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銀と深海の少女

 今宵、この国の第二王子、ローラルド・ヴェスヴィアスの十七歳の生誕パーティーが行われる。

 パーティー会場から漏れでたワルツの音色は、会場の外の廊下にまで届いている。

 美しい装飾が施された淡いブルーのドレスを身に纏った、ゆるやかに巻かれた腰までの長さのストロベリーブロンドの髪を持つ令嬢ルシルは、ドレスの裾を摘まみ、必死に廊下を走っていた。


(どうしよう、完全に遅刻だわ! 絶対にお怒りになっているわ、ローラルド様)


 パーティーが行われている部屋に辿り着いたルシルは、扉の前で立ち止まって深呼吸をする。


 第二王子ローラルドは、彼女の婚約者である。

 今日、ルシルは彼にエスコートされて、共にファーストダンスを躍り、その後、彼の婚約者として紹介される予定である。

 しかし、その予定は早くも少し崩れつつあった。


 まず、ローラルドはルシルを迎えに来ず、直接パーティ会場に来るようにと、王家の者を通じてルシルに伝えてきた。

 違和感を覚えはしたが、『大丈夫ですよ、気にしないでください!』と笑顔でそれを受け入れ、ひとり、会場に向かうことになったのだ。


 しかし、パーティ当日の今日。ちょっとした問題が発生した。

 普段から婚約者である彼と一緒にいて恥ずかしくないようにと、ダンスの練習をしていたが、今日のために、最近は特別に練習に力を入れていた。

 彼女の運動神経はゼロに近い。そんな彼女が休む間もなくダンスの練習をしていることに、彼女の家の使用人達は心配そうにしながらも、彼女を見守っていた。

 けれど、自宅を出る前、あと一度だけ練習しようとしたルシルは、日頃の疲れが出たのかバランスを崩し、見事に捻挫したのだった。

 ルシルを愛する彼女の両親も使用人達も、それはみんな大慌てし、誰が呼んだのか、たくさんの医者が彼女の家に集結し、怪我の手当ては大袈裟なものとなった。


 そして、その結果、婚約者の生誕パーティーに遅刻するという大失態を犯し、現在に至る。

 扉を開いたら、その先にはきっと仏頂面なローラルドがいて、遅刻したルシルを罵倒するのだろう。

 近頃、ルシルは婚約者に冷たい視線を向けられることが多い。理由は分からない。


 第二王子とルシルの婚約は、彼らの家同士が決めたものである。

 ローラルドから好きだ、などと言われたことは一度もないし、ルシルも彼に愛を囁いたことはない。

 彼らはお互いを愛し合っているわけではないが、それでも、自分の家のため、彼のために、自分にできることがあるなら頑張りたいと、そう思っていたのだ。

 彼との間に恋のような何かは存在していないけれど、特別険悪な関係でもなかった。

 しかし、何故か彼の態度が先月頃から分かりやすく冷たいものになってしまったのだ。


(どうしてかしら。……もしかして、私、何かしてしまった?)


 最近の彼の様子を見るに今日もきっと、しかめっ面なままだろうし、扉を開けた瞬間、遅刻してきたルシルを罵倒してくるであろうことが予測できた。

 けれど、遅刻は自分の責任であるし、誠心誠意謝ろうと思い、もう一度深呼吸をし、重い気持ちでそっと扉を開けた。


 廊下に漏れていたよりも大きいワルツの音が、ルシルの耳に飛び込んでくる。

 歓談する人々の声。料理の匂い。キラキラとした装飾があちこちに施された会場。

 この煌びやかな空間には何度来ても慣れないと、ルシルは思った。

 視線を左右に動かし、婚約者の姿を探す。

 きっと、彼は遅刻したルシルを責めるために扉の近くで待機している。

 そう、彼女は思い込んでいたのだが、その予想は外れたようで、扉付近に彼の姿はなかった。

 会場の中央では、やはり既にダンスが始まっているようだったが、何故か多くの人々は自分は踊らずにダンスをしている誰かを見て何かを話していた。


(あら? いないわね、ローラルド様)


