【十二】 戦端
商業地区へ去っていくディドリク達一行を見送りながら、ルチアはカルロッタを睨みつける。
「ごめんよぉ、ルチア、そんなに睨まないで」
珍しくルチアが怒ったような表情をしていたので、カルロッタは少し怯えている。
「ディドリク様が寛大なお方で良かったわ」
と、ため息交じりに落ち着くルチア。
「もう暗いから俺たちも帰んなきゃいけないだろ、送ってくぜ」
とペールが率先して歩き出した。
ジャンヌとヴィットリアはにやにやしながらルチアを見つめている。
「なによ、もう」
と二人を見返すルチア。
「いやいや、あのペール君がこんなに男らしくなっちゃうなんてねぇ」
とジュリアは冷やかし気味に言う。
軽口をたたきあいながら、四人は寮までペールに送ってもらった。
「そっかー、ディドリク様っていうのかぁ」
寮に戻ってから寝着に着替えて、カルロッタは寝台の上でゴロゴロしながら言葉を漏らしている。
「おんやー、カルロッタちゃんはあの貴公子様をお気に入りかい?」
ヴィットリアのからかい半分の言葉にも動じず、カルロッタは夢見るような瞳でゴロゴロしている。
「だってものすごく綺麗だったじゃない、あの顔、あの瞳、銀色の髪」
「おやおや、ついこの前までおしめをしていたカルロッタちゃんも、ついに盛りがついたのかい?」
「もう、ヴィットリアのあほー」
そう言いながら、カルロッタがヴィットリアに枕を投げつけ、ヴィットリアは笑いながらかわしている。
「私の髪もなぁ、立派な家だったらあんな銀髪になったのかなー」
なんてこぼしながら、自分の灰色の髪をいじっているカルロッタ。
「あのねー、あの方のは銀髪、あんたのは暖炉の燃えカスみたいな灰色」
とジャンヌもからかいの中に入っていって、わいわいと騒いでいる。
(王家の方と比べるなんて)とルチアは思ったが、当分の間は御身分をお隠しになる、ということだったので、胸の中に留めておいた。
ところがカルロッタの妄想はとどまるところを知らず、
「でもさ、でもさ、私があのお方と結ばれて、こどもができたら似たようなもんじゃない」
どこが「似たようなもの」なのかはわからないが、カルロッタの頭の中では銀色と灰色はきれいにつながっているようだ。
「ああ、白銀の王子様だわ」
などとカルロッタが言い出すので、ルチアは少しどきりとする。
(いや、白銀の王子様じゃなくて、正真正銘の王子様なんだけど)とルチアは頭の中で、またつっこんでいた。
「ルチアだったそう思うでしょ、ペールがいたって、綺麗な人は綺麗だよね」
ルチアに話題を振ってきたので、この程度なら言ってもいいかな、と思い、ディドリクの妹について話す。
「うーん、でもディドリク様の二人の妹君ともお会いしたけど、なんかもう信じられない美しさだったから、私たちとは世界が違うかなー、なんて思っちゃったし」
「え、妹君がいらっしゃるの?」とジャンヌ。
「ええ、一人は母君が違うらしいのだけど、真っ赤な燃えるような髪の美少女、もう一人はディドリク様と同じ髪の色で、天使か妖精かと思えるほどの方。」
その話を聞いていたカルロッタが
「ルチア...ディドリク様って、奥様はいるの?」
などと聞いてくる。
「さあ? そんな話はされなかったので、わからないわ」
急に悩むような、落ち込むような顔になったカルロッタを見て
(あれ...ひょっとして本気?)
