【二十】 魔鏡陣
「提督、報告通り、王都タルキスに軍の影は見えません」
タルキス海港南部に進軍してきたポニキア軍の陣営に、一人の斥候が駆けつけてきた。
「フラニール殿、どうやらあなたの作戦があたったようですな」
提督と呼ばれた人物が、傍らにいる中年の男に話しかける。
「へへ、おそらくは陽動が効いているはずでさ、長い時間をかけてしこんできましたからな」
ジャスペールが打ち取られたあの戦いで命からがら逃げかえったフラニールが、ここポニキア軍の陣営で提督と語らっている。
「よし、進軍だ」
そう言って、ポニキア軍提督ガリッキオが陣営を出た。
ディドリクがアッティリオ王子らと会っていた日から二日後、早朝。
予言通り、ポニキア族軍が攻めあがってきていた。
ポニキア人の居住地が海港の南方に接しているため、戦士の召集、進撃も、音もなくこっそりとやってきたのである。
だが、王都海港を目前にして、もう遠慮はいらぬ。
王都から軍は出払っておりカラッポだ。
攻め上がり、王宮を抑えるだけで、あのヘルティアの王を玉座から追い落とせる。
(陽動をしてくれたワルド族やロンゴ族に、何か褒賞を出さんとな)
もう勝った気分で、ガリッキオは軍を進めていった。
だが陣営を出て、進行先がひどい濃霧に閉ざされていたことを知る。
「この季節に霧?」
いささか妙な気もしたが、朝である。
そういうこともあるかもしれぬ、程度に考えて、提督率いる軍の行進に馬でついていった。
陣営から海港まで、小さな林を抜ける林道と農道があるだけだ。なあに、ものの20~30分で港に着くだろう。
そう考えて、霧の中を進んでいった。
「おい、この辺はどのあたりだ?」
馬に乗ったガリッキオが下がって、フラニールの元へ聞きに来た。
「霧でよく見えませんが、たぶんもう林を抜けて、農道に出る頃かと」
「そうか」
と言って、提督が先へ戻る。
(気の早いこった、あんたがたポニキアの民もこの道は知っているだろう)
そう思ったフラニールだが、確かに少しおかしい気がしてきた。
「もう、農道に出てもいいはずだ」
フラニールは周囲を見渡す。
霧のためぼやけて見えたが、ここは良く知った場所のはずだ。だが、まだ林道をのろのろと進んでいる。
もう小一時間は経っていた。
先頭の部隊から、霧が晴れていくのが見えた。
「ふう、ようやくついたか、たぶん霧で馬の脚が体感以上に遅かったんだろ」
そう思って霧の晴れていく方角を見て、ギョッとなった。
一時間ほど前に出発した、ポニキアの陣営が見えたからだ。
ガリッキオが馬で戻ってきてた。
「フラニール殿、これはいったいどういうことだ!」
フラニールも驚きのためしばらく口がきけなかったが、
「どこかで道を間違えたんでしょうか、いや、そんなばかなことが」
「この霧だ、それもあるかもしれんが、あんまり遅れたくはない、もう一度行くぞ」
そう言って、ガリッキオは馬、馬車に乗り込んだ戦士団を、再び霧の中へ進ませていった。
フラニールは嫌な予感がし始めた。
この道は、これまで何度も通った道だ。徒歩でも。馬でも。馬車でも。
間違えるはずがない。目をつぶってたっていける。
どうか、何かの間違いであってほしい。
そう思いながら、殿についていった。
そして小一時間、同じように霧が晴れていく。
しかしそこはまた、陣営の地だった。
フラニールは少なからず得体のしれない恐怖を感じてしまった。
ガリッキアがかなりイライラしながらやってくる。
「これはどうなっているんだ! 魔法にでもかけられているのか!」
「いえ、この国にそんな魔法が使える者なんかいるはずがありません」
だがそう言って、フラニールは何かが頭の中に引っかかった。
「ともかく、こんなところで足踏みしてられん、すぐにもう一度出るぞ」
ポニキア軍が、またもや霧の中へと突っ込んでいった。
霧の中でフラニールは先ほどひっかかっていたことを考える。
(そう、この国の魔法兵団は、脆弱の一語だ。予算も少ないし、およそ兵団と言えるものじゃない。しかし、しかし...)
そこまで考えて、当たってほしくない考えに行きついてしまう。
(しかし俺は、今この国にいる人間の中で、こんな芸当ができそうなヤツを知っているんじゃないのか?)
