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侯爵令嬢を手懐ける方法

 まるで、どこかの洋菓子店のもののように美しいベイクドチーズケーキにハーブティー。テーブルの上のそれらをじっと見つめていると、チーズケーキを挟んで向かい側から、可愛らしい笑い声が聞こえた。


「ふふっ。どうぞ、召し上がれ?」


 元婚約者の浮気相手から差し出された飲食物など、口にできるわけがない。ルシルはそう思い、何もせずに黙っていると、大きめに切られたケーキを無理矢理口にねじ込まれた。


「むぐっ!?」


 ルシルの前に座り、ハーブティーを楽しんでいたはずの銀髪の少女は、いつの間にかルシルの方へと身を乗りだしていた。

 その手には何も刺さっていないフォーク。

 もしかして刺されるのでは、なんてことを考えたが、こちらにフォークを差し出すような姿勢の彼女、そして、自身の口いっぱいに入っているチーズケーキの存在に、それはないかと思い直した。


「はい、あーん……ってやつですよ」


 完全に事後報告である。

 目の前でニコニコと可愛らしく笑う少女に、それはやる前に言ってほしいと、ルシルは心の中で抗議した。


(……なんでこんなことになったんだっけ?)


 諦めてチーズケーキを食べるルシルを見て、嬉しそうに笑うアル。

 相変わらず思考が読めない彼女に、どんな表情で向き合えば良いのか分からず、ルシルは俯いて、ハーブティーに口を付けた。


(あ、どうしよ。飲んじゃった)


 ここはアルの自宅の庭。言わば、敵の本拠地である。

 そんな場所で出された食べ物を食べ、更には飲み物まで飲むだなんて、抜けているにもほどがある。

 元婚約者に言われた、『馬鹿』という言葉が頭の中に浮かび、慌てて頭を振って、元婚約者を脳内から追い出した。


 綺麗に整えられた庭。

 上等そうな真っ白なテーブルで優雅なティータイム。

 そんな状況をつくりだしたのは、目の前の少女、アルだ。


(……あ。この花、好きなのよね)


 庭に植えられた花の中に自身が好きな花があることに気づき、ルシルは思わず笑みを浮かべてしまうが、そんな場合ではないと、ぶんぶんと頭を左右に振り、ここに来てしまった経緯を振り返った。





 学園を出て、それでも足を止めない少女の背中に、ルシルは恐る恐る声をかけた。


『……あのー、アルさん? 私の家、反対方向ですので、ここで失礼しますね?』


 そう言って彼女の手を強く引いて、なんとか足を止めさせ、アルに掴まれていない方の手で、そっと自宅がある方角を指差す。

 できるだけ友好的な姿勢を見せようと、可哀想なくらい頬を引きつらせながらも、ルシルは今の自分にできる精一杯の笑顔をつくった。


(私、敵じゃないです。邪魔しません。無害)


 ルシルが心の中で、そんなことを主張している間、少し先で彼女の手を握ったまま足を止めたアルは、何も言葉を発することはなく、辺りには気まずい沈黙が漂っていた。


(……気まずい)


 何も言わず、何を考えているのか全く分からない彼女の背中を見つめていると、だらだらと嫌な汗が流れてくる。

 すれ違う人々に不思議そうな視線を向けられながら、ルシルは自由な方の手で額の汗を拭った。


『知ってます』


『……はい?』


 永遠にも思える沈黙のあと、アルが発したのはそんな言葉だった。

 何に対しての回答なのか分からず、ルシルは困惑して首を傾げる。


『ルシル様のお屋敷、あの丘の上ですよね』


『え』


『ですよね?』


 何故か確信を持っているようだった。

 ちょうどルシルの自宅がある辺りの丘を指差し、自信ありげにそう言う後ろ姿しか見えない銀髪の少女に、ルシルは内心かなり動揺していた。


(え、な、なんで知っているのかしら……。もしかして、ローラルド様から聞いたとか?)


