【七】 天星
二戦目の翌日、またもや人だかりができそうだったので、ディドリクは授業後、中庭に抜け出していた。
手持ちの書籍を抱えて、ベンチに腰かけていると、イングマールが近づいてきた。
「殿下、もしあれがやかましかったら私が注意いたしますが」
まだ敬語を使ってくるイングマールに少し苦笑しつつ
「いや、気にしなくてもいいですよ」と話し、続けて
「でもイングマールも強かったですね、当たらなくて良かったです」と語る。
「もし殿下と当たれば、私は不戦敗を宣言しますよ、これはあくまで授業の一環ですから、勝敗を決めることに意味はありません」
イングマールは実家で剣術や魔術戦闘を習っている。
ディドリクと違い、学院でやる程度の教練などに、あまり深い意義を見ていないのだろう。
「そういやイングマールは卒業したら、王宮に入る予定なのですか?」
「はい、そのつもりです」と答えた。
恐らく父や兄たちと同じく、宮中の宰務や事務に携わっていくのだろう。
「とは言っても、最初は下級事務みたいなところから始めますので」
宮中においても、それほど顔を合わせることもないかもしれない。
その意味で、対等に、毎日顔を合わせていられる今は、二人にとって貴重な時間なのかもしれない。
護衛役のレムリックが近づいてきて、「若」と、注意を促す。
すると別方向からまた一人、ディドリックに近づいてくる者があった。
「やぁ、話をしても、いいですかな?」
その男、カスパールは、まっすぐにディドリクを見つめながら、話しかける。
「ええ、かまいませんよ」
それじゃ、と向かいにあるベンチを引き寄せてきて、そこに座る。
外にいるときは、黒髪の巻き毛を頭巾のようなもので覆っている顔が、ディドリクの正面にくる。
「昨日は見事でした」と話し始める。
たぶんそれを言いに来たわけではなかろう、と思いつつ「ありがとうございます」とあたりさわりのない返事。
するとそれを感じ取ってか、いきなり本題を切り出す。
「こんなことを王子に聞くのは不適切かもしれないのですが...ガイゼルさまの体調は、まだお悪いのですか?」
イングマールとレムリックの顔に一瞬、緊張が走る。
「あ、いえ、不適切な発言でしたら、おわびします、ただ気になることがありまして」
不穏な空気を出し始めた二人を制して、ディドリクが答える。
「兄は、正嫡のガイゼル太子は、少し体調を崩されています、今の僕に言えるのはここまでです」
これを聞いて、少し迷っているのか、カスパールは間を置いた。
そして、ポツリポツリと、言葉を選ぶように話し始める。
「もし不適切な発言でしたら、お許しください」
「私はガイゼル殿下を敬愛しておりますので、少し気になることがありまして」
ディドリクは、チラとイングマールの顔を見る。
そして目を伏せたまま、カスパールは続ける。
「ガイゼル殿下は...呪われているのではないですか?」
イングマール、レムリックとともに、ディドリクも一瞬固まってしまう。
(この男は、兄と何か接点があるのだろうか?)脳内に疑問が起こる。
というのも病弱な兄はめったに人前に出ることもなく、宮中の者でさえ、顔を見ていない者は多い。
レムリックなども、さすがに顔は知っているものの、言葉をかけられたことはほとんどない。
重苦しい空気の中で、ディドリクが口を開く。
「ぼくは詳しくは知りませんけど、なぜそう思うのですか?」
続けてイングマール。
「おまえは王太子殿下とは面識がないはずだが?」
ここで初めてイングマールに視線を移したカスパール。
「卦が出たんだ」
「卦?」
カスパールが語り始めた。
私の家が占星術の技官なのは知っているだろう?
