そして、また恋に落ちた
(私の心は貴方が守ってくれる。でも、それなら、誰が貴方の心を守るのよ?)
アルは、ルシルが危害を加えられそうになったら、すぐに感情的になる。
それなのに、自分は何を言われても、何を考えているのか分からないような顔で笑っている。
自分のことは自分で守ろうとしない彼を見て、ルシルはどうしようもなく腹が立った。
バッグに手を入れ、お守りのようにしていたソレを掴む。
前を向き、ただ、彼だけをまっすぐに見つめる。
ルシルはドレスの裾を乱暴に掴み、彼を囲む人だかりへ駆け出した。
パーティー会場の中で走る令嬢など他に存在せず、ルシルの姿はまわりに異質なものに映った。
アルを囲んでいた令嬢達は軽く悲鳴を上げ、慌てて彼女を避け、ルシルの通る道ができる。
ルシルはルージュの蓋を外しながら、その道を走り、ずっと探し求めていた彼の元へ辿り着く。
「え……、ルシル……?」
アルは、令嬢らしくなく会場内を駆けて自分の元へ現れた彼女に戸惑う。
戸惑う様子の彼を無視し、ルシルは背伸びをする。手にしていたルージュで強く彼の唇をなぞった。
まわりの令嬢達から悲鳴が上がる。
何があったのかと、他の参加者達も様子を見に集まってきたが、ルシルにはどうでもいいことだった。
「貴方には、こっちも似合うわ!」
勢いが強すぎたのか、ルージュは彼の唇からはみ出している。
それでも、ルシルはやっぱり彼に似合う色だと思った。
(みんな、全然分かっていないわ。アルは男性の姿でも女性の姿でも、どっちでもアルなのは変わらないし、どちらも素敵なの。どちらかしか選んではいけないだなんて、誰が決めたのかしら?)
呆然としているアルに、ルシルは叫んだ。
「男だとか女だとか、そんなのどうでもいいわ! 私は貴方が好きなの! アルバート・エーデルシュタイン!」
自分達を囲んでざわめく貴族達に、やってしまったかと僅かに焦るルシルだったが、それでも本心を彼に伝えたいと、彼のことを守りたいと、そう思う気持ちは止められなかったのだ。
「……俺が、一番欲しかった言葉だ」
少しの沈黙のあと、アルは静かに涙を流した。
「……やっぱり俺は、君が好きだよ」
そっとこぼれ落ちた言葉に、柔らかく自然な笑みに、ルシルは彼の手を強く引いて駆け出し、そのままの勢いで会場を抜け出した。彼は、もう逃げなかった。
閉まった扉の向こうから、困惑したような貴族達の声や令嬢達の声がざわざわと音として聞こえたが、それに構わずに廊下を走り、気がついた時には城の外にいた。
外はもう暗くなっており、少し風が冷たい。月がふたりをほのかに照らしていた。
お互い息を切らし、城から少し離れた道で立ち止まる。
繋いだ手をふたりとも離そうとしなかった。
「……なんだか君は、王子様みたいだ」
アルが微かに笑いながら言う。
その声は涙で少し掠れていた。
ルシルはそのことには触れずに、言葉を返す。
「王子様なのは貴方でしょ」
「正論。ルシルって、こういう時はもっとロマンチックな返しをしてくれると思ってたけど」
「でも、これが私だわ」
「そうだね、君だ。……君のこと、もっと教えてよ、ルシル」
知ったつもりでいた、彼女の全部。
けれど、自分の知らない彼女が、まだまだ存在していると思い知らされる。
知った気でいた。けれど、それはうぬぼれだった。
アルはルシルではない。別の人間だ。だから、彼女の本当は、彼女しか知らないことなのだ。
だからこそ、アルは知りたいと思う。彼女の隣に自分の居場所をつくりたいと思ったから。
『君がいないと、上手く息ができそうにないよ』なんて、そんな言葉がアルの頭の中に浮かぶ。
ずっとルシルが好きだった。十年前の春、自分を肯定してくれた彼女が好きだった。
彼女のためにしてきたと思っていたことを彼女自身に否定され、それは自分がずっと好きで追い求めていた彼女がする行動ではないと、そう思った。
彼女と直接関わることができないでいた十年の間に、自分は自分の中で理想のルシルを作り上げていたのだと、アルは思う。
理想と外れた行動をする彼女を受け入れられずにいたが、十年の間で彼女の本質が変わったわけではなかった。
はみ出たルージュを手の甲で拭い、薄く手に付いた春を感じる淡いピンク色のそれを見つめる。
いつだって彼女は、自分を陽の射す暖かな場所へ、春へと導いてくれるのだ。
「えぇ。教えるわ、なんだって! だから、貴方の話も聞かせてちょうだい? 私のお姫様」
からかうように笑うルシルに、彼女はこんな笑い方もするのだと、その夜、アルは初めて知った。
彼女が強く握ってくれた手を、アルはそっと握り返した。




