【十七】 戦雲
ジャスペールとの戦闘があった翌日、ディドリクはフェリクスとともに、大使館予定地の視察に行き、その足で夕刻、ルチア達の寮に向かった。
ヴィットリアが講習に出かける予定だったが、秘密の話大好き少女なので、この日は「講習がない」ことにしてこっそりサボってしまった。
ディドリクはルチアとカルロッタにだけ説明するつもりだったが、ジャンヌの耳に入ってしまい、4人に説明する羽目になってしまう。
寮だと人目があるので、市場に出かけ、魚の上手い料亭に入った。
そこはかなりの喧騒だったこともあり、逆に人目につかない。
四人の少女と、ディドリク、それにペトラが隅っこのテーブルに座り、少しずつ説明をする。
「王子様と、お姫様?」
ルチア以外の三人が、息をのんだ。
ルチアやペールの時と同じ反応である。
あの大人びた、機転の利きそうなヴィットリアにしてからが、目が泳いでしまっている。
「王子と言っても、継承順位は3番目なので、王様にはたぶんなれませんけどね」
そう言って笑いながらディドリクは話を続ける。
故国の王室に暗殺者が忍び込んでいたこと、その足跡を追ってこの国に来たこと、などなど。
正確にはジュードニアに潜んでいるとあたりをつけてきたわけではなく、結果的にそうなっただけなのだが、そのあたりは簡単にしておく。
「それで、その襲撃現場で、カルロッタさんを巻き込んでしまったのです」
そう言って、ディドリクはカルロッタに謝罪したのだが、王子様に謝罪されて、カルロッタはもう真っ赤になるやら、しどろもどろになるやら。
「それで、これは大切なことなのですけど、あまり私たちのことを広めないでほしいのです」
「そうですよね、お忍びでしょうし」
とジャンヌが慣れぬ敬語でつっかえつっかえ言うと、
「いえ、そうではなくて、あなた達に害が及ぶ可能性があるからです」
四人の動きがピタリととまってしまった。
「私たちが故国での暗殺者を追ってこの国に入ったことは、彼らも知っていますし、私たちと同程度の情報を持っていることも知っています。ですので、私たちが来ているという情報に大した価値はないのです」
ここで言葉を区切り、4人を見まわしてから、続ける。
「問題なのは、あなた達が私たちの関係者だと見られてしまうからかもしれないのです」
「だから皆、王子様のためと言うより、私たち自身のために、あまり言いまわってはダメなの」
と、ルチアがフォローするかのように言葉を受け継ぐ。
一通り説明を終わって、
「こういう事情でしたので、どうか巻き込まれてしまって帰りが遅くなったカルロッタさんを責めないでやって下さい」
としめて、話は終った。
「わかりました、死んでも言いません」とヴィットリア。
続いてジャンヌも同様な誓いを立てた。
「それじゃ、料理を注文しましょう、女将さんが、なんだか焦れてるみたいにこちらを見てますから」
と言って女将を呼ぶと、渋い顔がパッと笑顔に変わる女将。
「公務の一つでもありますので、奢りますよ、遠慮なく注文してください」
そう言うと、少女たちの緊張も少しとけてきたようだった。
平民のお針子少女達にとってはあまりに重い話だったこともあり、なかなか食事は進まなかったがそれでも時間とともに、料理が進んでいった。
「王子様は、私たちの国の料理、お口にあいますか?」
ジャンヌがこう言うと、
「あうどころか、たいへん楽しんでいますよ、北国にはあまり良い食材が入ってきませんから」
「そうなんですか、私たちは皆この王都で生まれ育ったので、外の料理を知りませんから」
「おごりだと思うと、むちゃくちゃ美味しい」
とヴィットリアが言って、ようやく硬かった空気もなごんできた。
そして食べながら、近いうちに、おそらく明日か明後日くらいに、大使館へ移ることも伝えておく。
「もう決まったのですか?」
ルチアが尋ねるので
「今の宿舎は仮の宿で、国王陛下からお借りしているだけですから」
と答えて、その場所を口頭で伝えると、
「住所を書いてください」とヴィットリア。
「王子様、ヴィットリアは字が読めるのです」
とルチアが説明してくれた。
「えーと、うわ、ここからけっこう遠いじゃん」
「どこなの?」とカルロッタ。
「商社街の果てというか、どんづまりというか、ほら、果樹園があるあたり」
「あー、確かに遠いね」とジャンヌ。
「そうですね、頻繁には来れなくなります」
そう言ってディドリクはペトラに合図をして、ロケットを4つ取り出す。
ここに来る直前、雑貨屋で買ったものだったが、自分の似姿を入れて、証明印文を霊言文字で封じておいたもの。
「これを皆さんに」
そう言って渡したのち、それが身分証として機能するので、時間があれば遊びに来てほしい、と言っておく。
「うわー、王子様だ」と、中を開けてカルロッタが言う。
「絵とはいえ、自分の顔を入れるのはかなり恥ずかしかったのですが、それなら証明になるかな、と思いまして」
4人が見入っていたので、少し恥ずかしくなり、言葉を続ける。
「遊びでなくても、先ほどの話、もしなんらかの害が及ぶようでしたら、遠慮なく来てください」
と言ってしめておいた。
小料理屋を出て別れたあと、ディドリクにペトラが
「よろしかったのですか、あんなものを渡して」
こう言うと、ディドリク。
「もし万一、なんてことになったら後味が悪いしね、できる限りのことはしておきたい」
そう言って、さらに付け加える。
「楽観的かもしれないけど、彼女たちは悪用しないと思うんだ」
