【二】 使者と笛
あらかじめ大使館に用意させておいた空挺用広場だったが、空陣隊の規模がわからなかったため、やはりかなり狭かった。
それで函車を下ろしたあと、大魔鷲の一部はノルドハイム王国大使館へと移動する。
広場に到着するやすぐにボーメン大使がすっ飛んできた。
兄ガイゼルの成人式で顔を合わせたはずなのだが、かなり前なので、兄妹三人ともほとんど覚えていなかった。
二十年前の革命戦争を生き残った貴族の一人で、爵位は男爵と低いが官吏として有能だったこともあり、何年か前からこの教皇領の大使を務めている。
「殿下、よくおこしなされました。それにしてもすごいものですな、この空陣隊と言うのは」
開口一番、おそらく初めて見るであろう大魔鷲やら天馬やらの偉容にかなり驚いている。
中年から初老にかかろうとしており、いささか下半身に肉が付き始めてはいるが、動きは敏捷で、肥満しているという印象は与えにくい。
ただし頭頂部はかなり寂しいことになっていて、その光る頭から吹き出す汗をハンカチで拭きながらやってきた。
季節は夏。
帝国南方にあるため、フネリックの夏とは比べ物にならないくらい暑い。
その暑さにいささか参ったような顔をして降りて来たメシューゼラとアマーリアを見て、大使は相好を崩した。
「おお、メシューゼラ姫もお美しくなられました。かねてから国境を越えて、その美貌の噂は聞いておりますぞ」
「大使、外交辞令だとしても、嬉しいお言葉です」
「そんなことはございませんぞ、美しき主君の姫君のお姿、年寄りには眼福であり誇りです」
そう言って次にアマーリアを見つけると、
「アマーリア姫、お誕生の頃に拝謁いたしましたが、お初にお目にかかります」
「ボーメン卿、しばらくの間、お世話になります」
と小さな声で言って、ちょこんと礼をする。
「それにしてもお美しくなられました。メシューゼラ姫とはまた違ったお美しさで、フネリック王国の臣民としては鼻が高うございますぞ」
そう言ってもう一度、二人に深々と会釈した。
早馬で伝えた連絡は簡単なものだったので、ノルドハイム王国の第二王子も連れてきていることを、ここで初めて伝える。
「ボーメン卿、こちらはこの度同行してくれたノルドハイム王国第二王子ヴァルター殿下だ」
そう言って紹介すると、それぞれ、
「ノルドハイムのヴァルターだ。普段は本国の大使館に滞在する予定だが、逗留期間中、また顔を合わせることもあると思うので、よろしく」
「フネリック王国大使エドゥアルト・ボーメンです。若の御付き添い、ありがとうございました」
その他、主だった者の面通しのあと、それぞれ用意してもらった部屋で寛ぐこととなった。
あてがわれた部屋は普段は客間として使っているものの一つだったが、兄妹三人とノラ、ブロム、ペトラが暮らすには問題のない広さ。
ただし、戦士ブロムは男性なので、別の小間で起居することにしてもらう。
初日と言うこともあり、ペトラも含めて客間に集まりこれからの予定を話しあおうと思っていると、なぜかヘドヴィヒもついてきている。
「ヘドヴィヒ、君はノルドハイムの大使館に行かなくちゃいけないのでは」
ディドリクがそう言うと、
「そう言ってまた私をのけ者にして楽しいことをやるつもりなんでしょう?」
この戦闘狂発言に、戦士ブロムもメシューゼラも少し引き気味だ。
どう返したものかと思っていると、そこへヴァルターが通されてきた。
「やっぱりここにいたのか」
「ひ!殿下」
「おまえにも言っておくことがあるから、必ずこちらの大使館に来い、と言っておいたはずだが?」
そう言って耳をつままれたヘドヴィヒが
「殿下、痛い、痛いです」と涙目になっている。
そしてヘドヴィヒはノルドハイム大使館へ引きづられていく。
あらためてディドリクが翌日以降の簡単なスケジュールを伝えるが、教皇庁への挨拶以外はとりたてて予定らしいものはない。
ジュードニアの時と同じように、探索するだけ。
そしてその日は終わり、夕食を、と思っていると、ボーメン卿の執事がディドリクに客が来ている、と伝えてきた。
大使館門扉の場所に、そこに一人の僧侶のような人物が立っていた。
門番詰所のところで会ってみると、不思議な気配を感じた。
やや小柄な人物で、全身に灰紅色の僧衣をまとい、修行僧か、托鉢僧か、と言った風体。
フードを被ってはいるが、顔を隠すような真似はせず、その顔貌はよく見える。
しかしなんとも平均的な、表現しがたい顔で、美しくもなければ醜いこともない。
いたって平凡な、どこにでもある、という面立ち。
男性のような女性のような、若いようであり、初老のようでもある。
顔自体は見ているのに、きわめて記憶に残りにくい顔だ。
護衛としてブロムにも同席してもらったが、彼も警戒を隠せない。
その灰紅の僧衣をまとった人物が、単調な発音で語る。
「フネリック王国ディドリク殿下に申し上げます。これは我が主・ジョヴァンニ・バティスタ・ケルティーニ師からの伝言であります」
ルーグ語だ。
ノルドハイム王国の戴冠式で聞いた、教皇が使っていた言語。
だが教皇庁では今ではほとんど使う者がいなくなったと言われる、古式文法の古典語。
法術師、古式文法を操る者にとって、基本となる言語体系である。
「我が師はあなた様とルーグの変格文法についてお話をいたしたく、御来訪をお待ち申し上げております」
これがシシュリーが言っていた、行けばわかる、という招待なのだろうか。
