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あの人に似合う色

 彼とお揃いの、春を感じる淡いピンクのルージュ。

 自室のドレッサーの前で、それをスッと軽く自身の唇にのせる。

 それだけで、なんでもできそうな気がしてくる。


 彼がこのルージュを使っているところは、結局一度も見たことがない。

 『絶対に似合うのに』、とルシルは思う。


(よし!)


 鏡に向かって拳を握りしめ、気合いを入れる。

 特別なドレスも、新しい靴もいらない。


(私には、アルがくれたルージュがあれば、それで充分だわ)


 そっと、クラッチバッグに彼からの贈り物を忍び込ませた。





 王家から招待されたパーティーに参加するため、王城に辿り着いたルシルは、ひとり、豪華なカーペットが敷かれた広い廊下を歩いていた。

 歩くと少し沈むフカフカのカーペットに歩きづらさを感じながら、パーティー会場まで向かう。


(……アルは来ているのかしら?)


 ここへは彼に会うために来たようなものだ。

 けれど、会場である部屋の扉の前まで来て、ルシルは足がすくんだ。

 会いたい。だけど、会うのが怖い。

 今、彼は何をして、どこにいて、何を考えているのか。

 彼の心を切り開いて、中身を全て見てしまいたい。

 それなら、こんなに悩まなくて済むのに、とルシルはため息をつく。


 次に会った時のアルの反応が予想できない。

 また、『君はいらない』と冷たく言われてしまうのか、それとも、『これ以上惑わせるな』と苦しそうに言われてしまうのか。

 分からない。怖い。けれど、彼がいなければ何も始まらないし、意味がない。

 彼との未来は自分ひとりではなく、彼とでなければ描くことができないのだから。

 深呼吸をし、バッグの上から、ルージュが入っている辺りに触れる。


(よし! 大丈夫!)


 自分を鼓舞し、ルシルはパーティー会場の重い扉を押した。





 優雅な演奏。会場の中心で軽やかに踊る男女。グラスを片手に談笑する人々。

 参加しているかどうかも分からないアルを探すため、ルシルはパーティー会場をぐるりと一周することにした。

 見知った顔がいれば軽く挨拶をしながら、会場内を足早に歩く。

 グラスも持たず、ダンスも踊らず、誰かと深く話をするわけでもなく、ただ会場を歩き回るだけの彼女に不思議そうな視線を向ける人間はちらほらいた。

 けれど、彼女にとって、その視線は気になるものではなかった。


(どこにいるのかしら、アル。……そもそも、参加しているの? まさか、来ていないとか……)


 その可能性もある、と足を止める。

 彼が参加していたら、すぐに気づくはずだ。だって、彼はきっと、この会場で一番可愛らしいから。

 素敵なドレスと靴を身につけて、あの綺麗な銀色の髪をなびかせ、華麗にダンスを踊ってみせるのだ。

 彼は目立つ。だから、彼がこの会場にいたら、会場中の視線を集めるだろうから、すぐに分かるはずだと、ルシルはまるで親バカのようなことを考えた。


 もうすぐで会場を一周し終える。

 ここまで探しても見つからないのであれば、彼は恐らくこのパーティーに参加していないのだ。

 ルシルは歩くスピードを落とす。アルがいないのならば意味がない。

 もう帰りたかったが、これは王家から招待されたパーティーだ。

 好きな時間に帰って良い形式ではあるが、来てすぐに帰るのもどうかと思い、飲み物を貰いに行こうとした時だった。

 会場の出入口付近が騒がしくなり、令嬢達の色めき立った声が聞こえてきた。


(な、何かしら……)


 そっと振り返って様子を伺おうとするが、出入口には人だかりができていて、ルシルのいる場所からは様子を見ることができそうにない。

 誰かを囲んで黄色い声をあげている人々の様子に、人だかりの中心にいるのは、もしかしたら自分が探している人物かもしれないと思ったルシルだったが、すぐに思い直す。


(いいえ、違うわね。アルだったら、男の人に囲まれているはず……)


「……うん?」


 果たして、本当にそうだろうか。

 ルシルは、アルが今日ここに来るのなら、美しい肩までの髪に凝った装飾を付けて、可愛らしいドレスを身に纏い、誰が見ても少女な姿で登場すると、そう思い込んでいた。

 けれど、彼の実際の性別は男性であり、更に、隣国の第三王子という立場でもある。

 そんな彼が、隣国の王子として招待されたパーティーに、少女の姿で現れるだろうか。


(……もしかして!)