 会場の中を探して回ろうと足を踏み出した時、すれ違った令嬢達の声がやけに大きくルシルの耳に入ってきた。


「見て、お似合いよね、ローラルド様とアル様。アル様って初めて見たけれど、とても可愛らしい方よね。あの方だったら、ローラルド様の婚約者でも許せちゃいそうだわ」


「分かるわ。平民出身らしいけれど、ルシル様と違って可愛げがあるし、それに見て! ローラルド様のあの嬉しそうなお顔! ルシル様といる時と全然違うもの!」


(……え)


 ぴたり、と足を止め、ルシルは会場の中心に視線を向けた。

 人だかりの奥に、その人はいた。

 ルシルの前では一度も笑顔を見せたことがなかったローラルドが笑っている。知らない令嬢と楽しそうにダンスを躍りながら。


(どういうこと……?)


 混乱と妙な焦りで、ルシルはその場から動くことができなくなった。

 視線はダンスを踊る二人から外すことができない。

 楽しそうにルシルの婚約者とダンスを踊る少女。

 彼女が動くたびに、可愛らしくセットされた肩まである、ゆるく巻かれた銀髪がふわりと舞い、周囲から感嘆の声が上がる。

 少女の姿をルシルはどこかで見たことがある気がした。


「きゃっ! ちょっと、危ないわね! ボーッとしないでくださる?」


 ぼんやりとしたまま突っ立っていたルシルに、どこかの令嬢がぶつかったらしい。

 令嬢が持っていたグラスからブドウジュースがこぼれ、それは、今日のために着飾ったルシルのドレスの裾を赤紫に染めた。


「……って、ルシル様!?」


 空のグラスを持った令嬢の叫びに近い声に、周囲の注目が一気にルシルに集まった。

 先程、第二王子とダンスを踊る少女の話をしていた令嬢達も気まずそうにルシルを見ている。

 やがて、会場全体がざわついていき、気がついた時には、ワルツの音色が止まっていた。


(……え)


「やだ、ルシル様、なんであんなに汚れているのかしら。第二王子の婚約者として恥ずかしくないの?」


「本当よね。やっぱりあの子はローラルド様の婚約者には相応しくなかったのよ。結婚式を挙げる前に分かって良かったんじゃない?」


 くすくすと会場のあちこちから笑い声が聞こえる。

それに加え、ルシルを馬鹿にするような視線が会場全体から向けられる。


 規則的な靴音が響く。遅れて、バタバタとした慌ただしい足音が聞こえる。その瞬間、会場が静まり返った。

 いつの間にか俯いていたルシルは、視界の端に、見たことのある上等な靴を捉えた。

 憔悴しながら、そろそろと顔を上げると、何度も見た深い緑の瞳とぶつかる。第二王子、その人であった。


「随分遅い到着だな、ルシル」


 ローラルドは冷たい瞳でルシルを見下ろした。

 謝罪の言葉を紡ごうとしたが、『もういい』と彼に遮られる。


「お前にはウンザリだ。可愛げがなければ、頭も悪く、どんくさい。僕の婚約者という自覚がないのか? お前といると、僕はいつも恥ずかしい思いをする。馬鹿なお前には分からないだろうがな」


 冷めた彼の瞳を見て、ルシルは、『あぁ、ついにこの時が来たのだわ』と悟る。

 ローラルドは自身の少し後ろに控えていた少女の肩を引き寄せる。


「彼女、アルは馬鹿で愚図なお前とは違って、聡明で可愛らしい女性だ。僕は運命の人に出会った。僕は彼女と結婚する。ルシル、お前と過ごして得られたものなんか、ひとつもなかった。時間の無駄だったな」