「場所はサン・マルコ教会。教皇庁を守護する五つの教会のうち、真東に位置する教会です」
しかも到着当日に招待の使者を差し向ける、ということは、自分たちの来訪を既に知っていたということか。
そう思いながら、ディドリクは答える。
「まだ着いたところで、地理の知識もおぼつきません。それゆえ時間のお約束はできかねますが、明日伺わせていただく、ということでよろしいでしょうか」
「それで構いません」
と伝えるべき要件がすんだので、すぐに帰ろうとする様子を見せたので、思い切って聞いてみる。
「あなたのお名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「わたくしに名前などございません」
やはりな、と思いディドリクが見つめていると、
「師は殿下の来訪がわかりますので、私の名前がなくても問題ありません」
そう言って、立ち去っていく。
ブロムは会話で使われたルーグ語がわからないので、会話内容は不明だったが、
「あれは人間じゃないな」
ともらした。
「おそらくこの教皇領の法術師から派遣された、その使い魔というか、人形だ」
「ふむ、ということは、相手も殿下が法術師であることを知り、その上で招待されたと?」
「たぶんね、今日の到着も知っていたってことだし」
居室に戻り、訪問者のことを告げて、明日の同行メンバーを伝える。
と言っても当初の予定通り、メシューゼラ、アマーリア、ブロム、ペトラを含めた総勢5人なのだが。
翌朝。
朝食を取って招待に応じるべく出かけようとすると、リカルダがヴァルターの使者としてやって来た。
「ディドリク殿下、当方の殿下が今日の予定についてのすりあわせと、渡しておきたいものがある、ということです。申し訳ありませんがご足労願えますでしょうか」
ノルドハイムの大使館は、進行方向途上にあるので、途中立ち寄ってみることにして、了承する。
出がけに広場を見ると、空陣隊の残りの魔獣たちの姿がない。
道すがらリカルダに聞けば、皆ノルドハイム王国で引き受けているとのこと。
確かにフネリックでは餌の用意とかはできないので、それは助かるな、などと話していた。
ノルドハイム王国大使館に到着する。
さすがは四大選帝王国の大使館だけあり、フネリックのそれより敷地が広い。
そして広場には、ちゃんと大魔鷲や天馬が格納されていた。
大使館前でヴァルターが待ち構えていて、朝の挨拶ののち、小さな笛のようなものを渡してくれた。
「これは?」
そう尋ねた時、玄関口から勢いよくヘドヴィヒが飛び出してきた。
しかしヴァルターはそれに気も留めず、説明する。
「こいつは呼子笛だ」
そして傍らに抱えていた包みから、鳥かごを取り出す。
そこには鳩のような姿態をした鳥が収められている。
「こいつは耳が良い。その笛を吹いてくれれば、教皇領内であれば、人の耳に聞こえなくてもこいつの耳に届く」
「戦闘になったら吹いてください。飛んでいきますから」
とヘドヴィヒが割り込んでくる。
そのヘドヴィヒを押しのけながら、
「こいつの耳に届いたら、それを我々に知らせてくれて、吹いた主の場所まで誘導してくれるって仕組みさ」
小笛は首にかけやすいように、紐までつけてあった。
「兄様、やってみたい」
そう言ってメシューゼラがその小笛を取る。
「ああ、ここで吹いてはいけません」
リカルダが驚いて止めようとしたが、メシューゼラが思いっきり吹いてしまった。
ピヒョロリリー!
音自体は人間の耳にも届いたのだが...。
「ギャーォォォォ」
鋭い叫びをあげて、大魔鷲が翼を広げ、ジタバタいきり立ったような状態になる。
リカルダがそちらへ走っていき、
「どう、どう」と大魔鷲たちを鎮める。
行きの空路であれだけおとなしかった大魔鷲がいきり立って大声を上げたので、一同仰天してしまった。
「メシューゼラ、いけません。強く吹きすぎだ」
ヴァルターも驚いて諫めている。
メシューゼラも大騒ぎになってしまったので、どうしていいか、きょろきょろするばかり。
魔獣たちを鎮めたリカルダが戻ってきて、
「この笛が出す音は、鳥魔獣たちを興奮させる働きがあるのです。ですから吹くときはそっと優しくお願いします、十分届きますから」
「ごめんなさい」と、メシューゼラがしゅんとなってしまった。
「で、回数を決めておこうか」
「回数?」
「笛自体は一つの音しか出せないので、回数を決めておいて、呼び出す相手を指定できるようにするってことさ」
なるほど、と思い少し考えていると、ヘドヴィヒが
「まず一回だけなら私が行きます。そのときは戦闘状態の時が希望!」
やれやれ、という顔をするヴァルターだったが、
「まぁ、戦闘状態になっているときは、何回も吹ける余裕があるかどうかわからないだろうから、それでいいか」
と、いささかあきらめ顔。
「それで2回なら僕、3回なら緊急用と言うことで、ヤーンに行ってもらおうかと思ってたんだ」
急を要する、ということはつまり一番速度の出るヤーン・ズデーデンシーバーが来る、ということか。
その打ち合わせをして、ディドリクが小笛を首にかけた。
「でも町中で大魔鷲を飛ばして大丈夫なのですか?」
と聞くと、ヴァルターが
「僕も含めてその3人だと飛行術も使えるので、単身飛んでいくよ」
と言ってくれた。
ただし今日に関しては、ヴァルターも教皇への挨拶に出向くので、呼び出すのならヘドヴィヒかヤーンにしてほしい、ということだった。
かくしてフネリック王国の5人は指定された教会へと向かった。




