惨殺ストロベリータルト
ある日の昼下がり。
街を歩く少女がふたり。彼女達が歩くたびに、ストロベリーブロンドと銀の髪がなびき、すれ違う人々は絵画のような美しさに目を奪われていた。
多くの人々は彼女達を遠くから眺めるだけで、話しかけるのは勇気がいるといった様子であったが、時々、彼女達に声をかける勇者がいた。
「そこのお嬢さん方! オレとお茶しない? おごるよ? そこにおすすめの店があってさー」
片手を上げ、彼女達に声をかけたのは見るからに軽薄そうな男だ。
「は?」
銀髪の少女は海のような青い瞳で男を一瞥した。どこか殺気を感じるその目に、男は冷や汗をかく。
「ち、ちょっと、アル! ごめんなさい。私達、今から用事があるんです」
今にも男に掴みかかりそうな銀髪の少女の腕を引っ張り、断りの言葉を口にしたのは、ストロベリーブロンドの髪の少女だった。
申し訳なさそうに眉尻を下げる彼女に、こっちの少女なら上手く言いくるめることができるのではと男は企む。
「謝るくらいならさ、ちょっと付き合ってよ。すぐ済むから!」
「えっ!? きゃあっ!」
男は彼女の手を引いた。
が、それが間違いだった。
「ぐぁっ!?」
ストロベリーブロンドの髪の少女の悲鳴が聞こえた瞬間、もう一人の少女が男の腹に拳を突き刺すようにして殴り、男は吹き飛んでいく。
カエルが潰れたような声を上げ、男は地面に倒れ、動かなくなった。
「……ルシルの目に汚いものを映さないでほしいんだけど」
まるで汚れでも付いたかのように、自身の手をハンカチで拭い、銀髪の少女は地面に伏せた男に冷ややかな視線を向けた。
可愛らしいドレスを着た愛らしい少女が突然見せた獰猛すぎる一面に、彼女のことを綺麗だと見つめていた周囲の人々は、見てはいけないものを見てしまったかのように一斉に視線をそらし、何かに急かされるように足早に立ち去った。
「ほんと、ありえないんだけど! 俺のルシルに汚い指紋付けるのやめてくれないかな」
ブツブツと不機嫌そうにそんなことを言いながら、ストロベリーブロンドの髪の少女の前に立ち、男が触れていた辺りをハンカチで何度も拭った。
強い力で銀髪の彼女にしか見えていない汚れを拭き取られながら、少女は『力が強すぎて痛い』とも『別に貴方のものではない』とも言えず、複雑な表情で、地面に倒れている男に視線を向けた。
銀の髪に、深海のような深い青の瞳。ドレスの似合う、天使のように愛らしい少女。
その正体は男であるということを知っているのは、この場でストロベリーブロンドの髪の少女だけだった。
*
「もー! さいっあく!」
凄まじい勢いでストロベリータルトのど真ん中に刺さるフォーク。
タルトはひび割れ、苺のバランスが崩れ、元の美しい姿を失っている。
それをルシルは死んだ目で見つめた。
(むごい……)
タルト傷害事件の容疑者であるアルは、不格好になってしまったタルトのことは気にしていないようで、何事もなかったかのようにタルトを切り分け口に運んだ。
「この辺ほんと変な男多すぎ……あ! 美味しい! ルシルも食べてください!」
「え、えぇ。いただくわ……」
態度の変化が激しい彼に、ルシルは疲れを感じながら、自身の皿にのったチーズケーキを切り分けた。
学園の近くにある流行りのカフェ。ルシルと同世代の令嬢に人気らしく、いつ行っても行列ができているその場所にふたりはいた。
休日の午後、どこかへ出かけようと玄関の扉を開けたルシルの視界に飛び込んできたのは、何故か彼女の家の前にいたアルだった。
彼は半ば強引にルシルをカフェに誘い、彼女はメイドのソフィアに助けを求めたが、お嬢様に一緒に遊びに行くような友達ができて嬉しいと喜ばれ、笑顔で送り出されてしまった。そして、現在に至る。
テーブルを挟んで向かいの席で苺を頬張るアルはどう見ても少女にしか見えず、先程男を拳ひとつで気絶させたのは、本当に目の前の人物だったのかと疑いたくなってしまうほどだ。
カフェという人目のある場所にいるからか、この場所では彼は女の子モードでいくつもりらしく、それが余計に先程のことを夢のように見せていた。
けれど、彼の獰猛な一面を何度か見てきたルシルは、これが現実であることを知っていた。
