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合わない

 ルシルは思い出した。彼は少女のように可愛らしく、場の空気を明るくしてくれる人だ。

 けれど、彼にはルシルも手が付けられない獰猛な一面があるのだった。

 何度も自身の目で見てきたことであるし、本当は覚えていた。

 けれど、彼と過ごす時間が楽しくて、記憶の奥に閉じ込めていたのだ。

 彼の好感が持てる面だけを見ていたかったから。


「ルシルー! 大丈夫だった!? ほんとにやめてほしいよね、こういうの。コイツは後でちゃんと処理しておくよ」


 ルシルに危害を加えようとした者には、どこまでも冷酷になれるのに、ルシルの前では子犬のように無邪気な姿になる。

 そんな風に、些細なことでも、きっかけさえあれば豹変するアルに、こういう面は苦手だとルシルは感じていた。

 それは、彼が誰かに暴力を行使するたびに思っていたことではあったが、今までは苦手だと思うだけで終わっていた。

 それに、自分のことを想って助けてくれるアルに、嬉しいという感情があったから、この問題を深く掘り下げないでいた。


 けれど、彼との結婚を意識し始めた今。

 恐らく結婚後もこの獰猛な面は残り続けるであろう彼と、上手く付き合っていける自信がなかった。

 友人としてだとか、好きな人だとか、恋人としてだとか、そんな関係のままなら、嫌な面は無かったことにして記憶の底に閉じ込めて、良い面だけを見ていられたかもしれない。

 だが、結婚し、家族になる。そう考えた時に、見たくなくて閉じ込めた物が、何かの拍子に飛び出てきてしまうのではないだろうか。そうなった時に、自分はきっと、彼に対して苦手だという感情を抱いてしまうのだろう。


 ルシルは直感的に思ったのである。


「……無理だわ」


 頭の中だけで思い浮かべていただけのつもりだった言葉は、無意識のうちにルシルの口から声となってこぼれ落ちた。


「え? 何ー?」


 よく聞こえなかったらしく、アルは首を傾げ、ルシルの元へ向かうために歩みを進めた。

 可愛らしい顔で不思議そうにしているが、その右手では気絶した男の首根っこを掴んでいる。

 男を引きずりながら歩いてくる彼に、ルシルの中で【無理】だという気持ちは更に強くなった。


「ごめんなさい!」


 自分のすぐ近くまでやってきた彼に向かって、ルシルは勢いよく頭を下げた。


「え、何? どうしたの? これくらい全然大丈夫だよー。ルシルが悪いわけじゃないんだし、あなたが謝ることなんて……」


 男を掴んだ手とは反対の手を軽く振り、彼女に『気にしないで』と伝えるアルだったが、ルシルが気にしているのは今起きた事件のことでも、地面を引きずられている中年の男のことでもなかった。


「私達、結婚しても上手くいかないと思う」


 一歩下がり、冷静にそう言ったルシルに、アルはその場で足を止めた。


「えっ、何、突然……」


 困惑する彼を無視して、ルシルは続ける。


「突然じゃないわ。ずっと感じていたことなの。貴方とは価値観が合わないって」


「え!? 具体的にどこ!? 直すから教えて!」


「どこか分からないところがもう嫌なの!」


「そんな感情的に言われても……。ルシルの気持ちはルシルにしか分からないんだし、はっきり言ってくれないと分からないよ」


 自分のことなら何でも知っていると言ったくせに、とルシルは言いたくなったが、ぐっと堪える。


「……私に何かあったら、すぐに手が出るところとか、そういう、何でも力で解決しようとする所が私と合わないと思ったのよ」


 彼女は強く自身の手を握りしめ、冷静に見えるように意識しながら言葉を紡いだ。


「えー、でも、ルシルの目には綺麗なものしか映したくないし……。なら、俺が排除するしかなくない?」


 平然と言ってのける彼に、ルシルの中で何かが切れた。


「綺麗なものばかりの世界なんて存在しないわ! それに私、アルにそんなこと頼んでない!」


 思ったよりも大きな声が出てしまう。

 人の姿が見えない静かな場所では、思いの外、声が響いた。

 アルは何も言わず、ルシルは突然怖くなって俯いた。

 オレンジから藍色に変わり始めた空は暗くなっていくばかりで、それが余計にルシルの不安を煽る。

 ひんやりとした風が彼女の頬を撫でる。

 だんだんと、ルシルは冷静さを取り戻しつつあった。


 アルに求婚され、いつの間にか自分はアルを【選ぶ立場】だと勘違いしていたことに気づく。

 【合わない】なんて言葉は、自分が優位な立場だと無意識に思ってしまっていたから出てきた言葉なのかもしれないと気づき、途端にルシルは恥ずかしさと焦りと罪悪感でどうしようもなくなってしまった。

 けれど、彼と価値観が合わないと思ったことは事実であるし、しかし、言わなくていいキツい言葉を彼に浴びせたのも事実である。

 彼は何も言わない。何を思っているのか分からなくて怖い。

 でも、彼と話をしなければ、ここから先に進むことはできないと思い、ルシルは恐る恐る顔を上げる。


「あの、アル……」


 『言いすぎてしまったわ。傷つけてごめんなさい』と、ルシルは謝罪するつもりでいた。

 そうすれば、ルシルを愛する彼は、『全然気にしてないよ!』と笑って許してくれるのではないかと、心のどこかにそんな狡い考えがあった。

 けれど、顔を上げた彼女の目に映ったのは、表情を無くした人形のような姿のアルだった。

 ルシルは自身の手が急激に汗ばむのを感じた。


「……俺の好きなルシルは、そんなこと言わないよ」


 彼が発した言葉はそれだけだった。

 しかし、その声は冷たく、ルシルの心に鋭いナイフのように深く突き刺さったのだった。

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