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自覚

 致命傷だった。

 先に彼を傷つけたのは自分だというのに、ルシルはアルの言葉に酷く傷ついていた。


「俺の好きな女の子はね、俺の全てを受け入れてくれる子なんだ」


 アルは静かに話し始め、ルシルは縫い止められたかのようにその場から足を動かせなくなり、ただ、彼を見つめた。


「俺のことをおかしいなんて言わないし、苦手だって思っていても、俺のことを否定はしない。だから、君は俺の理想のルシルじゃないよ」


「そ、そんなこと言われても……」


 自分を襲った男達に向けていたような、静かで感情の読めない眼差しを向けられ、ルシルはたじろぐ。彼にこんな目で見られるのは初めてだった。


「私は別に、何でも許せるような聖人じゃない。貴方の言うルシルは、貴方が勝手につくりあげた貴方の妄想の中のルシルだわ」


 アルのことを可愛いと思う。好きな服を着て、自分らしく自由でいてほしいと思う。

 けれど、彼の行い全てを受け入れられるような心は、ルシルには無かった。

 彼の言う【ルシル】は、今、現実に生きている自分ではない何かを指しているのではないかと彼女は考える。


「……ルシルの声でそんなこと言うのやめてよ」


「ルシルは私よ。貴方の頭の中の私じゃなくて、現実の私を見てよ!」


(……私)


 悲壮感あふれる自分の声で、ルシルは気づく。

 自分は彼に愛されているようで、本当に愛されていたのは自分ではなく、彼の頭の中だけに存在しているルシルなのだと思い知らされたことが、酷く悲しいのだと。

 彼が自分を見ていないことが悲しくて、涙が出そうになって。

 けれど、彼の理想のルシルは、ここで泣いたりなんかしないのではと、変な考えが浮かんで。

 何故か惨めな気持ちになってしまったルシルは、もつれそうになる足を必死に動かしながら、その場から駆け出した。


 自宅が見えてきたところで足を止める。

 息が切れて、呼吸が苦しい。

 振り返っても、アルの姿がないことに落胆する。

 酷いことを言ってしまったが、それでも、もしかしたら追いかけてくれるのではないかと、心のどこかで期待していた。

 けれど、彼はルシルを引き留めようとはしなかったし、声をかけてくることもなかった。

 力が抜けて道端にしゃがみこみ、ルシルは静かに涙を流す。


(……どうして泣いているのかしら。これで良かったじゃない。だって、彼と価値観が合わないから結婚は無理かもって、そういう話を始めたのは私の方なんだもの)


 そう自分に言い聞かせても、涙が止まることはなかった。

 帰りが遅いルシルを心配して探しに行こうとした彼女の父が、泣き腫らした目をした彼女を見つけるまで、ぼんやりとその場にうずくまっていた。





「もう、昨日は本当にびっくりしたわよ。貴女、目を真っ赤にして泣いているんですもの。貴女が泣くところなんて久しぶりに見たわ。アルさんと喧嘩でもしたの?」


「うーん、ちょっとね……」


 ただの喧嘩だったら良かったのに、とルシルは思う。

 アルとの関係に亀裂が走った翌日の朝。

 朝食の席で母に問いかけられ、ルシルは曖昧な笑みを浮かべた。

 昨夜、一生分泣いたのではないかというくらい涙を流し悲しみに暮れていた彼女だったが、一晩ぐっすり眠ると、翌朝やけに頭が冴えて気持ちも落ち着いてきていた。


「それにしても、貴女に喧嘩するようなお友達ができただなんて嬉しいわ」


 彼女の母は楽しそうに自身の娘を見る。

 彼女の父は『娘の泣いているところは、もう見たくないけどなぁ』と困ったように笑った。


「……あのね、相談してもいいかしら」



 ルシルはパンケーキを切り分けようとしていた手を止め、フォークとナイフを皿に置いた。

 真剣な声音で話す彼女に、両親は顔を見合わせ、食事を中断する。

 大方、彼女の友人だと聞かされているアルについての相談だろうとふたりは予想する。


「……ある人の話なんだけど」


 ルシルはそんな前置きをして話を始めた。


「一緒にいると落ち着かないことが多いけど、その人と出かける時はどうしてかお洒落してしまって、彼とといると自然と笑顔になれるの」


 同性の友人の話が始まるのだと思っていたら、突然雲行きが変わり始めた娘の話に両親は僅かに困惑する。


「でも、その人と、どうしても致命的に合わないところがあって。それは絶対に今後も受け入れることはできないと思うのよ。そんな人と、これからどうやって関わっていけば良いと思う?」


「えっ!」


 質問で終わった娘の言葉に、彼女の父は分かりやすく動揺し、視線をさ迷わせる。

 そんな彼の足をテーブルの下で踏みつけ、ルシルの母はにっこりと微笑んだ。


「ルシルはその人のことをどう思ってるの?」


「どうって……」


 ルシルは答えが分からず、皿に視線を落とす。そんな彼女を見て、母は優しく微笑んだ。


「その人のことが無理だって、もう関わりたくないって、そう思っているのなら、『これからどうやって関わっていけば』なんて言葉は出てこないわ。その人との未来を考えている時点で、それは恋なのよ」


「こ、い……?」


 自身の母が何を言っているのか分からなかった。何か自分の知らない言語のようなものが聞こえた気がする。

 けれど、まるで追撃するかのように母に『それで、どこの男の子の話なの?』と言われ、ルシルに衝撃が走った。


(恋!?)


 彼女の父は『婚約が無くなって、しばらくは家にいると思ったのに』と、悲壮な顔をしてパンケーキをつつく。

 反対に母は楽しそうに笑っていて、ルシルは居心地が悪くなった。


(いやいやいや、恋とか、そんな……)


 否定しかけるが、本当に違うと言える自信がなかった。

 いつからだろう。彼が隣にいるのが当たり前になっていたのは。彼の隣が自分にとって、居心地が良い場所になっていたのは。

 どうしてだろう。今、彼との仲が壊れ、こんなにも落ち込んでいるのは。彼に、想像の中のルシルではなく、自分自身を見てほしいと思ったのは。

 ルシルは気づく。

 彼への恋心は、ずっと前から自分の中にあったのだと。

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