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可愛いけど、可愛くない

 アルの話を静かに聞いていたルシルは、ぼんやりと、そんなこともあった気がすると昔の記憶を手繰り寄せていた。

 少年の顔はもう思い出せないが、ショーウィンドウの前で、キラキラとした瞳でドレスを見ていた男の子の存在は確かに彼女の記憶の中にあった。


「あなたの言葉があったから、俺は自分の着たい服を着ようって思うようになったんだ。誰かに咎められても、否定されても、それでも、なりたい自分でいようって思えたのは、あなたのお陰だよ。ありがとう、ルシル」


 言われなければずっと少女だと思っていたであろう彼の綺麗な笑みに、ルシルは見とれた。


「ごめんなさい、私、その時のことをはっきりと覚えているわけではないの」


 『十年も前のことだから仕方ないよ』と笑うアルに、ゆっくりと首を左右に振る。


「でもね、ドレスを見つめていた男の子がいたことは覚えてる。あの子にドレスが似合うと思ったのは本心よ」


 ルシルはしっかりと彼と目を合わせ、微笑む。


「……とてもよく似合っているわ、アル。私の言ったこと、間違ってなかったでしょう?」


 どこか得意気にそう言った。


「……うん」


 アルは静かにそれだけ言って、自身の膝に視線を落とす。

 いつもお喋りな彼にルシルは辟易していたけれど、突然物静かになると、それはそれでなんだか落ち着かない。

 泣き出してしまいそうに揺れる彼の青の瞳に、やっぱり海みたいだとルシルは思った。





 窓の外に暗くなり始めた空が見え、随分長居してしまったことに気づいたアルは、慌てて帰り支度を始めた。

 ルシルの母は、せっかくだから夕食を一緒にどうかと誘ったが、アルは丁重に断った。

 そんな彼に、普段なら断らなさそうなのにとルシルは不思議そうに首を傾げた。

 ルシルの言いたいことを理解したのか、アルは『今日はちょっと初心に帰りたい気分なんです』と女の子モードで可愛らしく言い、ルシルは更に首を傾げた。

 母に『お見送りしてきなさい』と言われ、ルシルはひとり、彼を玄関まで連れて歩いた。

 屋敷を出る直前、まわりに誰もいないことを確認して、『今日はあなたの好きな野菜のテリーヌの日だよね。ちょっと食べてみたかったかも。残念』と笑うアルに、ルシルも微笑みを返したが、すぐにハッとする。


(……どうして、うちの夕食のメニューを知っているのかしら)


 ルシルはもちろん彼に話した覚えはないし、母や使用人達が、夕食を共にする予定のない来客に、夕食のメニューの話をするとも思えない。

 何故かじんわりと手のひらに汗をかきながら、そっと彼に問いかける。


「……あの、今日の夕食にテリーヌが出るだなんて、誰から聞いたの?」


 ルシルの問いかけに、きょとんと不思議そうにしたあと、アルは無邪気に笑った。


「あなたのことなら、何でも知ってるよ?」


 そういえば、とルシルは思い出す。

 彼とはお菓子やロマンス小説の好みなどが奇跡的なほどに一致していたし、彼は何故か初対面のはずのルシルの母のことをお人好しだといったり、普段の母の行動を把握していた。

 背筋がゾクリと寒くなり、ルシルは身震いした。


「私、近くまでお見送りしてくるわ!」


 母や使用人達に聞こえるように大きな声で言い、ルシルは何かに急かされるように、慌ててアルの背中を押して彼を自宅の外に出した。

 パタン、と静かな音を立てて扉が閉まる。


 空は暗い藍色に染まっていた。


「え! お見送りしてくれるの!? いいよいいよ、危ないし。気にしないで! でも、その気持ちが愛しい」


 何か言っているアルを無視し、ルシルは必死に彼の背中を押す。

 自宅から少し離れたところまで辿り着いたところで、パッと彼から手を離した。


「貴方、何が目的なの?」


 ルシルはじっと彼の瞳を見つめた。


「え、何って……」


「私や私の家族のことを知って、どうするつもりなの? 家に何か危害を加えるつもりなら、私は貴方のことを敵と見なさなければいけなくなる」


 落ち着いた調子でそう言ったルシルのことを綺麗だと思ったアルだったが、自身が疑われていることに気づき、慌てて否定する。


「違う違う、そういうのじゃないよ! それに、ルシルには興味しかないけど、あなたの家族は正直どうでもいいし」


 家族をどうでもいいと言われ、ルシルは家族に被害が及ばないと単純に喜んで良いのか分からない複雑な気持ちになった。


「俺、実家は隣国で、十年前のあの日は母の用事に付き合ってこの国に来ていただけだったから、もう一度この国に来て、あなたに会うためにはどうしたらいいかなって考えたんだ」


 そういえば、とルシルは思い出す。

 アルが自分達の出会いについて語った時、彼は自分は隣国出身だと言っていた。


「実は今、留学してきてるんだ、俺。今はいつでもルシルに会えるくらい近くにいられるようになってすごく嬉しいんだけど、それまでは全然あなたに近づけなかったからさ。隣の国って、近いようで遠いんですよ。俺も一応立場ってやつがあるから、簡単にはここに来れなくて!」


 悔しそうにしているアルを、ルシルはどこか冷めた目で見つめた。

 何かをぼかしながら話す彼に、ルシルは僅かに不信感を抱いたが、表情には出さないようになんとか耐える。


「たまにルシルのこと、こっそり見に来てたけど、俺が行けない時はちょっと人に頼んでルシルの様子を見に行ってもらってたんだ」


「えっ」


 衝撃の事実が発覚し、ルシルは硬直した。


「い、いつから……?」


「あなたと出会って、すぐあとだよ。あなたに婚約者がいるって知った時はショックだったなー。まぁ、婚約者とか、消せば結局いないってことになるから別にいいんだけど」


 不穏な発言を連発する目の前の男にルシルは戦慄する。

 幼少期から、ルシルのことを影から見ていたと平然と言う彼に恐怖する。

 そんなルシルに気づいているのかいないのか、アルはいつもと変わらない様子で笑った。


「あ、そういえば、あなたの元婚約者だけど、もうすぐどうにかできそうだから。もう、あいつのことなんてどうでもいいかもしれないけど、俺達の未来のためには、不安要素は取り除いてた方がいいでしょ?」


 目の前にいる彼はいったい何を言っているのだろうか。

 自分とは違う生き物のように見える。

 無垢な少女のように笑う彼に、ルシルは不安でいっぱいになった。


 最近はもう思い出すことが少なくなっていた元婚約者の現在を、ルシルが知ることになるのは、その翌日のことだった。

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