【六】 認知結界
その夜、フネリック王国宿舎では大使館候補地が絞られつつあった。
と言っても、広い飛行場のとれるところ、ということなので必然的に郊外地になってしまうのだったが。
ディオンが見て来た候補地について、リカルドとヘドヴィヒが意見を出すだけなので簡単に決まった。
あとはその周辺の治安だけなので、そのあたりはもう一度行って決定することになる。
そこから先は、フネリック側の判断ということになるので、決まり次第、建設、もしくは購入に入るつもりだった。
土地の交渉を、翌日フェリクスにまかせることで意見が一致したが、ディドリクは下町を軸にして、少し調査を行う旨を告げておく。
あきらかにディドリクを狙ってきた者がいる、という点についての調査だった。
「向こうから来てくれたのはむしろありがたいと思ってるんだ」
とディドリクは言い、人選に入る。
と言っても、ディオンは大使館予定地の方に行くので、ブロムとペトラだけを連れていく予定だったが、メシューゼラが反対した。
「私も同行するべきだわ」
「いや、ゼラも昨日のを見ただろう? 相手は飛び道具を使うみたいだし、危険だ」
「だからこそ、よ、私の炎術が有効になるわ」
どうにも引きそうにないので、どうしたものか、とディドリクが考えていると、
「私も行かせてください」
ヘドヴィヒ・メヒターが割り込んでくる。
「でも君たちは、大使館予定地の方に行ってもらわないと」
ディドリクがそう言うものの、ヘドヴィヒの目は、期待で輝いている。
「こんな楽しそうなこと、参加しないと帰国してからものすごく後悔します」
とよくわからない理屈でまくしたててくる。
「そもそも予定地の視察は、ディオン様一人でも十分ではないですか」
「攻撃性の強い魔術を使える者がいた方が良い」
ブロムはこう言って、メシューゼラとヘドヴィヒの参加に寛容になっていた。
確かに、ディドリク、ブロム、ペトラの3人だと、強力ではあるが、攻撃力に不安を残す。
相手は最低でも3人だが、ジュードニアの国家規模を考えると、もっと潜んでいる可能性が高い。
(王族男子暗殺目的の中小国ではなく、四大国には別の目的で潜入している)
とは、シシュリーの忠告の中にもあった。
最悪、異能者達との組織戦もありえる。
ディドリクは考えた後、ヘドヴィヒにはいくつか約束をさせる。
現場ではディドリクの命令を聞くこと。
あくまでフネリック王国の護衛団としてふるまうこと。
ノルドハイムの魔術師であることは、極力隠すこと。
敵方は殺すよりも、生け捕りを優先すること。
ジュードニアの国民との間にトラブルを起こさないこと。
特に、明日はジュードニアの、おそらく下層民の少女に案内を頼むことになる。
そこでの対応には注意してほしい、と付け足しておいた。
「わかりました、わかりました」
と気軽に返事をしているヘドヴィヒにかなりの不安も覚えたが、こっそりついてこられるよりはましかも、と思い、認めることにした。
「そうなると、当然私も行っていいわよね」
メシューゼラもなぜかやる気満々になっている。
「兄様、私だって戦力になりますわよ」
どこからその自信が来るのか知らないが、確かに魔術の腕だけで言えば、この中で一番かもしれない。
二人には今回の目的が暗殺隊のしっぽをつかむことであって、戦闘ではないことをこんこんと言って聞かせておいたのだが。
同日同夜、南方郊外、聖乙女教会跡地、内陣の一室。
「今日は人はいないようだな」
薄暗い灯りの中で、二人の男が話しあっている。
「フネリック王国第二王子ディドリクを見つけたそうだな」
「へえ、部下に襲わせてみましたが、おそらく」
「ほう、それでどうだった?」
「部下からは、恐ろしくカンの良い小僧だ、と聞いてます」
こう答えたのは、ついさっき、ペールとルチアから何かを聞き出そうとしたあの中年だ。
「そうだろうな、帝都で俺の選んだ連中が瞬殺だったからな」
瑠璃宮五芒星の第五席、ジャスペールはこう言ってニヤリと笑う。
