風に乗り、ゆっくりと道を照らした。
【登場人物】
●志賀 一樹(しが かずき/Kazuki Siga)
○卯咲 桜(うさき さくら/Sakura Usaki)
【バックグラウンドイメージ】
【補足】
◎タイトル候補について
○『K線上の愛』
○『B線上の愛』
○『境界線上の愛』
○『境界線越しの愛』
○『愛を一度だけ』
○『最初で最期の愛を叫ぶ』
○『100回死ぬこと』
○『100回叫んで、1回生きる』
○『100回死んで、100回叫ぶ』
○『100回叫んで、100回死ぬこと。』
○『100回愛を叫ぶ』
○『一度の愛を100回叫ぶ』
○『愛を一度だけ100回叫ぶ』
○『100回叫んで、愛を一度だけ』
○『最初で最後の愛を君に』
○『一度の愛』
【原案誕生時期】
2021年6月頃