それを聞いてペトラはやれやれ、といった表情で
「楽観的ですね、ここはジュードニアですよ」と言ってくる。
一方、お針子組は帰りながらおしゃべりに夢中。
「へへへー、王子様がこんなに近くにいてくれるなんて」
カルロッタはロケットの中の似姿を何度も見ながら、にやけている。
「カルロッタ、ほかの人に見せないでよ」とルチアが釘を指しても
「わかってる、わかってる」
とにやけたままで、ロケットを見ている。
「そうだよ、あんたが広めて、私たちまで襲われたりしたら、シャレになんないんだから」
とジャンヌも言う。
「ちぇー、ジャンヌまで、信用ないなぁ、見せないって。私だけの王子様なのに」
「それにしても、暗殺者かー、身分の高い人はタイヘンだね」
ヴィットリアがこうもらすと、ルチアも
「おいしいものが食べられて、贅沢ができて、なんて思ってたけど、そんなに良いことづくめってわけでもないみたいだし」
ともらす。
それぞれに王族への感想などを述べながら、寮へ向かっていた。
翌日、ディドリクは大使フェリクスとともに、大使館の完成、そして移動を報告するために、王宮・貴族院へとやってきた。
だが以前来た時よりも倍以上の人間がいて、あわただしく動き回っている。
異様に緊迫した空気が漂っていて、何かあったのだろうか、と思っていたが、外相への謁見はすぐにできた。
「エルディーニ伯爵、大使館が完成したので、ご報告にまいりました」
それを聞いた外相エルディーニだったが、以前の時のような笑顔はなく、なにやら憔悴しきった表情だった。
「おお、フネリックのディドリク殿、わざわざご足労頂き、ありがとうございます」
かなり無理をして笑顔を作ろうとしているようだった。
「何やらあわただしいですが、何かあったのですか?」
と尋ねてみると、外相は少し考えたのち、
「そうですな、あなた方外国の使節団にも影響が出るかもしれませんので、少しだけお話しておきます」
そう言って、エルディーニ伯爵が簡略に現状の危機について教えてくれた。
ジュードニア王国を構成する十二の民族のうち、最北辺に位置するロンゴ族が王都のヘルティア族境に対して軍を集めているとのこと。
それに呼応するかのように、数年前内乱を引き起こしたワルド人が王都東側に集結しつつあり、こちらはもう戦争を起こす気満々であること。
さらに西南辺に位置するククレニアという部族も、戦支度を始めているとか。
一つ一つの種族は、王都を構成するヘルティアの敵ではないが、三種族一度にとなるとかなり危うい。
軍を分けたものか、それとも戦意が明らかなワルド人だけでも直接先制して叩いておくべきか、その意見がまとまらないらしい。
「この国ではこういった内乱はしょっちゅうありますので」
と外相は言うが、かなり焦燥の色が見てとれる。
外相が、大使館の件は了承しました、と言って書類を出してくれたのち、官吏に呼ばれて席を外していった。
「大変なことになりましたなぁ、ディドリク殿」
そう言って声をかけてきた人物がいる。
そちらを振り向くと、隣国コロニェ教会領のヒュッケルト司教が護衛の者に囲まれて近づいてきていた。
「司教、どうしてこちらに?」
「教皇様の使者がジュードニアに派遣されましたので、帰り道と言うこともあり、ついてきたのですよ」
と説明してくれた。
「殿下にお会いしたい、という人もおりましたぞ」
と、周囲のあわただしさとは無関係の、いたずらっぽい笑顔でささやいてくれた。
「おお、ちょうど噂をすれば」
と事務室の出口から出てきた老人を見ていた。
その老人はヒュッケルト司教を見るや、小走りにやってきて、少し息を切らせている。
「ヒュッケルト司教、もしかしてこちらが噂の?」
「噂のフネリック王国ディドリク殿下ですぞ」
「殿下、こちらは教皇領文典学院教授、テオトピロス博士です」
そう紹介された老人は、帝都で歓談した帝都文法学院ギルダネス教授の周辺にいた人物だったことを思い出した。
「おお、ギルダネス先生と御一緒されておられた博士ですね」
そうディドリクが返すと、嬉しそうに改めて自己紹介した。
「教皇領で古式文典の管理をやっております、タダイ・テオトピロスです」
周囲のあわただしさの中でこの落ち着きようは、さすがに戸惑ってしまう。
しかしそんなことはお構いなしに、テオトピロスはしゃべり続ける。
「帝都でギルダネスとともに語らっておられたのを見て、私もぜひ古式文法談義に混ぜていただきたかったのですよ」
さすがに場所を変えませんか?と提案したディドリクに対して
「いや、これは失敬失敬」
と言って、貴族院を出て、受付控えの間に入る。
その間に、フェリクスには情報収集を頼んでおいた。
「殿下、御心配には及びますまい、ここジュードニアでは、内乱は日常茶飯事なのです」
と、恐ろしいことをさも当たり前のように語るのだった。
「それに、我ら文法家は、身を守るすべを持っておりますぞ、ディドリク殿下」
「法術ですか?」
おそるおそる尋ねてみると
「ほっほっほっ、話が早い」
二人に遅れてやってきたヒュッケルト司教も、この単語を聞いて驚かない、むしろ笑みをたたえている。
教皇領には法術家がいる、とは聞いていたが、目の前の老人がまさにそれだったようだ。
しかし、だとすると瑠璃宮の暗殺者達は、彼らも狙うのであろうか。
新たな、そしてさまざまな疑問が浮かびながら、ディドリクは戦雲漂う貴族院の控えの間で、浮世離れした学術談義に引き込まれてしまっていた。




