『貴方が無事で良かった』って本当は言いたかった
しばらくして、戻ってきたアルに何かあったのか尋ねても『気にしないで』と言われるばかりで、あまり追求するのも良くないかと思い、ルシルは別の質問をすることにした。
聞いても良いものなのか少し戸惑ったが、意を決して口を開く。
「あの、アル……。私、貴方に聞きたいことがあって。そのことを考えていたら、ボーッとしてしまって、こんなところへ来てしまっていたのだけれど」
「え、何? そんなに気になる俺のトピックってなんかある? 何か分からないけど、ルシルが俺のことを考えてくれるのは嬉しい! ずっと考えててほしいな、なんて嘘! あ、嘘じゃないけど。とにかく、質問どーぞ?」
「え、あ、いえ……」
アルの勢いに押されたルシルは、何故自分はこんなことが気になっているのだろうと急に冷静になり、やはり質問をやめようかと一瞬思う。
しかし、これを聞いておかなければ、これから先、彼の姿を見るたびに、元婚約者の話題を耳にするたびに、気になってしまうと思ったから。
ルシルは遠慮がちにそろそろとアルに視線を向けた。
「……あのね。今日、新聞で知ったのだけれど、ローラルド様がその……何人か関係を持っていた方がいるって……」
ルシルは言いづらそうにし、そのチョコレート色の瞳は不安げに揺れている。
「その中に貴方もいる気がして。貴方は大丈夫だったのかしら、アル。何もされていない……?」
彼女は心配するように、そっとアルの手に触れた。
「え!? ないないない! 確かにアイツのベッドには入ったけど、別に何も……」
「え!?」
「えっ。いやほんとに! ないから! 俺の全てはあなたのものだから!」
(それもちょっと……)
僅かに引いてしまい、アルに触れていた手をそっと離す。
「あ!?」
自分から少し距離を取った彼女にショックを受けたが、ローラルドとの間に何があったか説明しなければいけないと思い、アルは僅かに嘘を混ぜながら話をする。
「アイツの部屋に入ったのも一回だけだし、ほんと何もないから! アイツが寝た隙に、ちょっとドレスをはだけさせてアイツの護衛に泣きついてみたりしただけだから!」
本当は浮気の証拠を集めるために複数回、ローラルドが不在の時に部屋に忍び込んだことがあったが、それは伏せた。
「そ、それは大丈夫なの……?」
「俺は激しいおさわりはお断りしておりますのでー。あ、もちろん、あなたは大歓迎だよ?」
「い、いえ、遠慮しておくわ……」
明るい調子のアルに、ローラルドに何か危害を加えられたわけではなさそうだと思い、ルシルは安堵の息をついた。
しかし、ローラルドに何かをされたわけでもないのに、まるで彼に襲われたかのような状況をつくりだしたという話にも聞こえ、もしかして元婚約者はいわれのない罪で勘当されたのではと、そんな考えも浮かんだ。
(……いえ。記事には隣国の要人に関係を迫ったことが決定打になった、というようなことが書いてあったもの)
アルがローラルドを追放に追い込んだわけではないだろう。そう思うのに、アルの出身が隣国であることや、アルの自宅が平民とは思えないほどに豪華であったことや、彼がいつも違うドレス、それも上質なものを身に纏っていること等、引っ掛かる点が多すぎて、ルシルは怪しいと思う気持ちを捨てきれなかった。
それに数日前、彼は『もうすぐ第二王子をどうにかできそうだ』などという、不穏すぎることを言っていた気がする。
ルシルの中でアルは、かなり黒に近いグレーであった。
そういえば、とルシルは気づく。
もし、アルが隣国の要人であるならば、家名を聞けば調べることができるはずだと。
一度も彼の家名を聞いたことがないと気づいたルシルは、不自然にも思える流れで切り出す。
「そういえば、アル。あなたのフルネーム、聞いたことがなかったなと思って。教えてもらってもいいかしら」
突然の質問にアルはきょとんとした後、『いいよ』とふわりと笑う。
その余裕がありそうな様子に、自分の考えすぎかとルシルは思い直したが。
「俺はアル……ごほごほっ」
「えっ、だ、大丈夫?」
「ごめんごめん、ちょっと持病が……」
「え! だ、大丈夫なの……?」
アルに持病があるなど知らなかったと、ルシルは心配そうに彼の背中をさする。
「大丈夫大丈夫。ただ、家名を言おうとすると、咳が出ちゃうんだ。だから、ごめんね?」
彼は可愛らしくそう言って、謝罪の意を表すように両手を合わせた。
(……怪しすぎる!)
