後日談 絶対溺愛宣言(後編)
(……何あれ?)
洗面台の前で笑顔をつくる練習を終え、アルが待っている場所へと足を向け、彼に声をかけようとしたルシルはその場で固まった。
「ありがとうございます! 助かりましたー! あの、良かったら、このあと一緒にお食事でもどうですか?」
そんなことを言って、夫の顔を覗き込む若い女。
その手には地図があり、初めは道を尋ねてきたのだろうということがうかがえる。
「すみません。妻を待っているので」
近づいてくる女の身体をかわし、アルは断る。
(……妻って良い響きよね)
彼の言葉に思わず頬を緩めてしまうルシルだったが、『奥さん一筋ってやつですか? もっと遊んだ方がいいですよ』と言って、彼の腕に身体を絡ませようとする女を見てハッとし、彼の元へ駆け寄った。
「この人、家ではドレス着てますけど、それでもいいんですか!?」
アルの腕に抱きついて彼を女から遠ざけ、ルシルは叫ぶ。
「えっ」
アルと女の声が重なった。
「な、何言ってるんですか? ドレス……? というか、貴女なんなんですか? 突然出てきて」
どうやら、女は第三王子であるアルのことも、その妻であるルシルのことも知らない様子だった。
公の場にほとんど姿を現さないアルの顔を知っている一般の国民は少ないため、容姿が整っているアルは余計に声をかけられやすい。そのこともルシルを苛立たせた。
「この人の妻です!」
「え! ……妻って良い響きだよね」
はっきりと言われ、一瞬驚いたアルだったが、少し考える様子を見せたあと、真顔でそんなことを言う。
ルシルは、自分も同じことを考えていたと言いたかったが、その前にまずは目の前の女をどうにかしなくてはと、アルに絡めていた腕を外し、女の前に立つ。
「髪にリボンもつけるし、私よりヒラヒラのドレスを着るし、私より高いヒールの靴を履くし、女の子みたいな声も出せる彼ですけど、それでも好きって言えるんですか!?」
「え……」
先程までアルのことを格好いいと見ていた女は固まり、訝しげな視線をアルに向け、彼の頭から爪先までを見つめたあと、本当にこの男にそんな趣味があるのかと首を傾げた。
しかし、男の前に立つストロベリーブロンドの髪の少女の妙な迫力に圧され、これ以上関わるのはやめようと、ふたりに背を向ける。
「……失礼しましたー」
そう言ってそそくさと去っていった女の後ろ姿を見て、ルシルは達成感があったが、そんな感情を抱くのは性格が悪いのではと青ざめた。
自分はいったいいつから、こんなにも性格が悪くなってしまったのだろう、とルシルは思う。
(アルを好きになってから、どんどん悪い女になっていく気がするわ)
自分が自分で無くなっていく感覚。
そんな感覚が怖くて、けれど、彼に恋をしなければ知ることの出来なかった気持ちを愛しいとも思う。
複雑な自分の気持ちが苦しくて、ルシルは地面に視線を落とした。
そして、先程自分が言ってしまった言葉を思い出し、ハッとする。
「あ、あの、ごめんなさい! 本当は、アルがどんな格好をしていても良いと思っているの。なんだか、貴方のことを否定してしまったみたいになって……」
『みたい』ではなく、否定していた。見知らぬ女に彼を奪われたくないからといって、彼を下げるような発言をしてしまった自分が嫌になり、ルシルは言葉に詰まってしまう。
「えっ、泣かないでルシルー。大丈夫だから。ちゃんと分かってるよ」
そっと頭を撫でられ、ルシルはいつの間にか自分が涙を流していたことに気づき、自分は傷つけた側の人間であるのに泣くのは卑怯だと、更に落ち込んだ。
「……私、最低だわ」
ルシルはアルの手を避けるように一歩後ろに下がり、強く擦るように涙を拭った。
「あー、もう! そんなに強く擦ったらルシルの肌に傷が付いちゃうよ」
そう言って笑うアルだったが、暗い瞳で足元を見つめている目の前の彼女の頭のてっぺんが見えて、困ったように眉を落とした。
本当に気にしていないのに。
それは、彼が心から思っていることだった。
確かに、先ほどルシルの口から飛び出した言葉には僅かに動揺した。小さな頃の自分が、母に言われて傷ついた言葉に似ていたから。
