それでもスカートの中は見えない
眩しい日差しがカーテンの隙間から入り込み、ルシルは伸びをしながらベッドから起き上がる。今日は休日である。
普段着のドレスに着替え、朝食のために部屋を出ようとドアノブに手をかけようとした瞬間、素早いノックの音が聞こえたあと、部屋の主の返事を待たずにドアが勢いよく開き、ルシルは額を負傷した。
「ひゃあっ! な、何!?」
額を押さえながらドアを見つめていると、ソフィアが飛び込むようにして部屋に入ってくる。
「ひぇっ! そ、ソフィア!?」
「あ、お嬢様!? ごめんなさい!」
ソフィアはパッと頭を下げ、けれど、すぐに両手で何かを広げ、ルシルの目の前に掲げた。
「本当にごめんなさいー! でも、これ、見てください!」
目の前に掲げられたそれは、新聞だった。
「もうソフィア、びっくりしちゃって! 本当に良かったですー! お嬢様が変態のお嫁さんにならなくて!」
「え、な、何……?」
興奮した様子のソフィアに一歩後ずさり、ルシルは目の前の新聞記事の内容を確認する。
そこには、元婚約者である第二王子が複数の女性と関係を持ち、男性にも手を出していたこと、更に隣国の要人に手を出したため勘当されたこと等が事細かに記載されていた。
被害者の名誉のためにと名前は伏せてあるが、男性被害者という文字に、ルシルはすぐにアルの顔が思い浮かんだ。
最後に元婚約者の姿を見た時、彼と一緒にいたのはアルだ。
記事には、第二王子は男性には手を出していない等と言っており、罪を認めていないと書かれていて、ルシルは確信した。
(やっぱり知らなかったのね……)
どこからどう見ても少女にしか見えないアルを、本当は男性だと見破れる人は少ないだろう。
(アルは可愛いから仕方がないわね)
元婚約者を憐れに思いながらも、自身の考えに頷く。
「あ、あれ? お嬢様、あんまりびっくりしてないんですね……?」
新聞を広げていた手を下ろし、不思議そうに見つめてくるソフィアに慌てて言葉を紡ぐ。
「えっ! あ、いえ、充分驚いているわ。びっくりしすぎて声が出なくなってしまったくらい。あの人、他にも女性がいたのね」
「え、そっちですか……?」
『お嬢様に酷いことするから天罰が下るんです!』と何故か得意気なソフィアに、本来は自分がそう思う立場であるとルシルは思うが、不思議と第二王子が勘当されたことに対して、何の感情も湧かなかった。
バチが当たって良かったとも、他にも女性がいたことに悲しいとも思わなかった。
ルシルの心は自身も驚くほどに凪いでいて、彼女はぼんやりと、アルのことを考えた。
(えっ、ま、まさか、アル、本当にあの人に何かされたわけじゃないわよね……?)
意外と獰猛な一面がある彼が、少女の姿をしているとはいえ、元婚約者に迫られて無抵抗でいるわけがないとルシルは思う。
けれど、絶対という確証はないのだ。
(いやいやいや……)
「お嬢様? 大丈夫ですか?」
「えっ。だ、大丈夫よ。なんでもないわ、気にしないで」
心配そうにソフィアに顔を覗き込まれ、慌てて手を振る。
(アルがどうなろうと、私には関係のないことだわ! 気にするのやめ!)