ルシルに疑いの眼差しを向けられるが、『ごめんなさい。わたし、いつもこんな感じなんです……』と、アルは女の子モードで誤魔化し続けるのだった。
*
「でも嬉しかったなー! あなたがそんなに俺のこと、心配してくれてたなんて!」
「そうね……」
アルはルシルを自宅まで送ると言い、その帰り道。
嬉しそうにはしゃぐアルとは反対に、ルシルは酷く疲弊していた。
どう考えてもアルは怪しく、得体が知れない。けれど、ルシルがどれだけ追求しても彼は上手くかわすため、結局彼は怪しいということだけがルシルが得ることができた情報だった。
「そうだ! そういえば、カフェっていつ行く?」
「カフェ……?」
何のことか分からず首を傾げるルシルに、アルは拗ねたように言う。
「あー! 忘れてたでしょ? もー! でも、許します! 可愛いから! 無罪!」
アルとカフェ。記憶を手繰り寄せ、少しの間を置いて、ルシルは思い出した。
以前、彼とカフェに行く約束をしていたが、その約束はなんだかんだで流れ続けていることを。
「ルシルが俺とのこと、考えてくれるって言ったから、その答えが出るまであなたに近づくのは控えた方がいいのかなって思ったことも一瞬あったけど、もう無理、限界なので! あなたとデートできないとか、ストレスがすごいので! あ、別にカフェじゃなくても、場所はどこでもいいんだけど!」
「そ、そう……」
ルシルは思わず一歩後ろに下がろうとするが、ガシッと両手を握られ、その場にとどまらざるを得なかった。
「それで! 答えって出ましたか!?」
(近い!)
あまりにも近い彼の顔に考えが纏まらなくなりそうだったが、それでも、長い間保留にしてきたこの問いへの答えはいつかは出さなければいけないものだと思い、彼に自身の素直な気持ちを告げることにした。
「……私ね、アルのこと、良い友人だと思っていたわ。けれど、貴方が男性だって分かって、びっくりして、何度も逃げてしまったけれど……。でも、それは、貴方が男性だから嫌になったとか、そういうわけじゃないって気づいたの」
アルと目を合わせようと思ったが、思った以上に彼の顔が近く、ルシルは彼に握られたままの自身の手に視線を移す。
「……悲しかったんだと思う。貴方が性別を偽ったまま、私と友人になろうとしたこと。貴方が男性でも女性でも、どんな姿をしていても、アルはアルだもの。自分を偽らなくても、私は貴方のことを受け入れるわ。だから、また、友人として……」
『友人として仲良くしてくれると嬉しい』。そう伝えようとしていたルシルだったが、言葉を紡ぐよりも早く、飛びつくようにアルに抱きつかれ、突然のことに対応しきれずにふらついた。
「ひゃあっ!?」
急に抱きついてきたアルはそれなりに重みがあり、やっぱり男性なんだなと、そんなことを思う。
「えっ、な、何!?」
一瞬にして彼の腕の中におさめられたルシルは、少女の姿をしていても本当は少年である彼に抱きしめられている状況に、反射的に顔に熱が集まるのを感じた。
「ありがとうルシル! あなたなら、そう言ってくれるって思ってた!」
アルはパッと顔を上げ、ルシルから僅かに体を離したが、その代わり、彼女の両肩に手を置いた。
「やっぱり友達なんて枠じゃ我慢できないよ! 結婚しよ!」
花が咲いたような笑顔を向けられ、ルシルは一瞬、彼に見とれてしまった。
しかし、聞き逃すことのできないその発言に、ハッと我に返る。
「……はい?」
完全にキャパオーバーで何も考えられなくなってしまったルシルの口から出たのは、そんな気の抜けた疑問符だった。