それなのに、今、ルシルから同じような言葉を聞いて傷ついていないのは、彼女が自分を独占するために慣れない暴言を吐いたのだと、気づいていたからだ。
もし、ルシルが本心から自分のことを傷つけようと何か事を起こしたとしても、彼女につけられる傷ならば愛しいと、欲しいと思ってしまう自分がいる。
恋は盲目だ。
そんな言葉が頭に浮かび、直後、もう彼女への気持ちは一方的な恋ではなく、彼女からも同じ気持ちを返してもらえる愛に変わっていたことを思い出し、アルは思わず口角を上げた。
「……どうして笑っているのよ?」
ルシルの目の前でルシルのことを考えてにやけるという行動をしていたら、いつの間にか落ち着いたらしい彼女がジトッとした目で自分を見ていることに気づき、アルは笑みを深めた。
「ふふっ、ううん。ルシルのこと、やっぱり好きだなーって思って」
「今の流れでどうなったらそうなるのよ……」
ニコニコと嬉しそうに笑う通常運転なアルに、ルシルは呆れつつも彼の言葉が嬉しくて、ふっと笑みを漏らした。
「……あの、本当にごめんなさい、さっき言ってしまったこと」
和やかな雰囲気に、このままでは自分のしてしまったことが許されてしまうと思ったルシルは、笑みを消して、真っ直ぐアルを見つめ、再度謝罪の言葉を口にした。
「……うん」
『本当に気にしていない』
その言葉は今は言うべきではない気がして、アルは彼女に言葉の続きを促す。
「私、貴方のこと、誰にも取られたくないの。……少し不安だったのよ。アルが私のことを愛してくれていることはよく知っているつもり。だけど、他の人が貴方のことを好意的に見ているところを見るとモヤモヤしてしまって……。アルは私だけのものなのにって」
彼を傷つけたことを謝罪するはずが、彼への気持ちを連ねているだけになっていることに気づき、これでは伝えたかったことが上手く伝わらないと、ルシルは自分に気合いを入れるように首を左右に振った。
いつの間にか、自分の視線は地面に落ちていて、自分の勇気のなさにルシルは心の中で呆れた。
「えっとね、何が言いたいかと言うと……。アルを独り占めしたくて、私、貴方のことを傷つけるようなことを、これからも言ってしまうかもしれない。だから、そんな時はちゃんと私のことを叱ってほしいのよ。そうじゃないと私、どんどん悪い女になってしまうから」
そこまで言って、恐る恐る視線をアルに戻す。
ルシルが話している間、ずっと黙ったままだった彼。自分の話をきちんと聴いてくれているからだ、と最初は思っていた。
けれど、あまりにも静かな彼に、ルシルの心は不安で支配されていた。
アルの海のような瞳と視線がぶつかる。
(吸い込まれそう)
彼を最初に見た時と同じ感想が頭の中に浮かんだ。
「それってずっと、俺と一緒にいてくれるってこと?」
「え? それはもちろん……。えっと? ……えっ! アルは……違うの?」
「まさか! そんなわけないに決まってるよ! 死が二人を別つ時まで……ううん、そのあとも! ずっと一緒にいようね、ルシル」
めちゃくちゃだ。
ルシルの最愛の人はいつも可愛くて、格好良くて、どこかズレていて。
だけど、そんなズレも愛しいと、そう思う。
恋は盲目だ。
なんて、本当は彼の良いところも合わないところも全部見えている。
それでもずっと、彼を一番に想うのも、彼に一番に想われるのも自分でありたいから。
彼に恋をして知った欲張りな感情は、時々ルシルの胸を苦しめる。
だけど、彼から貰えるのならば、痛みも愛しいと思えるのだ。
目の前で春のように笑う、可愛くて格好良いルシルだけの王子様でありお姫様な彼。
彼に囚われていたはずが、いつのまにか、誰からも見られないように彼を隠してしまいたいと思うようになっていた。
恋は人を変える。
それを、ルシルは自分の身をもって知った。
アルの言葉に返事をするかのように、ルシルはぎゅっと強く、彼に抱きついた。
それを分かっていたかのように、アルも彼女を強く抱きしめる。
彼の愛は自分にだけ注がれていて、自分も彼だけを瞳に映している。
(それってとても、幸せなことだわ!)
これで本当に完結です!
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