そう考えて、ある結論に至る。
あいつらが、来ているんだ!
ポニキア軍は、四たび、陣営に戻ってしまっていた。
ガリッキオは完全に頭に血が上っていた。
「どういうことなんだ、なんでつかないんだ!」
ウロウロ歩き回っている姿を見ながら、フラニールは同行していたジャスペールの部下、ブローニーを呼び寄せる。
「ブローニー、どう思う?」
「かなり高度な幻術です。魔術による幻術だとすると、使い手はかなりの水準かと」
「うむ、わしも同じ考えた」
「するとジャスペール様を倒した連中がここに来ていると?」
「そう考えるべきだな」
しかし、フラニールの考えは、悪い方向で外れてしまう。
王都タルキス西方、海港を望むところ。
そこに数人の魔法兵団団員と、違う衣装を身にまとった三人の人物が立っていた。
団員の前には水を詰めた樽がいくつかおかれ、そこから霧を発生させていた。
そしてその霧に、少年が術をかけている。
霧の水滴が、一つ一つ、鏡のようになって、覆ったものを鏡の中に追い込んでしまう、魔鏡の陣。
水蒸気は港の南へと流れていき、その途中で、大地から、木々の間から、様々な蒸気を引き出していく。
兵団員を統率していた男、ペロンがやってきて、その少年に話しかける。
「どうやらうまくいっているようですな」
ペロンは千里眼が使える男を連れて、蒸気の中をポニキア軍がぐるぐる回っているのを見ていた。
「あとは、アッティリオ様が一刻も早く、ワルド人の戦場から戻っていたたくだけだ」
ペロンはそう呟いて、その少年の横顔を見た。
(王族と聞いていたが、こんな広範囲の幻術を使えるのか)
そう思っていると、
「大丈夫です、この霧の中から連中は出てこれません。多少殿下が遅れても、今日中に着けば殲滅できます」
だがそう言ってこうも付け加える。
「ポニキアには海軍もあると聞いてます。ジュードニア軍として戦う時には頼りになるかもしれませんが、内乱となると、いささか不安要素ですね」
アッティリオ王子の率いる正規軍は、前日の段階でほぼ勝利を手中に収めていた。
あとはどう撤収し、こちらに軍を進めてくれるか、にかかっている。
ポニキアの反乱を知らなければ、予言通り、勝利しても王都が落とされていただろうが、今は相手の作戦を知っている。
有能な軍人でもある、と聞いているので、すぐにかけつけてくれるだろう。
「ディドリク様、着いたようですぞ」
ペロンがそう言うが、軍の姿は見えない。
「連中の背後へ回ってくれたようです」
ポニキア陣営では、いらいらしているガリッキオが、また霧の中に突入するかどうか、迷っている間に、その背後から、つまり南方から、軍隊の姿が迫っていることを知った。
最初は援軍かと思ったが、もちろん違う。
ワルド人を大急ぎで殲滅させた正規軍が、背後から現れたのである。
前日まで血煙の中で戦っていた正規軍である。
戦意の差は歴然としていた。
戦闘自体は乱戦の様相を呈したが、戦力、戦意において勝るアッティリオの正規軍が、ほとんど圧倒するだけの戦いとなった。
ものの数十分で戦闘は終り、ポニキア軍主力が降伏する。
だがその中でフラニールとブローニーが戦線を離脱しようとしていた。
「だめだ、失敗した、一度南方へ出て立て直すぞ」
そう言って戦線から離れ、南方へと向かおうとした矢先。
「待っていたぞ」
目の前に、長剣を持つ男が立ちふさがった。
黒い肌、彫りの深い顔、痩身だが高い身長。
「きさまは、フネリック王国の」
「フラニール殿、ここは私が防ぎます、あなたは離脱してください」
ブローニーが前に出て、フラニールが逃げようとしたとき、また別の人物が追い付いてきた。
「もし魔術師がいるなら、こちらに逃げると考えていた」
そういって、二つの影が背後から、つまり霧の中から現れた。
そのうちの一人、ローブとフードで顔を隠していた赤髪の少女が、ローブを脱ぎ捨て切りかかった。
フラニールが錫杖でそれを受ける。
「ふふ、でもまだケガは治ってないんでしょ?」とメシューゼラ。
そしてその背後に現れた影が、フラニールの瞳に映った。
その瞬間、フラニールの全身に何か衝撃が走った。
錫杖を落として、目を見開いたまま、地に頽れる。
「フラニール殿」
フラニールが倒れるのを見て、一瞬生まれたスキ。
それをブロムが逃すはずもなく、次の瞬間、ブローニーは切り伏せられた。
背後で戦闘は続いていたが、むしろ捕縛と戦闘の後始末と言った展開になっている。
そんな中、フラニールの意識を奪ったディドリクが
「ゼラ、良いタイミングだったよ、お陰で簡単に瞳の中に飛び込めた」
とメシューゼラに振り返った。
「えへへ、でもこれで、情報が引き出せそうね」
ディドリクは近くの木にフラニールを縛り付け、万一のためにブロムに周囲の警戒を頼み、フラニールに催眠術をかける。
「あなたの名前は何ですか?」
「フラニール」
「あなたに命令を下していた人は誰ですか」
「ジャスペール様」
「そのジャスペールがいない今、あなたに命令を下しているのは?」
「ヌルルス様」
この名前を聞いて、ディドリクは少し衝撃を受ける。
「そのヌルルスとは、どういう人ですか」
「帝都枢密顧問員」
やはりか、あの帝都で出会った人物、メシューゼラと一度踊った人物、あれが暗殺隊のトップだったのか?