「ローラルド様、言い過ぎです! わたし、貴方にそんな酷い言葉、使ってほしくないです!」


 ローラルドに抱き寄せられた少女は頬を膨らませ、彼に抗議する。

 そんな彼女をローラルドは愛おしげに見つめた。


「まったく……。相変わらず優しいな、アルは」


 そして、少女、アルを見つめる優しげな瞳は、ルシルに視線を移した瞬間に、完全に優しさを無くした冷たいものに変わる。


「こんなにも清らかで心優しく可愛らしいアルに、お前は嫌がらせをしたそうだな」


「え……」


 ルシルはやっと声が出すことができたが、それはかなり掠れたものだった。


「とぼけるな! 証拠は上がっているんだぞ!? 自らの罪を認めろ!」


 ローラルドは側近を呼びつけ、何かを受け取る。そして、それをルシルに向けて投げつけた。一部が彼女の体にぶつかったが、幸い痛みはなかった。足元に散らばるそれは、何かの書類のようだ。

 ルシルは足元に視線を落とし、その書類を見つめる。


「何ですか、これ……?」


 何が起きているのか分からず、素直にそう呟いた。


「この期に及んでまだ誤魔化すつもりか! 本当に恥知らずな女だな」


 彼は書類片手にルシルの罪を読み上げていく。

 アルという少女のドレスや教科書を破いたり、彼女を階段から突き落とそうとしたり、そんな嫌がらせをルシルが行ったと彼は言う。学園で目撃情報もあるのだそうだ。

 けれど、そう言われても身に覚えがない。

 だが、学園と言われ、アルを学園の中で見たことがあると思い出した。ルシルの記憶が正しければ、二つ隣のクラスに在籍する少女のはずだ。


「で、でも、私、この方と話したことすらありません!」


 ルシルは声を詰まらせながら必死にそう言う。

 ふと、アルという少女が自分のことをじっと見ていることに気付き、ルシルは一瞬、彼女の深海のように深い青の瞳に吸い込まれそうになった。


「もういい、黙れ! お前は最後までそんな女なんだな。今、この時をもって、ルシル・サフィレット、お前との婚約を破棄とする! 牢にでも入れておけ」


「え……」


 ローラルドは吐き捨てるように言い、彼の言葉を聞いた側近達がルシルの元に近寄ってくる。

 初めからこうすることが決まっていたかのようにスムーズな流れだ。


(違う! やってない! 私、これからどうなるの!? どうしよう、お父様、お母様……。ごめんなさい……)


 冤罪で処刑されるかもしれない恐怖と、家族にも迷惑がかかるかもしれない不安とで、精神が限界まで追い詰められたルシルは強く目を瞑り、祈るように両手を握り締めた。


「お待ちになってください」


 ルシルを捕らえようとした側近達の手が彼女の肩に触れようとしたその時、凛とした声が会場に響いた。


「ローラルド様。わたし、ルシル様のこと、恨んでません! わたしのせいでルシル様が捕まっちゃったら、わたし、ずっと気にしちゃうと思うんです。だから、許してあげてくれませんか?」


 アルはローラルドの服の裾を掴み、上目使いで『お願い』とでも言うように小首を傾げた。

 途端に彼は顔を赤くし、少女から視線を逸らす。


「……っ。わ、分かった。お、おい、ルシル! 天使のようなアルに免じて、今回は許してやる! ただし、次はないと思え! いいな! 僕たちに二度と近づくな!」


 そう言い捨て、ローラルドは会場の出口に向かった。そのすぐあとを、銀髪の少女はゆっくりと追いかける。


(……え。あ、あれ? ……助かった?)


 牢屋行きかと思えば突然の解放に頭がついていかず、ぼんやりと、会場を出ようとする、たった今、『元』になった婚約者と、その浮気相手の後ろ姿を見つめる。


 会場を出る寸前、アルは僅かに振り返り、ルシルを見て柔らかな笑みを浮かべた。


(な、何!?)


 パタン、と扉が閉まる。

 呆然と扉を見つめていたが、周囲から好奇の眼差しを向けられていることに気づき、慌てて自分も会場をあとにした。

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