 ルシルは慌てて人だかりができている場所へと駆け出し、背伸びをして、中心にいる人物を確認する。

 令嬢達の隙間から見えたのは、ふんわりとしたセミロングでも、可愛らしいドレスでもなかった。

 そこにいたのはパーティーらしく正装をした男性。

 頭の中に思い描いていた少女の姿とは異なる。

 けれど、光が反射して輝く銀の髪と、吸い込まれそうな海のように深い青の瞳は、男性の姿をしていても変わらなかったから。

 それに、彼が仮にどんな姿をしていたとしても、ルシルには彼が彼だと分かる気がした。


(……見つけたわ)


 令嬢達に囲まれ、作り物のように綺麗な笑みを見せているアルの姿を、ルシルは人だかりを挟んだところから、じっとチョコレート色の瞳で見つめた。


 彼の元へ向かおうとするが、令嬢達の壁が厚く、なかなか歩みを進められない。

 それをもどかしく思っているうちに、人だかりの中心辺りから、彼と令嬢達の会話が聞こえてきた。


「アルバート様、今日は普通の格好をされているのね。以前から申し上げておりましたが、こちらの方が素敵だわ!」


(は?)


 聞こえてきたどこかの令嬢の声に、ルシルは思わず歩みを止め、顔をしかめた。


「そうよね。せっかく綺麗なお顔をされているのだから、女性の格好をするだなんて、おかしな真似はなさらないほうが良いですよ」


「ずっとこちらの姿でいるのなら、わたくし、是非貴方とお近づきになりたいわ。この後のご予定は何かありますか? なければわたくしと……」


「ちょっと! 抜け駆けはやめてくださらない? 私だって、前からこちらの姿の彼のことは素敵だと思って……」


 アルに一番近い場所で彼を囲んでいる令嬢達が彼を巡って争いを始め、ルシルは彼女達に鋭い眼差しを向けた。


(ばーかばーか! 確かにアルは格好良いけど、可愛くもあるのよ! 両方魅力的なの! それが分からないなんて、貴女達、損をしているわね!)


 と、心の中だけで彼女達の背中に叫んだ。

 本当は衝動のままに彼女達のところまで駆け出して言ってやろうかと思ったルシルだったが、人だかりで動けない状態だったため、それは叶わず、そのおかげで冷静になることができた。


(……危ない。もう少しで言いに行ってしまうところだったわ)


 さすがに、王家主催のパーティーで複数の令嬢に喧嘩を売ると自身の父の仕事に影響が出そうなので、言えなくて良かったとルシルは安堵する。

 自分はなんとか怒りを抑えたが、少女の姿をしている時の自身を否定するようなことを言われたのだ。

 アル本人はきっと怒っているはずだろうと、人だかりの向こうの彼に視線を向ける。

 しかし、そこにあったのは怒りでも悲しみでもなく、綺麗な笑顔だった。


 『ずっとこの姿でいてください』と言われれば『善処します』と微笑み、『男性がドレスなんておかしいですから、こちらの方が良いですよ』と言われれば、『そうですね』と笑う。

 本心の見えない作り物のような笑顔ではあったが、彼が怒りも悲しみも全く浮かべずに笑っていることにルシルは衝撃を受けた。


(……どうして、笑っていられるの)


 その笑顔は怒りや悲しみを抑え、無理をしているようには見えない。

 だからこそ、ルシルは困惑した。


(わたしが少しでも何か言われたり、されそうになったらすぐに手が出るくせに)


 そして、気づく。


(あの人は、自分の痛みには鈍感な人なのだわ)

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