【九】 ベクターの系譜
宿舎に戻ったあと、フェリクス達と報告を交わした。
大使館の用地決定と買収は成功し、近日中にも建設に入れるらしい。
王国側への報告等、いろいろ細々としてたことを決定したあと、ディドリクは自室に戻る。
ベクターに認知結界の謝意を述べようとするが、
「あれは我ではなく、アマーリアが張ったものだ」と聞かされる。
ディドリクが驚く以上に、緊張するアマーリア。
以前あったように、また兄に落胆されるのではないか、そんな気持ちが沸き起こってきたのだが
「アマーリアが? すごい、すごいよ」
そう言ってディドリクは、寝台のふちに座っていた幼い妹を抱きしめる。
肩を抱き、頭を抱き、そしてその瞳を見つめる。
「やはり、才能があったんだね」
そう言って、今度はベクターの方を振り向くと
「才能、と言っていいかわからぬが、若い法術師が二人も生まれる現場にいる、というのも、我として心揺さぶられるものがある」
と満足気だ。
実際にはベクターが指導にあたる前、既にアマーリアには萌芽があったのだが、それをベクターが引き上げたことは間違いない。
後天的要素が強い法術師には高齢の者が多く、若い使い手というのは歴史的にも極めてまれで、少ない。
それがここに二人も誕生している。
「法術でなす認知結界は、魔術の認知結界と表面上は類似しているが、内実がまったく違う」
そう言ってベクターがアマーリアにわかるように解説する。
「法術師の認知結界は、結界というよりむしろ世界把握だ。それゆえ、領域、つまり範囲が無制限になる」
アマーリアが再びディドリクの方を見る。
ベクターとともに法術論議を交わしながら、喜んでくれているようだ。
(よかった)とひとまずは胸をなでおろし、そして
(うれしい)という気持ちが沸き起こってくる。
「兄様の役に立ててうれしいです」
そう言う妹にディドリクは向き直り、
「からだに負担はないよね」と言って、髪をなでる。
「はい」と言って微笑むアマーリア。
「以前、おまえの力にびっくりしてしまって、とんでもない醜態を見せてしまったけど、今は私も心の底から嬉しいよ」
そう言うディドリクに
「兄様」と言って、今度は自分から抱き着くアマーリア。
ディドリクが左手でアマーリアの腰に手を回し、抱き上げる。
右手で肩を支え、自分の膝上に運ぶと、幼い頃にやっていたように、額と額を触れ合わせた。
「ベクター、感謝します。僕だけだったら妹をここまで成長させられなかった」
「かまわぬ、若い法術師を見るのは我にとっても至上の喜びぞ」
室内に誰もいないこと、扉も閉じていることを確認して、ベクターが熊皮のフードをはずす。
「汝らなら、かの魔法博士の弟子たちにも匹敵する力量となろう」
この言葉を聞いて、ディドリクは体の中を何かが走っていくのを感じた。
「魔法博士?」
アマーリアの方がこの言葉に反応したので、ベクターが少しばかり説明する。
「古典古代の学術と神言を、神秘と奇跡の水準に引き上げた、太古よりつながる叡智の系譜である」
だが、知らない用語が多すぎて、アマーリアはポカンとしている。
「それは一人ではなく、伝説の時代から紡がれた系譜で、十三人まではその伝承が残っている」
十三人。その数字はディドリクの心に引っかかるものがあった。
(あの人は、第十四世を名乗っていた)と。
「本来、法術を隠匿すべし、という教えが確定したのは、第八世の頃と言われておるが、それは外に対してのもの、汝ら法術師となった者に対してはもちろんそれが適用されるわけではない」
ベクターは続ける。
「魔法博士の系譜については、そのうち教えていこう、我が知る限りのことを」
「ひょっとして...」
ディドリクがある考えを言い出そうするのを見て、
「我は魔法博士にはあらず、その高弟の一人だった者」
と言って、ディドリクの考えを制した。
「高弟、ということは、お弟子さま?」
アマーリアがもらした言葉に対して
「さよう、我がまだ生者の衣をまとっていた頃、我は第十三世魔法博士の門をたたき、認められ、そこの弟子となった」
ディトリクにとってもこれは驚嘆すべき話だったし、なにより自分は第十四世のことは何も知らないことをかみしめるように思い出した。
「さきほど確認されたのが十三人と言われましたが、最後の魔法博士、ということでいいのですか?」
ディドリクの問いに対して、ベクターは少し眉根を寄せながら
「それはわからぬ、我が眠りについたのははるか昔、まだフネリック王国もない頃であったし、その後に誰かが継承しているかもしれぬ」
それを聞いて考え込んでしまうディドリクを見て、
「まさかとは思うが...おぬしも第十三世の薫陶を得たのであるか?」
とついてくる。
「いえ、私は第十三世魔法博士については、ほとんど何も知りません」
と答える。
これは嘘ではない。
幼い頃、夢に現れたあの影のような存在は、まぎれもなく(第十四世)と名乗った。
その言葉は十二年の時を経て、未だ耳の底に残っている。
「さようか、汝の術によって眠りから覚まされたとき、汝の幼さと術の精緻さを思って、ひそかに汝も我が師の薫陶を受けた者かと思っていたのだがな」
あの夢のことを、そして夢の中での修行について言うべきだろうか、ディドリクは悩む。
(隠匿せよ、秘匿せよ)と第十四世は言った。
だがそれは誰に対して?