この答には、横にいたメシューゼラも驚いている。
「そのヌルルスが、あなたたちのトップですか」
「ヌルルス様はトップではない、しかし」
「しかし?」
「瑠璃宮五芒星の第一席だ」
瑠璃宮、また出てきた名前だ。
やはりここが暗殺隊の本陣なのだろうか。
「そのヌルルスに命令を下しているのは誰ですか」
「...」
前にマリアを尋問した時と同じだ。おそらく知らされていないのだろう。
質問を少し変えてみる。
「あなた達の暗殺は、何を目的としているのですか」
「法術師の駆逐」
「具体的には誰ですか」
「フネリック王国第二王子、ディドリク・フーネ」
これは予想していたが、実際に、最初に名前が出てくると、いろいろいやな気分になってくる。
「法術師は、帝都や教皇領にもいるはずですが、そちらも暗殺するのですか?」
「帝都の法術師は我々の仲間だ、教皇領は知らない」
「教皇領の法術師は、暗殺目標ではないのですか」
「教皇領に法術師がいるとは聞いてない」
この答に少し驚いたので、具体的な名前を出してみる。
「タダイ・テオトピロス博士は法術師を自認していますが、違うのですか」
「学院の教授たちは法術という名前を知っているだけで、法術師ではない」
いろいろ情報は取れたが、あと、何が残っているのかはっきりしなくなってきた。
そこで組織について尋ねてみる。
「瑠璃宮五芒星の構成員と目的を教えてください」
「第一席が枢密顧問員ヌルルス様、第二席が文法学院教授パトルロ様、第五席がジャスペール様」
「第三席と第四席は?」
「...」
「目的は?」
「法術師の殲滅、帝国の簒奪」
最後にとんでもない答が返ってきた。
つまりこの暗殺隊は、帝国の正式機関ではないということか?
少し整理をしようと思い、尋問を終えようとすると、
「待って、兄様、こいつらの仲間がまだいるかどうか聞き出して」
とメシューゼラが言ってくれた。
「ディドリク王子の暗殺を目論んでいる者は、あとどれくらい残ってますか」
「ノトラ様が援軍に来てくれている」
ノトラ!
マリアの尋問でも出てきた名前だ。
その人物がこのジュードニア王国にいる。
その場所を聞こうとしたが、これもまた、知らされていないようだった。
尋問を終えて、フラニールの目をさまさせると、彼は自分の状態に気が付いた。
「なぜ、俺を殺さない」
どうしようかと迷っていると、メシューゼラが
「あなたにいろいろ聞きたかったからよ、この殺人者!」
と言い放ってしまった。
するとフラニールは自身が何をされたのか、感づいてしまったのだろう。
「俺が...しゃべったのか?」
まずい! と思ってディドリクがフラニールに駆け寄るが、またもや手遅れだった。
ガクっと力を落とし、口から紫色の液体が流れる。
メシューゼラも、怒りにまかせてつい言ってしまったのだろう、動揺して、
「兄様、ごめん」
と謝ってくれたが、時既に遅く、フラニールは奥歯に仕込んだであろう毒薬をかみ砕いて、自害していた。