ぶんぶんと首を左右に振るルシルを、ソフィアは心配そうに見つめた。
アルのことは気にしない。そう決めたはずなのに、朝食の席でカップに口を付けたまま動かず、ぼんやりとしてしまい、皆に心配されてしまったのだった。
『あんなことが分かったのだから、ショックを受けるのも仕方ないわ』と母に言われ、何のことを言っているのかルシルは一瞬分からなかった。
けれど、父の『まさか男色家だったとはな。女遊びも激しかったようだし、婚約が無くなって本当に良かったよ』という言葉に、元婚約者のことを言っているのだと気づく。
両親の目には、ルシルは元婚約者の所業に落ち込んでいるように映っているのだろう。
実は違うことで悩んでいるんですとは、とても言える空気ではなく、ルシルは曖昧な笑みを浮かべた。
*
家の中は元婚約者の話題で持ちきりで少し居づらくて、ルシルは特に目的はなかったけれど、出かけることにした。
「……アル、今頃どうしているかしら?」
無意識にこぼれでた自身の言葉にハッと口を押さえる。
どうして彼のことを気にしているのかがよく分からない。
結局、彼とこのまま友人でいられるのか、いられないのかの答えも出せていないままだ。
曖昧な関係。アルが幼少期から自分のことを監視していたらしいと知った時は背筋が凍る気持ちだった。
彼のことを女性だと思い込み、友人でいられた僅かな期間は居心地の良いものだった。
けれど、本当は男性だと分かってから、彼の獰猛な一面を見てから、彼といると落ち着かない。
苦手だと、逃げ出したいと思うことが多い。
それなのに、今、なんとなく彼の顔が見たいと思ったのだ。
「ちょっといいですかー?」
間近からかけられた声に反射的に振り返る。そこには見知らぬ男が三人いた。歳はルシルよりも少し上くらいだろうか。
一人ふらふらと歩いていたルシルは、自身でも気づかない間に、街から外れたひとけのない場所に出てきてしまっていたらしい。
いつの間にか自身の近くに知らない男がいることにも驚いたが、考え事をしているうちに普段は行かない場所に来ていたことにも困惑した。
「えっ、お姉さん可愛いじゃん! こんなとこで一人でいるなんて暇なんでしょ? ちょっと相手してよ」
「えっ」
第二王子の婚約者として生活していた頃は、どこへ行くにも影から王家の護衛がルシルを密かに見守っていた。
けれど、ただの侯爵令嬢となった今、緩く自由に育てられたルシルは自由の身となり、けれど、自由と引き換えに、自分の身は自分で守らなければいけなくなったのだ。
「わ、私、今から用事があるので! 失礼いたします」
慌てて元の道へ引き返そうとするが、別の男に腕を掴まれ、その男性特有の強い力にルシルは青ざめた。
「ちょっとくらい、いいじゃん! すぐ断る女の子って可愛くないよ?」
腕を振りほどこうとするが、ビクリとも動かない。
(ど、どうしよう……)
「あ、あの、私、本当にちょっと……」
焦れば焦るほど、突破口を見つけられない。
「面倒な女だな。とりあえず連れていこーぜ」
男に三人がかりで腕を引かれれば、こんな状況に遭遇したことなどなく、鍛えているわけでもない、ただの少女であるルシルに対抗する術などあるはずがなかった。
恐怖で涙が溢れそうになり、思わずぎゅっと強く瞳を閉じた瞬間、男達の手が彼女から離れた。
不思議に思い、瞼を持ち上げたルシルの瞳に映ったのは、塵のように吹き飛んでいく男の姿だった。
重い音を立て、男達が地面に倒れる。
(えっ)
目の前には明るい空色のドレスの少女の後ろ姿。
少女は残りの二人に、まるで何かのショーかのように鮮やかに蹴りを入れ、男達を気絶させた。
ひらりとドレスの裾が舞うが、スカートの中は絶妙に見えないように調整しているようであり、そんな場合ではないのにルシルは感心する。
(足、長っ)
いつの間にか涙が止まっていたルシルは、少女の華麗な蹴りを見て、そんなことを冷静になった頭で思った。
少女はゴミを見るような視線を地に伏せた男達に向ける。
「えっ、怖い怖い怖い、何コイツら、怖っ! いつ誰の許可を取ってルシルに近づいたんだろう? 俺は許可してませんけど!? え、ほんとに怖い。やめて」
『この辺、治安ヤバいね』と言って振り返った少女が、本当は少年であることをルシルは知っていた。
「あ、アル!」
先程までの恐怖から、今は誰かにすがりたい気持ちで、ルシルは目の前の彼に思わず抱きつきかけたのだが、彼の発言でピタリとそれをやめる。
「ごめんねルシルー! 大丈夫だった!? いつもなら、あなたのこと、起床から就寝まで見守ってるんだけど、昨日はちょっと遅くて。寝坊しちゃいました! 三大欲求に逆らえなくてごめん!」
起床から就寝まで見守っているとはどういうことなのか。毎日そんなことをしているのか。何のためにそんなことをしているのか。自分の何をどこまで知っているのか。エトセトラ。
聞きたいことがありすぎて、何から突っ込めばいいのか分からず、ルシルは彼に抱きつこうと手を伸ばした姿勢のまま固まった。
「うん? もしかしてハグですか? いつでもどうぞー! あ、待って、やっぱり心の準備が……。自分からするのはいいけど、あなたからされるってなると、また何か違う緊張感があるといいますか……」
「あ、大丈夫です」
ルシルは真顔でそう言った。
何故か目の前で照れている彼を見ていると、先程まで感じていた恐怖は、いつの間にかどこかに吹き飛び、驚くほど冷静になっていた。