【三】 聖乙女教会跡地
翌日、ジュードニア王国王都タルキスにて、フネリック王国使節団は国王との謁見に臨んだ。
参加したのはディドリクとフェリクスの二人。
しかしその部屋は謁見の間というより、富裕な商人の応接間のような場所。
国王セルウィスは赤髪のでっぷりした中年男で、頬には王とは思えぬ無精ひげが走っている。
いささか勝手が違う感覚になったディドリクだが、国王と謁見し、大使交換の提案をする。
来訪は伝えていたが、その内容についてはあまり詳細には知らせていなかったからだ。
セルウィス王は宰相ランペルスと何やら話しこんだ後、
「まぁ、大使の交換くらいならかまわん」とそっけない返事。
だがそれに続けて、
「王都の中心部や王宮近くには大使館を置くな」とも言ってくる。
ジュードニア王国には十二の公用語があり、この国王はそのうちの一つ、ヘルティア語を使っている。
もちろんディドリクもフェリクスもこの古典語にも通じる古い言語には習熟していたが、やたら命令口調で接してくる国王には少し驚かされた。
さらに、その要件がすむと、すぐに部屋を追い立てられ、事務手続きは別室で、と指示された。
「少し予想していたのと違いました」
ディドリクがフェリクスに小声でこっそりそう漏らすと、
「この国では何から何まで国王に決定権があるわけではありませんから」
と返してくれた。
聞けば、実際の政務は「貴族院」と呼ばれる部署が担当しているため、国王の出る場所はあまりないという。
前日歓待してくれたように見えた外相エルディーニも、この貴族院のメンバーだと言う。
だが帝都で聞いた話では、エルディーニ卿は国王の弟で、ピリポはこの国王の三男だったはず。
その二人から受ける印象とあまりにも違っていたため、それに驚いていたのだが。
宿舎に戻ったディドリクは、事務的な諸手続きはフェリクスにまかせ、王都の観察へと出かける。
大使館をどこに設営するか、地図で考えるより先に、この国の空気を吸っておきたかったからだ。
メシューゼラとディオン、そして護衛としてブロムを従えて、王都タルキスの町中へと繰り出していく。
ディオンを連れて行くのは王都の感想を聞き、大使館設営の助言をもらうため。
メシューゼラには町そのものの感想を聞きたかったから。
アマーリアも一緒に連れて行きたかったのだけど、さすがに初めての町での危険性も感じて、まずはメシューゼラだけにしておく。
ブロムには護衛の意味もあるけど、町の構成なんかを見ていてくれるとありがたい、という気持ちもあったからだ。
「兄様と一緒の町見物、すごく嬉しい」
と言うものの、今回はお留守番のアマーリアを思ってか、いつもより小さな声で、こっそり言うだけのメシューゼラだった。
所変わって、ここは王都タルキスの南方郊外、とある廃墟。
数年前のワルド内乱の主戦場となったため廃棄させられた、聖乙女教会の跡地である。
ワルド軍が終盤に立てこもり、殲滅戦となってしまったため甚大な被害となり、その結果、見るも無残な石組みの跡だけが残されてしまった。
教会の聖堂及び礼拝堂は王都中心部近くに移され、この跡地だけはまだ整理されず、廃墟となって残されているのだ。
だが聖堂の跡地にはまだ石組みの教会跡が比較的状態良く残っていたため、礼拝堂、聖乙女象なきあとも、いまだにチラホラ礼拝に訪れる者もいる。
夕刻、陽が沈みかける頃、一人の影がこの聖乙女教会跡地に現れた。
見るからにみすぼらしい格好をして、頭に灰色の頭巾をかぶったその少女は、礼拝堂のあった場所に跪き、祈りを唱える。
そして末尾に、こう付け加えた。
「私と同じ名を持つ聖乙女ルチア様、どうか、父や兄が一日も早く戻ってこれますように」と。
祈りを終えて立ち上がろうとしたとき、何やら男の声が聞こえる。
低く、くぐもった声で、
「...を殺せ、これは正式命令だ」
と言うのが耳に飛び込んできた。
人名は聞き取れなかったが、「殺せ」というのは甚だ物騒な単語だ。
彼女の母語でもあるヘルティア語であったため、おそらくこの王都の人間なのだろう。
この跡地にも盗賊やら異教徒やらが巣食っている、あるいは集会所にしている、という噂は彼女も知っている。