 しかし、元婚約者が浮気相手に、今後捨てるつもりの女の自宅を教える理由が分からず、更に困惑するばかりだった。


『ふふっ。ルシル様のことなら、なんでも知っていますよ』


 黙ってしまったルシルを振り返り、アルは綺麗に微笑んだ。

 その笑顔は美しく、天使が現実に存在したなら、こんな姿をしているのではないかと、そう思ってしまうほどだった。


『な、なんでもって……』


 『例えば何を?』とは、何故か恐ろしくて聞く勇気がなかった。


『……教えてほしいですか?』


 いたずらっぽくそう言うアルに、否定の意味を表すように、ルシルはぶんぶんと力強く首を左右に振った。


『ふふっ。そんなに首を振ったら取れちゃいますよ? でも、そんなルシル様も素敵かもしれませんね』


(……どういうこと!? お前の首を取るぞってこと!?)


 彼女はそんなにも第二王子のことを愛しているとでもいうのだろうか。すでに元婚約者になった自分に殺意を向けるほどに。

 今日は暖かく、過ごしやすい陽気だ。今朝、絶好の洗濯日和だと言っていたソフィアのことを思い出すが、何故かルシルは寒気がしていた。


『あ、あの、アルさん……?』


『はい』


『えっと……、私の家、あちらですので』


『はい、存じております』


『ですので! 失礼します! じゃ!』


 令嬢としての挨拶の仕方など、もうルシルには関係がなかった。両手でスカートの裾を軽く持ち上げるだとか、そんな作法も頭から抜け落ちた。

 正直、それどころではなかったのだ。


(殺される!?)


 命の危険を感じたルシルは、とにかく一刻も早くこの場から離れようと、自宅に向かって駆け出す。

 しかし、そう事はうまく運ばなかった。

 走り出そうとして、何故か、体が後ろに引っ張られる。


『びゃあっ!?』


 彼女は忘れていた。自身の手がアルにしっかりと掴まれたままだということを。


『逃がしませんよ?』


 にっこりと微笑まれる。こんな出会いでなければ、ルシルも彼女のことを素直に可愛い少女だと感じていたように思う。

 けれど、今のルシルにとって、アルの綺麗すぎる笑みには恐怖しか感じることができなかった。


(……終わった)


 まるで処刑を宣告されたかのように項垂れるルシルに、アルは不思議そうに首を傾げた。


『ルシル様。チーズケーキ、お好きでしたよね? 今日はルシル様のために、メイドがチーズケーキを焼いて帰りを待ってくれているんです』


 もはや、何故知っているのか、と問いかける元気もなかった。

 せめて、行くか行かないかの選択肢を与えてほしかった、とルシルは思う。

 どうやら彼女の家に行くことは、ルシルの知らないところで最初から決まっていたらしい。

 ルシルはせめてもの抵抗と、その場から動かないという強い想いを込めて足を踏ん張ったが、アルの力は少女とは思えないほど強く、ズルズルと引きずられるようにして、いつの間にか彼女の自宅に辿り着いてしまっていた。


(ひぇ……。ここが、元婚約者の浮気相手の家……)


 アルの家は街外れの静かな場所にあった。意外とルシルの自宅と近くて、ルシルは恐怖で震えた。

 アルは平民だと噂で聞いていたが、彼女の家はルシルの自宅とそう変わらないほどに立派な作りをしており、とても一般庶民の家とは思えなかった。


 彼女は本当に平民なのだろうかという疑問が浮かぶが、ここ数日でアルが苦手になってしまったルシルは、なるべく彼女との会話を減らすために、疑問をぶつけることはしなかった。


 屋敷の中に彼女の身内の姿はなかったが、代わりにメイドが数人いて、ルシルの来訪を何故か大袈裟なほどに歓迎した。

 そして、気がつけばルシルは、元婚約者の浮気相手の家の庭で、浮気相手本人とお茶をするという奇妙な状況に陥っていたのである。

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