おかしくなんて、とっくになってる
冷静にハグを断るルシルに、アルは残念そうに『そっかー』と眉尻を下げた。
その残念そうな声を聞いて、助けてもらった立場なのに態度がきつかったかもしれないと、ルシルは途端に不安になり、慌てて言葉を紡いだ。
「あの、アル。助けてくれて、ありがとう。その、言ってなかったから……」
ルシルは何か目的があってこの場所に来たわけではない。ただ、ふらふらと、あてもなく彷徨っていた結果である。
更に、ここは周りに店や住居などは無く、ひとけのない場所なので、アルがここにいるのはとても偶然とは思えない。
彼はルシルのことを影で監視しているらしいし、何らかの方法で彼女の居場所を知ったのだろう。
そう考えると、ルシルは彼にお礼を言うのは複雑な気持ちだった。しかし、助けてもらったことは事実だ。
彼がいなければ、今頃、見知らぬ男達に何か危害を加えられていた可能性が高い。それを想像し、ルシルは身震いした。
「本当に、ありがとう」
アルの目を見て、そう告げる。
「全然! あなたが無事で良かった!」
彼の屈託のない笑顔に鼓動が高鳴るのを感じ、ルシルは動揺した。
(これは知らない男の人に囲まれて怖かったから! それだけよ!)
誰に何を言われたわけでもないのに、ルシルは心の中で言い訳じみたことを言った。
「ルシル、どこか行きたいところでもある? 無いなら今日はもう帰った方がいいよ」
「そうね、そうするわ。何か目的があったわけでもないの。ちょっと……」
『貴方のことを考えていただけ』と言ってしまいそうになり、慌てて口を押さえる。
(確かにそうだけど! なんだかその言い方だと、誤解を招く気がするわ)
ローラルドに何もされていないか確認したかったのだが、何故か自分の口からは少しズレた言葉が出てきてしまいそうで、ルシルは焦る。
「……あ。ごめん、ちょっとだけ待っててくれる? あなたのことはちゃんと見てるから! ここで待ってて」
「え、えぇ」
ルシルの後方を見て何かに気づいた様子のアルは、サッと素早く彼女を近くのコンテナの影に隠した。
その後、すぐに、先程視線を向けていた方向へと駆けていく。
自分よりもヒールの高い靴を履いているというのに、軽やかに走る彼にルシルは感心した。
(何かあったのかしら……)
様子を窺おうと首を伸ばすが、今いる場所から彼がいるであろう場所は、ちょうど死角になっているようで、情報を得ることはできそうにない。
諦めて、手持ち無沙汰になり、自身の髪に触れていると、どうしても考えてしまうのは彼のことだった。
(アルって、結構武闘派なのね)
そんな考えから始まり。
(……ちょっと格好良かったかも)
と、最終的にはそんな考えに到達した。
しかし、慌てて勢いよく首を左右に振る。
(いやいやいや……。あれを格好良いで終わらせるのは、なんだか駄目な気がする! 結局私は何もされていないのだから、あそこまでやる必要はなかったわよ)
学園で女生徒達に水をかけていた彼の姿を思い出す。
(あれもやりすぎだった気がするし……)
自分を守ってくれる人には好感を抱くし、感謝もしているが、それでも正当防衛には限度があり、越えてはならない一線があると、ルシルは思う。
けれど、自分一人では解決できなかった問題を彼が代わりに解決してくれたことは事実である。
自分のためにと行動してくれた人にそんな言葉をぶつけるのも、相手の好意を無下にする行いなのではないかと思い、ルシルはどうすれば良いか分からずに頭を悩ませた。
しかし、いくら考えても答えは出てきそうにない。
ルシルはため息をつき、コンテナに背を預ける。
彼が戻ってきたら、とりあえずは今日一番知りたかったことであるローラルドとの関係について聞こうと、空を見上げながらぼんやりと思うのだった。
*
意識を取り戻したのか、逃げ出そうとしていた男達に気づいたアルは、彼らの首筋に手刀を浴びせ、再度気絶させた。
男達をロープで厳重に縛ったあと、雑に地面に転がす。
その手つきは、どこか慣れたもののように見える。
もうじき、部下が男達を回収しに来る手筈になっており、男達を拘束し一仕事終えたアルは、小さくため息をついた。
(彼女の婚約者だったアイツもだけど、彼女のまわり、変なやつ多くて怖いなー)
地面で横たわる男達を見ていると、彼らが怯えるルシルに触れていたことを思い出す。
「……ほんと、ムカつく」
すぐ側にいた男の手の甲をハイヒールで踏みつけると、気絶していた男は意識を取り戻し、身もだえした。
手から軋轢音が聞こえ、男は必死にもがいたが逃げることは叶わず、余計にヒールが食い込んだ。
男は逃げられないと悟ったのか、代わりにアルに罵声を浴びせる。
「何なんだよ、お前! ちょっと女に声かけただけで、頭おかしいんじゃねぇの!? それとも何? お嬢さんも遊んでほしかった?」
(おかしいだなんて、言われなくても分かってるよ)
少女のような格好をすること、周囲の令嬢が好むようなものを好きだと言うこと。ルシルへの執着。
そのどれもが、まわりからおかしいと言われてきたことであったし、自分自身、おかしいのかもしれないと思ってきたことだった。
(でも、大丈夫。彼女なら、俺のことを肯定してくれるから)
昔、自分の好きな格好でいることは、おかしなことではないと言ってくれた、幼いストロベリーブロンドの髪の少女を思い出す。
彼女のおかげで自分に自信を持つことができたし、どれだけまわりに奇異の目を向けられようと、好きな格好をしていようと思った。
彼女がいたから、自分らしくありのままに生きることができている現在がある。
アルにとってルシルは絶対的な光であり、理想であり、彼女はどんな自分でも肯定してくれるという自信があった。
彼女さえ自分を認めてくれるなら、他の誰に否定されても大丈夫だと、アルは思う。
道の向こうに、こちらに向かってくる自身の部下の姿を認め、騒ぐ男達を放置してルシルの元へ戻る。
彼女以外に何を言われても、彼にとっては雑音でしかなかった。