晴れ時々水
ルシルとアルが友人になり、早くも一週間が経過しようとしていた。
学園でアルと一緒に行動していると、同じ学園に通っている一学年上の元婚約者、ローラルドに何か言われるのではないかと、ルシルはそれが不安だった。
彼に特別な感情はないが、それでも、罵倒されると良い気分ではないし、あの夜のことを思い出すと、まだ胸が苦しくなる。
だから、学園内で彼と遭遇しないよう、なるべく彼がいそうな場所を避けて行動しようと思っていたのだが、それは要らぬ心配だったようで。
婚約破棄をされた翌日、ルシルが学園を休んだ日から、彼は学園に来ていないらしい。
クラスメイトがそんな話をしているのが聞こえ、今まで公務で休むことはあっても、こんなに長期間休むことはなかった彼がどうしてだろうと不思議に思ったが、もう自分には関係のないことだと、考えることをやめた。
アルとは元婚約者の浮気相手という最悪な出会い方をしたが、不思議なほどに趣味や考え方が合い、彼女といると自然に笑うことができ、ルシルにとって好感を持てる友人になりつつあった。
相変わらず学園内では生徒達に遠巻きに見られるルシルだが、何故か陰口を叩かれることが減った。
それに、アルと過ごしていると、つらい気持ちはどこかへと消えていくような気がしていて、そのため、最近の学園は、ルシルにとって意外と楽しい場所であった。
(……そう思っていたのだけど)
放課後、校舎裏にて。
ルシルを囲むようにして立つ複数の女生徒。
じわじわと近づいてくる彼女達から逃げるように後ずさりするうちに、背中が壁にぶつかり、ついに逃げ場を失ったルシルは、内心冷や汗をかいていた。
「サフィレット様、どうして呼び出されたのかお分かりですか?」
一人だけ一歩前に立っているリーダー格のような少女がそう切り出した。
それが始まりの合図かのように、他の少女達も口を開く。
「ローラルド様とアルさんの婚約が無くなるかもしれないと聞いたのですが、サフィレット様が何かされたんですよね?」
「嫌だわ、そんなに王家に取り入りたいのかしら?」
「最近やたらとアルさんにくっついてまわっているのも、アルさんに何か良からぬことを吹き込んでいるからなのでしょう?」
立て続けに言われ、口を挟む間もなく、ルシルは沈黙を貫くことしかできなかった。
それに、内心驚いていた。
アルを新しい婚約者にすると公の場で宣言したローラルドが、かなり溺愛していたように見えたアルとの婚約までもを破棄しようとしていることに。
それは、ルシルの全く知らない話であった。
第二王子のことを愛しているわけではない、事情があって王子といたと、アル本人から聞いてはいたが、こんなにも短期間のうちに婚約を破棄するしないの話になるとは思っていなかった。
女生徒達はルシルが沈黙している理由を勘違いしたようで、余計にヒートアップし、ルシルに詰め寄った。
「黙っていないで、何かおっしゃったらどう!? それとも、事実だから何も言えないのかしら?」
何を言っても火に油を注ぐことになりそうだと思い、どうやってこの場を切り抜けるか考える。
(本当なら、今頃、アルとカフェでケーキを食べているはずだったのに……)
ルシルは心の中でため息をついた。
放課後、校門で待ち合わせて、一緒にカフェに行く約束をしていたアルの顔を思い浮かべる。
授業が終わり、教室を出ようとしたところで、目の前にいる少女達に『今お時間よろしいかしら? よろしいですわよね?』と、若干の圧を感じるお誘いを受けた。
イエスもノーも答える隙を与えず、少女達はルシルの腕を引いて、この校舎裏まで連れてきたのだ。
(アル、待っているわよね……)
教室を出てから随分と時間が経っているように思う。
少し遅れるとも、今日の約束は無しにしようとも、アルに告げられないまま、ここへ来てしまったため、彼女に心配をかけているのではないかと気がかりで、ルシルはだんだんと落ち着かない気持ちになっていった。
その様子を見て、女生徒達は更に勘違いを加速させる。
「何なの、その態度! 一度痛い目にあわないと分からないみたいね!」
「え」
アルに何も言わずにここに来てしまったことを後悔していただけなのだが、沈黙を貫いていたことが女生徒達の逆鱗に触れてしまったようで、我に返った時には、リーダー格の少女の手のひらが勢いよくルシルの頬に向かっていた。
(ぶたれる!?)
痛みに耐えるため、ギュッと強く目を瞑る。
その時、近くで大きな水音が聞こえた。
それと同時に、近くから悲鳴があがる。
聞こえてきた悲鳴は目の前の女生徒のもののようで、驚いたルシルは、思わず目を開いた。
「え……」
そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。
何故か、女生徒達のほとんどがずぶ濡れになっている。
周囲は水浸しになっており、徐々に広がった水が、ルシルの靴の先を濡らした。
(えっ、な、何!?)
雲ひとつない真っ青な空。雨の気配など一切ない晴天である。
目の前の女生徒達だけにかかった水は、どう見ても自然のものではなく、人工的な何かとしか思えなかった。
女生徒達はもはやルシルどころではないようで、自身の髪や制服にかかった水をなんとかしようと、可哀想なくらい必死になっている。
中には涙ぐむ者や、使用人を呼びつける者もいた。
(えぇ……)
どういう状況なのか理解できず、幸いにも水がかからなかったルシルが困惑していると、頭上から再度水が降ってくるのが見えた。
「あ」
ルシルが何か言う間もなく、それは、先程水浸しになるのを逃れた数人の女生徒達に直撃する。
再度聞こえる悲鳴。阿鼻叫喚である。
ルシルはそっと振り向いて校舎を見上げ、どこから水が落ちてきたのか、その場所を探した。
(……え)
三階の窓枠に座っている誰かと視線がぶつかる。
その手には下を向いた空のブリキのバケツ。そこから滴った雫が、地面へと吸い込まれるように落ちていく。
この事件の犯人であることは明らかだった。
(な、なんで……)
そこにいたのは、輝く銀の髪に深海のような瞳を持つ少女、アルだった。