見つからぬように、ヘタに刺激しないようにと、陰に隠れ、そろそろと退陣しようとする。
入ってきた入り口近くまで戻ったとき、かつての内陣の一つからまた声が聞こえた。
ゆっくりと通り抜けようとすると
「誰だ!」
という声がしたため、驚いて駆けだしてしまう少女。
だが教会跡地を抜けても誰も追ってくる者はおらず、なんとか逃げ延びた、と感じて、少女は急ぎ寮に向かう。
その声がした内陣の奥では、咄嗟に吹き消した燭台にまた火を灯し、四つの影か浮かび上がる。
「人が来るじゃねーか」
「ここは平民や下層民どもに信仰篤かった教会だったからな、ま、こういうこともあろうさ」
「こんなところで連絡ができるのか」
「この国だとここでもまだ人目が少ない方だぜ」
などと小声でやりあっている。
「あれはあとで追いかけさせる。重ねて言うが、これは瑠璃宮からの正式の命令だ」
そう言って、一人の男が残りの三人に命令を下した。
ルチアが織物工場の寮に着いた時には、既に夜の闇があたりを覆っていた。
耳に挟んだ「殺せ」という単語が強く残っていたため、ルチアは四人部屋の中、自分の寝台の中に入り、布団をかぶって震えていた。
「なんだい、ルチア、またお祈りに行ってたのかい」
横の寝台で寝ぼけまなこのジュリアが話しかけてくる。
「そうよ、でも少し疲れたから、もう寝るわ」
そこで会話はとぎれ、夜が更けていく。
翌朝、いつものようにたたき起こされ、いつものように仕事場へ向かう。
ルチアも、ジュリアも、お針子たちは陽が上り、沈むまで、ずっと仕事。
もっとも少ないながらも給金はちゃんと出るし、時間は守られるので、学校にも行けなかった彼女たちにとっては上々の部類の仕事場である。
夕べになると、ある者は家族の元へ、ある者は恋人の元へ、またある者は寮に戻りいたずらに時を過ごしたりしている。
14歳のルチア、15歳のジュリアにも、恋人とまでは言えるかどうかわからないが、仲の良い男の子はいて、かれらとともに遊んだり、話したりしている。
昨夜のことが頭に残っていたルチアは、そんな幼馴染の男の子ペールに逢って不安を紛らわそうとしていた。
「あのお洋服、見て、とってもきれいだわ」
商店街へ繰り出した二人は、展示窓に出されている服飾店の服を眺めていた。
「こんなの、私たちじゃ縫えない、ほしいけど、お給金の半年分くらいとられちゃう」
最初は彼女から誘ってくれてニコニコしてたペールだったが、いつになく口数が多いことに気づいて
「どうしたの、ルチア、何か不安なことでもあるの?」
と聞いてみる。
幼い頃から、不安になったり心配事ができたりするとおしゃべりになることを、ペールは良く知っていた。
だがルチアは、頭の中でなぜか、昨晩のことを誰にも言ってはいけないような気がして、言葉が出てこなかった。
「そんなことないわ、あれ、ほんとにきれいだもの」
ペールの方も、ルチアがあきらかに悩みの種を抱えていそうなのに否定されてしまったため、それについてはつっこまなかった。
不安の種は容易に想像もついた。
ルチアの父と兄が、隣町の大きな機械工場へ働きに行ってもう一年が経つ。
その間、仕送りや手紙は来るものの、まったく帰ってこない。
そのことを思い出しているのだろう、と思い、彼女のウィンドゥショッピングについていった。
ペールはルチアが好きだった。
ルチアがどう思っているかについては確信が持てなかったけれども、こうやって一緒に出掛けたり、遊んだりする程度には近しい関係だと思ってる。
ルチアも自分に好意を持ってくれている、そう思うけれど、もし万一違っていたら、と思うと、怖くて聞けなかった。
褐色のセミロングの髪、愛らしい顔、整った小さな口唇と鼻梁、くるくる回る大きな黒い瞳。
そしてたまらなく可愛いらしい、その笑顔。
いつかルチアの父が戻ってきたとき、ルチアとの交際を認めてもらい、ゆくゆくは結婚して、そんなことをいつも考えている。
そんな二人が商店街を歩いていると、向こう側から見慣れぬ一団がやってくる。
「異国人だ」
思わずペールは声に出してしまった。