「やっぱりルシルって誰が見ても素敵ですよね。分かります。わたしもルシルが好きですから、他の方々もルシルに惹かれるのは当然です。でも! 好きな人がかぶるのって、わたし、本当に耐えられなくて!」
アルはまたしてもタルトにフォークを突き刺した。
近くを通った店員が、化け物でも見たかのような顔をして、彼を見ている。
今日、ふたりに声をかけてきた男達は何人かいたが、そのほとんどの目当てはルシルではなくアルだった。
しかし、アルにその気がないと分かるとターゲットをルシルに変更するため、アルが耐えられずに男を始末するという流れを何度も繰り返していた。
(アルの方が素敵だと思うんだけどな)
そうルシルは思ったが、殺意にまみれているアルに声をかけづらく、目の前のチーズケーキを咀嚼することに集中した。
「もうわたし限界です! 近々、正式に結婚を申し込む予定ですので、よろしくお願いしますね」
「えっ!?」
ごく自然な流れで発せられた言葉に、ルシルは思わずフォークを落としてしまった。
近くに座っている客も、アルの発言が聞こえていたのか、アルとルシルの顔を交互に見て、自身の連れに女の子同士でどうとかと囁いている。
「あ、アル! もう出ましょう!」
周囲からの視線に耐えられず、ルシルは席を立つ。
「え? もうですか? でも、まだタルトが途中で……んっ!?」
アルのフォークを奪い、タルトを一気に彼の口に詰め込んだ。
「はい! 終わりです!」
「もー、ルシルってば強引なんですから」
周囲の人々に奇異の視線を向けられながら、ルシルは彼の腕を引っ張り、半ば引きずるようにして店の外に出た。
会計の時に店員がルシルとアルの顔を交互に見ていて、絶対に会話が聞こえていたに違いないと、ルシルは気まずい思いをしたが、そんな彼女とは反対に、アルは彼女に腕を掴まれ、にこにこと幸せそうにしていた。
店を出て、しばらく歩き、ひとけのない場所に出たところで、ようやくルシルはアルの腕から手を離した。
「突然どうしたの、ルシルー?」
女の子モードをやめたらしいアルが、ルシルの顔を覗き込む。
「ど、どうって……。貴方がけ、……結婚とか! 急にそんなこと言うから……」
「え? 急じゃないよ。前も言ったよね、結婚しよって。それに、この国に来たのは、ルシルをお嫁さんにするためですから。全然、急じゃないです! むしろ遅すぎるくらいだよ! あなたに婚約者がいなかったら、十年前に申し込みたかったのに!」
そういえば、自分は彼に『結婚したい』というようなことを言われていたのだと思い出す。
忘れていたわけではなかったのだが、プロポーズにも思える言葉のあと、アルは普段と変わらない様子だったし、それ以降特に何かを言ってくるわけでもなかったから、あれはいつもの勢い余っての発言のようなものだろうと、ルシルはそう思って、あの言葉の意味を深く考えないでいた。
けれど、あれは勢いでも冗談でもなかったらしい。
「ま、待って! だいたい、アルは私のことが好きなの……?」
そう言ってから、よく考えなくてもアルの好意は目に見えていたし、自分は彼の気持ちを何も知らなかったとは言えそうにないと気づいた。
「好きだよ! って、分かってるんでしょ? 本当はそんなこと」
「えっと……」
アルはルシルの顔を覗き込んだまま、悪戯っぽく言う。
心の中を言い当てられたようで、ルシルは気まずくなって、彼と目を合わせていられなくなった。
「いいよ、何度でも言うよ。俺はあなたが大好き!」
(か、可愛い! ……じゃなくて!)
満開の花のように美しいアルの笑顔に、ルシルは思わず心を奪われたが、そんな場合ではないと自身を叱咤する。
「あ、ありがとう……。でも、私……」
(恋愛対象としてアルのことを見ているかというとよく分からないし、ちょっと急すぎるわ)
ルシルは言葉に迷ったが、それはどう断ろうか考えていたためではなかった。
そのことに、彼女自身驚く。
「本当はすぐに答えがもらえたら嬉しいけど、いつかでもいいよ。でも、答えが出るまで、ずっとそばにいてね?」
「わ、分かったわ」
そっと優しく手を握られ、その体温に、ルシルは思わず頷いた。
そんな彼女の様子に、アルは嬉しそうに笑う。
サフィレット家が大騒ぎになるのは、その翌朝のことだった。