と思ってしまう三人だった。
ところ変わってこちらは下町の一角にあるフラニールの家。
マルコ街の、ルチア達が言ってた人殺し通りの一角。
外観は周辺と大差ない民家だったが、中の作りは一階に大広間が設けられている。
そこに集う十数人のいかにもごろつき然とした面々、そして現地暗殺隊の頭目フラニールと、瑠璃宮のジャスペールが奥に座している。
一週前の襲撃の際、フラニールに同行していた千里眼の男が二人に近づき
「ディドリクってやつ、今日も王都に下りてきてましたぜ、下町にも足を踏み入れてました」
と報告する。
「肝のすわったこった、俺たちを恐れていねえ、ってことか」
フラニールがこう言うと、ジャスペールが
「いや、そこまで軽薄なわけではないだろう」
と言って、少し考える。
「腕利きの護衛を連れてきている点といい、おそらく我々と勝負する気だ」
「へ、そいつはいいや」とフラニール。
「もちろん表向きの理由として、大使館設立があるんだろうがな」
とジャスペールが付け足すも、フラニールの目は闘争にそなえて赤く燃え上がっている。
「暴れたいのはわからんでもないが、あくまで我々の目的は国外にある法術師の殲滅だ、それを忘れるな」
ジャスペールはそう言って、集まった者に暗殺計画を告げる。
「相手が若造だからと言って侮るなよ、魔術師や妖術師でも、術に長けていれば女子供でも強い力を発揮する、というのは、お前たちも良く知っているはずだ」
こう言ったのち、概要を語る。
まず護衛の者の戦力を正確に知りたい。
しかし、かと言って、過度な戦闘にまでする必要はない。
ポイントは、その護衛をできるだけ王子から引き離すことだ。
そして一人にしたとき、フラニール以下直々に決着をつけてもらう。
フラニールが目で合図をし、何人かが前に出る。
「こいつらに護衛をひきはがさせます。うちの中でも腕利きの連中で、あの黒いのやらフードかぶったやつなら抑え込めるはずです」
「けっこう、そして私も万一に備えて、お前と一緒に王子と戦おう」
この答が少し意外だったのかフラニールが
「旦那がわざわざ出張っていただかくなくても。俺たちの腕を信じてくだせえ」
「いや、信じているさ、だから万一、と言ったろう。それに自分の目で確認しておきたいしな」
とジャスペールが宥めて、フラニールも落ち着いた。
「それに現場での指揮はおまえに一任するつもりだ」
そして実行する場所を決め、ヘルティア地区に潜入する暗殺隊総出でことにあたるべく、配置を決めた。
二日後の午後、陽が沈みかける頃。
季節は春を過ぎて、初夏。
ルチア達が働く洋裁工房も定時になり、三々五々、帰路につく。
今日は町案内の依頼がないルチアは、久しぶりにペールと二人っきりのデート。
食事当番のジュリアは食材の買い出しに、ヴィットリアは別室の友達と、工房が無料でやっている技術アップの講習に出かけていた。
一人になったカルロッタは、何をするでもなく市場に出てきて、暇をつぶしていた。
先のワルド族内乱で家族を失ったカルロッタは、友達の予定がふさがっていると、ときどきこうして一人っきりになってしまう。
それ自体は辛いわけではなかったが、話し相手がいない、というのは、なかなかに手持無沙汰だ。
そんなわけで市場をふらふら歩いていると、先日ルチア達が道案内していた下町の入り口付近に来てしまった。
(ここでディドリク様と出会ったんだなぁ)
漠然とそう思いながら、下町、マルコ街との境目を歩いていると、あの麗しの銀髪紳士が歩いてくるではないか。
(想いすぎて幻を見るようになってしまったの?)
などと思ってごしごし目をこすってみると、まぎれもなくディドリク様だ。
ルチアは今日ペールとデートしているはずだから、そこにはいない。
よく見ると、先日よりも同行している人数が多い。
黒い肌のブロム、目深にフードをかぶったヘドヴィヒ、一行の後ろから音もなく隠れるように歩いているペトラ。
ここまでは一緒だったが、ディドリクの横と後ろには、二人の少女が連れ添っている。
傍らにいるのは赤い髪が印象的な少女。
ディドリク様に盛んに話しかけていて、ディドリク様も真剣に受け答えしている。
会話の内容までは聞こえないけど、遠目でもわかる素晴らしい美貌。
背格好はルチアより少し高く、ジュリアと同じくらい?
ひょっとして、恋人、あるいは奥様だろうか。
北国から来て道案内を頼んでいる、ということは、新婚旅行?