私も幼い頃からその技術を受け継いできた。
そしてある時、亡き祖父が生前、王家の未来を占っていたことを知った。
そう、死の直前までガイゼル殿下を占っていたんだ
祖父は、この国の未来が殿下にかかっている、とよく言っていたんだ。
殿下の星は、天宮星...王家が殿下の元にまとまれば、この国は安泰である、とね。
そしてその言葉をディドリクが継ぐ。
「だがそれは名だたる占星術師にはよく知られたことだった」
驚いた表情でディドリクを見るカスパール、そしてイングマール。
「あ、話の腰を折ってすまない、続けて」
カスパールが驚きの中から戻ってきて、続ける。
「王国の栄光を望まぬ者、彼らが殿下を呪ったのではないか」
ディドリクは頭の中へ、カスパールの言葉を組み込んでいく。
自分が考えていたこととかなり近い。
だが少し違うのは、呪いの対象がガイゼルだけでなく、王家の男子全員であることで、しかも不完全な形を取って。
一方、ガイゼルの星は高名な占星術家には広く知られていて、その人物が呪いをかけたかもしれない。
ただ呪いなのかどうか、はっきりしなかったこともあって、ここにはつなげられなかった。
自分が占星術が専門ではなく、天文術の応用程度にしかとらえていなかったからかもしれない。
だが、王家を、王国を滅ぼそうとする者が、異母兄が王国の栄光をなしとげる存在だ、という予兆を見ていたとしたら?
動機は十分すぎるくらいにある。
だが、ガイゼル以下の男子全員に呪いをかけている、というのは、王家というより王国に敵意を持っているのではないか。
自分がその呪いからはずれたのは、第二子なのでその呪いが不完全だったのではないか、と。
そうすると、呪いをかけたのは王国の民ではなく、他国の間者?
頭の中にいろんな想いが走り回り始めたが、カスパールを見てすぐに戻ってくるディドリク。
「カスパールさん、貴重な話、ありがとう」
そして、少し考えて続けた。
「この話、どれくらいの人が知っていますか?」
カスパールは、今のところ自分だけです、と言う。
「祖父は占星術の途中で死にましたし、父は私や祖父ほど強い力をもっていないので」
「そうですか、ではこれはここだけの話にしておいてください」
イングマールとレムリックの方にも顔を向けて、確認する。
「兄の体調についてはぼくも少し思うところがありました。将来、研究科に進みたい、というのは、その研究もしたい、というのも志望動機の一つです。」
カスパールがこの言葉を聞いて少し表情を崩しながら
「私も...私も研究科志望なのです」
ディドリクは、初めて彼の笑顔を見たように思った。
カスパールは立ち上がり、内密にする、と重ねて約束し、立ち去る。
翌日、模擬試合の三戦目が始まる。
連勝者同士の組み合わせ、ディトリクの相手はヨハンネスという少年。
既に連勝者は八人になっていて、言わばこれが準々決勝のようなものだった。
ヨハンネスは木剣を選び、開始線に立つ。
ディトリクの方は、三戦連続で円盾を選ぶ。
開始の合図がなされるが、ヨハンネスはディトリクの魔術を警戒してか、突っ込んでこない。
もうそろそろ負けてもいいか、と思っていたディドリクだったが、こうも警戒されると、自分から仕掛けていかざるをえない。
そこで火弾を放ってみる。
右手から飛ばされた炎の塊を見るや、ようやく前進して間を詰めるヨハンネス。
木剣に冷気をまとわせて火弾を切り伏せ、ディドリクの懐へ飛び込んでくる。
前回、ディドリクがベルベットの火球を盾で弾いたのと同じやり方だ。
小規模の高熱弾であれば、負の熱場で相殺するのが効果的。
だがディドリクは呼び込ませて、その木剣に振動を与える。
音場の応用である。
「うあっ」と声を出して、木剣を離すヨハンネス。
だが、痺れが手に残り、その場で座り込んでしまった。
「降参します、手が動きません」
「痺れはたぶんすぐにとれます」と言い、手を差し出すディドリク。
ブロムは前回と同様、瞬殺で相手を倒し、イングマールも苦戦しつつも勝利。
最後に登場したカスパールは、初めて魔術を見せて勝利した。
カスパールの魔術は、幻術。
しかしそれは対戦した相手にしかかかっておらず、周囲で見ていると、なぜ動かないのだろう、と感じたことだろう。
カスパールが近づき、肩口を木剣でたたいて、勝利した。
恐らくあれは分身を見せていたのだろう、と直感するディドリク。
かくして三連勝した四人が決まった。