「帝都でしとめそこなった時は、チャンスは当分ないと思ってたが、俺の赴任地へのこのこ来てくれるとは、天の思し召しだろう」
そう、帝都でロガガを含む一団を使って、ディドリクを襲わせたあのジャスペールである。
「よし、引き続き、可能なら暗殺しろ。しかしまだ無理はするな」
と言って、相手の中年男フラニールに命じる。
「もう少し人員を増やしても構わんぞ」
と言って、金貨の入った袋をドカッと卓上に投げる。
「しかし、俺のことはかぎつけられるな、これは絶対だ」
「へえ、それはもう」
「それでは俺には別の工作があるのでな」
そう言ってジャスペールは闇の中に消えるように立ち去っていった。
残された男フラニールは、
「これだけありゃ、搦め手からでもいけるかな」
とつぶやき、何人かに召集の合図を送った。
翌朝、フネリック王国宿舎。
朝食をとったのち、フェリクスら大使館予定地視察団は出かけていく。
ディドリクは、メシューゼラ、ブロム、ペトラ、ヘドヴィヒ達と観光地図をにらめっこ。
町のようすをだいたい把握しておくためだ。
「アマーリア、ごめんよ、危険がなくなったら、観光に連れて行ってあげるからね」
こう言って、ディドリクは実妹の髪をなでる。
「はい」
と言って頷くアマーリア。
また自分はアマーリアの我慢強さに甘えてしまっているのだろうか、と少し辛い気持ちになる兄。
だが、あの暗殺者達は危険だ。
おそらく自分を狙っている。
そんな連中が待ち構えているところに、実戦経験のない十歳の妹を連れていくことはできない。
そしてそのことをアマーリアも良く理解してくれている、それが伝わってくるだけに心苦しいのだ。
一人にしちゃいけない、そんな思いでここまで連れてきてあげたのに。
髪をなでられながら、アマーリアは頭をディドリクの胸のあたりにつけて、もたれかかる。
「兄様、どうか私のことで悩まないでください、近くにいてくれる、それだけで私、嬉しいですし」
また自分の気持ちがもれてしまったか、と少し後悔もするが、同時にここにはベクターがいてくれる。
おそらくこのジュードニア王国で、いちばん安心できる場所でもあるのだ。
それにいざとなれば連絡方法もある。
夕刻にはまだ早かったが、陽が傾きだす少し前、ディドリク一行は宿舎を出て下町に向かった。
観光地図には下町の図がそれほど詳しく載っていなかったため、大まかな道筋だけでも把握しておくためだった。
ディトリク達が出ていったあと、ベクターがアマーリアにある提案をする。
「認知結界を広域で張ってみないか?」
「え?」
兄妹の一室でベクターが提案したことに、その意味がわからずアマーリアは首を傾げた。
「ディドリクの言う通り、ここには危険は及ばないだろう。しかし、ここから広域法術の展開をするのは絶好の機会ではないか」
ベクターの言わんとしていることが、幼い頭にも少しずつわかってきた。
王都全体を覆える結界を張ることができれば、それだけで探索網の構築になる。
しかしそんな大規模なことができるのだろうか。
「理屈の上では、そして能力的にはできるさ」
ベクターはここにくるまで、馬車の中で少しずつ、兄妹とその術式について議論してきた。
一つの言語圏の中で、奇跡の術を展開させる。
既にディドリクもアマーリアもその法術は理解していたが、問題は体力である。
ディドリクはまだしも、アマーリアはまだ幼い。
だからこそ、こういう危険のない時にやってみるのだ。
異国で、しかもこれだけの広さがある。
限界を探るにも良い機会だろう。
「やってみます」
アマーリアは、自身の中で古典古代の神言文字を展開し、構築していく。
それを自身の座から、少しずつ広げ、また十重二十重に重ねていく。
自室、宿舎、王宮街、商業地区、下町、市場、と。
多層に組み立てられていく認知結界は、さながら千里眼のように、その座する場所を映像として、音として、アマーリアの脳内に反映していく。
しかし一点に的を絞る魔術の千里眼ではとうてい及ばない、高等術式である。
やがて、兄の姿をとらえることができた。