ベクターの言を信用するなら、法術師同士では隠さなくてもよい、ということになるのだが。
「では汝は、誰によってその術を手に入れたのか」
ベクターがこう聞いてきたので、それを説明した方が良いのか、と思い始めたが、まだ心のどこかに(待った)をかける声もあった。
ディドリクが迷っているのを見て
「まぁ、良い、隠匿と秘匿は法術師の信条でもある、いつか話せるときに話してほしい」
意外とあっさり譲歩してくれたベクターに驚いて、顔を上げると
「我はな、こんなことを言うとおかしいかもしれんが、我は汝の法術を信用しておるからじゃ」
「すみません、そしてありがとうございます」
ベクターを信用していない、と解釈されかねない沈黙だったことに、ディドリクは心かき乱される。
しかし、今は、今はまだ沈黙しておこう、と考えてしまうのである。
ベクターが最後にこうもらして、この話題は終る。
「沈黙と秘匿はかまわぬ、だが、嘘だけはつかないでくれ、これは我のささやかな希望」
ディドリクは法術師の仲間であり先達でもあるベクターには、必ずこれを遵守することを誓い、宣言した。
次にベクターが持ち出したのは、この地での暗殺者がこれまでと違う点。
二度にわたる襲撃、しかし二度とも分が悪いと思えば逃げ出したことだ。
ガイゼル成人式でも敵が逃げた戦いはあったものの、あれは密偵を目論み、それがバレたからだった。
今回のように最初から暗殺に動いたのに、不利と判断して主力が逃げたのとは違う。
「今度の暗殺者には、組織性を感じる」
ベクターに指摘されて、ディドリクもそれについては考えてみた。
血統王子、後継者の暗殺は、フネリック王国やニルル王国のような小国で行われている。
したがって、ガラクライヒ、ノルドハイム、そしておそらくこのジュードニアでも、王子呪殺の目的で暗殺者達は潜入していない。
四大国でそれをすれば、まだ軍事的、政治的に力を持ちえないホルガーテ王国にとって不都合なことになるからだ。
すると連中の目的は、大国の内情密偵と、法術師の暗殺、ということになる。
「これまでのように、末端の魔術師、妖術師が潜入しているのではなく、そこそこの大物が指揮を取っている可能性がある」
「大物、ですか...」
ディドリクの脳裏に浮かんだのは、キンブリー公国でのマリアの証言に出てきたノトラという人物。
そしてフネリック王国に潜入していた5人の監視団から聞き出したルーコイズという名前。
この二人が暗殺隊のトップかどうかはわからないが、上の方にいるのは間違いなさそうだ。
組織性のある戦いを展開している、このことの重要性を今一度かみしめておかなくてはならない。
潜入している暗殺者は、三人どころの話ではないだろう、とも考えていた。
翌朝、ヘドヴィヒが少し時間がほしい、と言ってきた。
「すみません、昨日、私だけが酔っぱらっちゃって」と、少しテレたような表情で切り出してきた。
ディドリクが要件を聞くと、
「その、昨日、酔っぱらっちゃって、報告ができなかったので、その追加報告です」
と言って、帯に括り付けているポシェットから、何かを出してきた。
「あの屋根の上で戦った相手が持ってたものです」
そう言う彼女から布で包んだあるものを受け取るディドリク。
それは筒だった。
「見たこともない攻撃魔術だったので、研究用に持ってきたのを失念してました」
見るとその筒は金属性で、片方の先端だけに小さな木製の掴み手がとりつけられている。
「この筒を使って、金属球、おそらく鉄玉を打ち出してきたのですよ」
なるほど、鉄玉を力場か何かを使って相手に向けて投げつけることは可能だが、それだと精度が落ちる。
筒の中を通してやることによって、命中度が上がるのかもしれない。
「しかしですね」
と、ヘドヴィヒが自身の見解を述べる。
「この筒自体には何の仕掛けもありませんでした。火薬の痕跡も、魔術紋の刻印もありませんでしたし」
「すると打ち出してきた金属球の方に仕掛けがあるのか、あるいは発射するという過程を魔術処理しているのか」
ディドリクがこう答えると、ヘドヴィヒは回収してきたらしい鉄玉も出してきて
「鉄玉の方にも仕掛けらしいものはなかったので、王子様にも見ておいてもらおう思って」
そう言って、筒と玉の二点をディドリクに預けた。
「ありがとうございます、ヘドヴィヒさん、僕も初見でしたので、今後の研究材料にしてみます」
ディドリクとフェリクスは、大使館設立の報告のため、ジュードニア王国王城へと向かった。