そんな妄想が頭の中でグルグル渦巻いている。
(奥様がいたんだ!)と、涙が出てきそうになるのを必死でこらえる。
しかしすぐに先日のルチアの話を思い出した。
二人の美しい妹と出会った、とルチアが言っていたじゃないか。
一人が赤髪の美少女、もう一人はディドリク様と同じ髪の色をした少女。
うん、横にいる子は妹だ、全然似てないけど、たぶん。
母親が違う、とも言ってたではないか。
するともう一人も妹? と思い、ディドリク様の後ろにいる小柄な少女に視線を移して、カルロッタは息をのむ。
(天使だ...)
背格好は自分達よりかなり低い。
おそらく年齢も下だろう。
しかしまるで重力の縛りを受けていないかのように、軽やかに動き、そしてディドリクの腰回りにまといついているその姿。
ルチアが「天使か妖精か」と言ってたのは、あの少女のことだ、と直感する。
(どうしよう、声をかけてもいいのかな)
と逡巡するカルロッタ。
向こうはまだこちらに気づいていないようだ。
ルチアはいないけど、別にルチアの持ちものったわけじゃないし、声をかけるくらいなら、と思って、少し前に踏み出したところ...。
「今日は皆で食事に行きましょう」
とメシューゼラが言い出したので、ディドリクも少し考えて、それに乗ることにした。
ここ、ジュードニア王国の料理は美味しい。
来た当初、宿舎に付属する料理人達の料理にかなり驚かされた。
豊富な食材、見たこともないような果実、そしてさまざまに味付けされ、工夫を凝らした料理。
肉、魚、蔬菜、果実、香辛料...どれをとっても新鮮で素材の仕込みが行き届いており、濃味から薄味まで多種多様。
使節団の側からリクエストがあれば、その日のうちに出てくる料理、しかも予想よりはるかに美味。
そんな宿舎の料理人達を見て、最初は大国王都の官営料理人だからかな、と思っていたディドリクだったが、外へ出てみて、そうではないことがわかった。
この国自体が食材に恵まれており、美味というのはいたるところ、日常的に存在していることがわかった。
庶民の店は、宿舎の料理や高級・中級のレストランとも違った工夫があり、ぞれぞれ個性の差がある。
「食べる」ということが「命をつなぐため」に限定されていたフネリック王国の面々は、「食べる」ことが「楽しみ」につながっている文化を発見したのだ。
皆で食べると一層楽しい。
これはルチア達と卓を囲んでディドリクとメシューゼラが出した結論である。
アマーリアも連れ出して、皆で「楽しむ」ために食事に行こう、こういう提案だったのだ。
大使館もそろそろ完成しつつあるし、そうなれば場所が郊外に移るため、今ほど頻繁には来られないかもしれない。
支度をして、ブロム、ヘドヴィヒ、ペトラを護衛という名目で、出かけることにした。
ベクターが霊体でなければ、彼も連れ出したかったのだが、
「さような気遣いは無用だ」と言ってくれた。
とはいえ、危険もあるため、認知結界は常に貼りつつの進行だし、ベクターにいつでもきてもらえるよう準備はしていた。
町へ繰り出し、しばしの休日、観光でもあった。
ルチアに教えてもらった店の一つへやってきて、南国料理を楽しむ。
黄、赤、白、青、という多彩な色どりの果実が、豊富な果汁で北国の舌を蕩かせる。
じっくり煮込んだ魚料理もあれば、素材の新鮮さを生かすべく、とれたてのまま出てくる柑橘類もあった。
この世の幸せを実感していたが、そのときある気配がひっかかる。
「ブロム、ペトラ」
ディドリクが二人に注意を促すと
「私たちをじっと見ている人がいます」とアマーリア。
ブロムとペトラがすぐに戦闘を意識して立ち上がる。
ディドリクが勘定をすませ、一行はゆっくりと店外に出ていった。
「どうやら休日は終りのようですね」
ペトラがそう言って戦闘態勢を取る。
(アマーリアのいる時に戦いたくなかったのだが)
と一抹の心配を残すディトリク。
大通りに出て、少し歩き、下町との接点付近に行く。
その時、魔法の氷弾が飛来した。




