表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/41

運命が変わった日

 十年前。冬の寒さが和らぎ、春の花が咲き始めた頃。多くの高級店が立ち並ぶ富裕層向けの商店街。

 そこに幼いアルはいた。

 ドレスではなく、同年代の少年達と同じような衣装を身に纏っている。

 隣国で暮らすアルにとって、初めて訪れる国で目にするものはどれも新鮮なものに感じられ、ケーキショップや宝石店、自国にも存在する店であっても、一つひとつに目を奪われていた。


『あ……』


 ピタリと足を止める。

 その場に縫い付けられたかのように動かなくなった彼に気づかず、彼の母は少し先にある花屋で店主と談笑している。


『綺麗……』


 ブティックの前で、ショーウインドーに飾られた女性向けのドレスを見て目を輝かせたが、すぐに視線を落とし、顔を曇らせた。


『そのドレス、綺麗よね』


 ふいに、軽やかで透き通った声が聞こえ、声がした方に顔を向けると、チョコレート色の瞳と視線がぶつかる。

 ゆるやかに巻かれた、背中まであるストロベリーブロンドの髪を持つ少女がすぐ側に立っていた。

 どこかのお嬢様なのだろうか。誰が見ても分かるような仕立ての良いドレスに身を包んでいる。

 自分と同じ年くらいのその少女を見て、お菓子みたいだ、とアルは思った。


『思わず見とれてしまうわよね! その気持ち、すごく分かるわ。わたしもいつか、こんな素敵なドレスを着たいの!』


『君に似合いそうだね』


 キラキラと目を輝かせている少女に、アルは本心からそう言った。

 少女は照れたように『ありがとう』と言い、『けれど』と続ける。


『あなたにも、きっと似合うわ!』


『え……』


 アルは驚いた。曇りがなく純粋そうに見える彼女の瞳には、嘘もからかいも感じられなかった。ただ、本心から、自分が思ったことを言葉にしているだけのようで、そのことに戸惑う。


『そんなわけないよ』


 すぐに否定した。透明感があり汚れのなさそうな彼女の瞳を見続けることができず、視線をそらす。


『……僕、男だし。男がドレスなんて着てたら、変でしょ?』


 それは、幾度となく、自身の母に言われてきた言葉だった。

 『ドレスを着たいだなんて、そんなこと二度と言わないでちょうだい。気持ち悪い』、『頭のおかしい子を産んだと思われるわ。男に生まれたのだから、男らしくしなさい』。

 母に言われた言葉が、彼の頭の中をぐるぐるとまわる。

 ドレスが着たいと、まわりの女の子が好んでいるようなものを自分も欲しいと言うと、母に軽蔑の視線を向けられる。

 その後は決まって、アルの兄達と比較され、兄達はどんなに優秀で男らしいか、アルとは全然違うという話をされる。

 母に嫌われたくない気持ちから、アルは自身の本当に好きなものを好きだと言うことをやめた。

 けれど、ふとした時、街中で綺麗なドレスを見た時、目を奪われてしまうことは止められなかった。

 きっと、今も、ドレスを見て立ち止まってしまったことがバレたら、軽蔑されるのだろう。

 思わず俯くアルを見て、少女は不思議そうに首を傾げた。


『どうして? 別に変じゃないわ』


『え……。お、男がドレスを着るんだよ? そんなのおかしいよ』


 自分で自分のことを『おかしい』と思うたびに、アルの心には傷がついていく。

 けれど、アルはそんな痛みには、もう慣れてしまっていた。


『よく分からないけれど……。男の子がドレスを着ちゃ駄目っていう、決まりでもあるの? わたしはそんなの、聞いたことがないけれど……』


『それは、……ないけど。でも、おかしいよ。僕にドレスなんて』


『おかしくなんてない! 好きなお洋服を着ることは、何も悪いことなんかじゃないわ。自分を一番素敵にコーディネートしてあげられるのは自分だけだもの。それに、あなた、わたしより可愛いもの! きっと似合うわ!』


 勢いづいたのか、ズイッとアルに近寄り熱弁する、澄んだ瞳の少女に、アルは一瞬で心を奪われた。

 まわりの女の子が好む可愛らしいドレス、リボン、宝石。

 そのどれもにアルはときめきを感じていたが、目の前の少女への気持ちはその比ではなかった。


(……綺麗だ)


 ただ、そう思った。


 遠くから、女性の声が聞こえる。


『ルシルー! もう! 貴女は目を離すと、すぐにどこかに行っちゃうんだから! 戻ってきなさい!』


 少女はハッとしたようにし、少年に背を向ける。


『お母様だわ! ごめんなさい、わたし、行くわね!』


『あ!』


 走り出した少女に声をかけようとしたが、上手く言葉が出てこず、そうしている間にも少女の姿は小さくなっていく。

 せめて、その後ろ姿を目に焼き付けようと見つめていると、アルの不在に気づいた彼の母が、少し先にある花屋からアルを呼んだ。

 慌てて母の元へ駆け、しかし、ドレスを見ていたことがバレて、『女の子みたいなことをしないで』と、いつものように注意される。

 けれど、どれだけ言葉のナイフが刺さっても、アルにとっては、もうかすり傷だった。


 ドレスが好きなアルを肯定した人物は初めてだった。

 先程出会った、お菓子のような少女の姿を思い浮かべる。

 彼女にもらった言葉があれば、この先、強く生きていくことができそうな気がした。

 それは、アルの生き方が分岐した、ある穏やかな春の日のことだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